トゥリフィリは目の前の光景に絶句した。  目の前に今、先日自分を窮地から救ってくれた少年がいる。  硝子越しの再会……目を瞑ったまま、彼は不思議な溶液の中に浮いている。まるで試験管の中の実験動物だ。  そして、その認識が正しくないことをトゥリフィリはすぐに察する。  目にした全てが、彼女に最も相応しい形容の言葉を選ばえた。 「え……き、君……ロボット? なの?」  両手両足のない少年は、溶液の中で金属のフレームに光をゆらめかせている。僅かに覗くケーブルとコードが、細かなコーションマークを等間隔で並べていた。  僅かに硝子の容器内が泡立ち、少年は目を開く。  澄んだ瞳に自分が映って、驚きを改めてトゥリフィリは自覚した。  だが、次の瞬間には別の気持ちが沸き起こる。 「あ、あのっ、君! この間は、ありがと。凄い、助かった。君のお陰で、ぼくは生きてる。こうして、ほら!」  トゥリフィリは大げさに両手を広げてみせる。  だが、反応はない。  ただトゥリフィリをじっと見詰めて、瞬きすらせず少年は浮かんでいた。そして、なにも言わずに彼は再び瞼を閉じる。  そして、トゥリフィリの背後で聞き覚えのある声がぼんやりと響いた。 「あれ、トゥリフィリちゃんじゃなーい? え? エジー、お前さんが?」 「そうだ。会いたいと言ってたからな」 「ほーほー、そいつぁ……ちょーっと刺激、強すぎないかなあ?」 「平気だろう。今見た通りの娘らしいからな」 「なるほど、確かにねえ」  振り向くとそこには、腕組み壁によりかかるエグランティエと、猫背の中年男性が立っていた。くたびれた姿の男は、トゥリフィリを振り返って力なく笑う。  それでトゥリフィリは、彼の声を思い出した。 「あ、もしかして……!」 「ご名答、どーもどーも。オペレーターもやらされてた、カジカです……ま、あくまで臨時なんで、そこんとこよろしく」 「よ、よろしくお願いします。あと、先日はありがとうございました」 「ああ、いーのいーの。こんな非常時でねえ……ナガミツちゃんも、少し君の話をしてたから、会わせたかったんだけども」 「ナガミツ? って」 「ああ、彼の名前だよん」  カジカの視線を追って、再びトゥリフィリは巨大な装置を見やる。  人が一人、すっぽりと入れる巨大なポット。その中に満ちた溶液に、ナガミツという名の少年が浮かんでいる。聞けば、大規模なメンテ中であるとのことだ。  そう、ナガミツはロボット……機械の体を持つ特殊な存在。  初めて会ったあの日のことを思い出して、トゥリフィリは納得した。  どこか無機質で無味無臭は印象は、彼が被造物だったからなのだ。  改めてカジカが、トゥリフィリの隣で説明してくれる。 「彼の名はナガミツ……これは生みの親だったオサフネ先生が名付けたとも言われているね。見ての通り、人の姿を模したロボットだ」 「生みの親、だった?」 「オサフネ先生は亡くなられた……残念だねえ。有能で有用、その上で好ましい人格者から死んでゆく。嫌な話さ」  カジカの話で、トゥリフィリはナガミツの生い立ちや用途を聞かされた。  オサフネ先生という人物は、長らく人工知能にエモーショナルな感情のゆらぎ、自我と情緒を組み込む研究をしていた。それが、ムラクモ機関で長らく進められていた、とある研究に結びついて形になる。  ――斬竜刀補完計画。  ムラクモ機関は太古の昔より、竜の襲来をある程度予測していたという。その災厄に備えて、古来より神代の力を受け継ぐ血族との結び付きを強める一方……自らの手で、古き血の異能に頼らぬ対竜戦力を模索していた。  それが、人造の斬竜刀を鍛造する計画だ。  もともと防衛省でも進められていた、人型戦闘機の研究を引き継ぐ形で、それは形となった。思考し判断する、完全自立型の戦闘用アンドロイド。オサフネ先生は世界最高峰の殺戮装置に、心を植え付けるべく苦心した末に亡くなったという。 「でもま、信じたいのよねえ。オサフネ先生はほら、種を一生懸命撒いたから。彼の中でこれから、心や魂が芽吹く、そして育ち……大輪の花を咲かせる。そういうの、いいでしょう? トゥリフィリちゃん」 「は、はあ……でも、だとしたら、その……よくわからないんですけど、ぼく」 「うん?」 「その芽はもう、顔を出してる気がする。彼、ぼくを助けてくれたもん」  あまりに人間性を感じない、無表情な詰め襟の少年。  何故そうなのかを知った今だからこそ、トゥリフィリは確信を得る。それが間違ってないと、今はより強く思える。  あの時確かに、巨大な赤竜に踏み潰されようとした自分を助けてくれた。  死地と化した竜の群の中から、自分を救い出してくれたのだ。 「えっと、ナガミツ君? そう、ナガミツ君はぼくを助けてくれました。それに、ぼくが助けたかった人も連れ帰ってくれた」 「……それね、不思議だったのヨ。ログを見たら、オーダーにない選択肢を優先順位を変更してまで選んでたのよねえ。これ、凄いことよん? だって」  カジカは眼鏡のブリッジを指で上げつつ、ほくそ笑むように呟いた。 「それって、自分でひらめいて、それを考慮し、決断したってことなんだから」 「彼、死体の改修は駄目だって言ってた。けど、ぼくがサキさんのことをお願いしたら……ちゃんと、考えてくれました」 「サキさん、ね……そっか、キリコちゃんはそういう名前だったんだねえ」 「御存知なんですか?」 「御存知もなにも、有名人だからさ。ほら、裏社会は魑魅魍魎が渦巻く外法の世界……蛇の道は蛇ってやつ。キリコちゃんが、彼女たちの一族こそが……斬竜刀と呼ばれてきた訳」  だが、その一族の当主であったサキは死んでしまった。  竜をも一刀のもとに瞬殺する少女も、あの巨大な赤竜には勝てなかった。  そして、トゥリフィリの目の前で物言わぬ肉塊となって果てたのだ。  そのことを今思い出しても、身震いが込み上げる。  心なしか寒い気がして、おのずとトゥリフィリは両肘を自分で抱いた。 「本当に、死んじゃったんですね……サキさん」 「その名前、覚えててやんな。トゥリフィリちゃんに本当の名を告げたのは、きっとあの子も寂しかったんだろうねえ。そして」 「そして?」 「死ぬよりも過酷な未来が待っていることを、既に悟ってたのかもしれないヨ」 「過酷な、未来……」  改めてトゥリフィリは、容器の中に浮かぶナガミツを見詰める。  その表情には今、なんの感情も浮かんではいない。  ただ、金属でできた機械然とした姿をさらけ出して尚……無機質な少年にはどこか、体温を感じた。溶液と硝子で隔てられた先に、トゥリフィリはそれが僅かに拾える気がした。  背後で扉が開いたのは、そんな時だった。  チサキが先程と変わらぬ笑顔で、トゥリフィリを呼ぶ。 「いたいた、トゥリフィリー? なんか、総長が呼んでるよん?」 「え? ぼ、ぼくを? ナツメさんが」 「うん。すぐに来て欲しいって」 「……なんだろ」  自分を指差し、トゥリフィリは小首を傾げた。  だが、それだけ伝えてチサキは行ってしまう。  残されたトゥリフィリは、エグランティエやカジカに促されて部屋を出ようとした。その前に一度だけ、もう一度だけナガミツを振り返る。 「じゃ、お大事にね。またね、また……元気になって」  返事はないが、それを求めるでもなくトゥリフィリは歩き出す。  その先には、重大な責任が待っている。それを今は知らずに、ただ胸に少年の名を刻んでトゥリフィリは進むことを選んだ。それは、生き残った者の義務というよりは、生き残れてしまったからこその使命。そう感じるのは、助けてくれた少年のように、自分も誰かを助けられるなら……そう感じるだけの素直な気丈さがトゥリフィリにはあるのだった。