歌が、響く。  詩篇は、血の色。。  咲き誇る烈火の徒花に囲まれ、少女は紅い涙を流しながら歌っていた。悍ましい醜悪美で地に満ちた、紅い花びらの中で歌う。  己を引き裂くようにして、歌い続ける。  その姿にエメルは、しばし見惚れて言葉を失った。  無慈悲な絶対強者と戦うべく、純粋な憎しみで象られた意思体……エメル。  それが今、ただの人間の女のように、魅入られていた。  少女は膝の上に恋人の亡骸を抱き、美しい声音を響かせいた。  言の葉を思い出して、エメルは静かに告げる。 「アトランティスの末裔、ルシェの姫君よ。問おう」  少女の名は、アダヒメ。  高度な文明でアトランティス大陸に栄えた、ルシェと呼ばれる種族である。既に国を滅ぼされ、故郷は海の底へ沈んだ。こうして東洋の島国へと流れ着いた彼女は、再び安住の地を失おうとしていた。  ここは神話の生まれる場所……今、この時を未来は伝承に謳う。  八岐大蛇伝説へと姿を変えて伝わる、七匹と一匹の敵がいた。  その暴虐に屈して、日ノ本は滅びつつある。  アダヒメは歌うのをやめ、エメルへと顔をあげる。  高貴な美しさは今、悲哀の色に塗り潰されていた。  血涙が流れて落ちるままに、アダヒメは泣いていた。  猛毒を発する周囲の花々は、あと数分で彼女の命を奪うだろう。宇宙の摂理、その代行者にして支配者たるモノの先触れ……フロワロと呼ばれる死の花だ。  日ノ本の滅亡を無言で語るフロワロの中で、アダヒメは小さく呟く。 「わたしの愛した方は、死にました。神代の時代より連なる凶祓いの血、全てを斬り裂き刺し貫く、神屠りの血……羽々斬の巫女は、わたしの腕の中で……死にました」  アダヒメの膝の上に横たわる少女は、既に事切れている。  この日ノ本を守るため、魔を滅殺して邪を浄戒する力……羽々斬の巫女と呼ばれる一族の当主だ。小さな少女の身体で、国と民とを背負って戦う乙女である。  彼女の敗北は、この国の終焉を意味していた。  だから、アダヒメは泣いているのだ。  身を重ねても繋がれない、交われども一つになれない恋路の最果て。  死が分かつ二人が、互いの生を悲恋で終える刻が迫っていた。  だからこそ、エメルは一歩踏み出す。  瘴気を振りまくフロワロの園で、アダヒメへと手を伸べる。 「アダヒメよ、お前がもし望むならば……この私が可能性を示そう」  エメルの問いかけにも、アダヒメは眉一つ動かさない。  瞬きを忘れた大きな瞳は、エメルを映して徐々に光を失ってゆく。  フロワロの毒はもう、彼女の命の炎をかき消そうとしていた。  それでもエメルは、踏み出す歩調を強くして呼びかける。 「お前の切なる願いを、私は力に変えることができる。因果調律の力で、お前を無数の可能性、無限大の未来へ解き放ってやれるのだ」 「可能性……未来?」 「そうだ。だが、お前が羽々斬の巫女を愛して慕った祈りが、を呪いとなってお前を蝕むだろう。閉じた円環の中で、お前は滅竜の輪廻に囚われ咎人となる」  恐らく、アダヒメには理解できないだろう。また、エメルも理解を求めていなかった。  ただ、エメルには力がある。  遠い宇宙の果てで滅びた同胞たちに託された、奇蹟の残滓が残っている。  だから、連理の頸城を解き放って、アダヒメという存在を不確定な自由へいざなえる。それは、一人の少女を永遠の孤独に放り込むという意味だ。  だが、エメルに迷いはない。  全生命の天敵である、あの者たちを滅ぼすためなら……躊躇いを感じない。  ただ、純然たる憎悪の権化である自分が今、違う感情に揺り動かされている気がした。目の前のアダヒメを、復讐と救世のための操り人形にできる。運命仕掛けの宿業細工として躍らせることができる。  そうまでして、戦わねばならぬ相手がいるのに……アダヒメを前に、それを忘れそうに鳴る。エメルが黙って見詰めていると、色を失ったアダヒメの唇が小さく動いた。 「それで、この国が……この星が救われるなら。なにより、斬子の忌み名を背負って連なる、この方の一族が救われるなら。わたしに惜しいものなど、なにがありましょう」 「では、我が怨嗟と憎悪をもって祝福しよう。アダヒメ」  返事は、すでにない。  事切れたアダヒメは、腕の中に抱く恋人の上に崩れ落ちた。  そして、旅が始まる。  それは、全生命の明日を賭けた戦い。  那由多の彼方に、無限のゼロを連ねても得られぬ……たった一つの未来を探す旅だ。  エメルは、死を超えて旅立ったアダヒメを見送り、己の存在を再びリセットする。  滅竜の輪廻に導かれ、アダヒメが選んだ世界線。  そこで、アダヒメが現れる直前、一年ほど前にエメルは自分を放り込んだ。  ――そして創まる、『狩る者』たちの摂理への反逆。  また一つ、フロワロに覆われ沈んだ世界線が幕を閉じる。  同時に、宿命の戦いが特異点へと修練されてゆく。  それは西暦2020年の東京へと、運命の糸を束ねて紡ぐのだった。