東京都の行政府、新宿都庁……その姿は今、異界と化していた。  異変によって激変した様は、まるで冥府か地獄かといった様相を呈している。都民ならば、見るもの全てが驚くだろう。  今、都庁舎は天空に逆さまにそびえていた。  後に『逆サ都庁』と呼ばれる魔宮である。  その中で今、トゥリフィリは仲間たちと戦っていた。  恐るべき力で文明社会を破壊した、ドラゴンと。 「くっ、みんな! 気をつけて! サラマンドラの炎が来るッ!」  崩れかかった都庁は、外から見ると上下が逆になっている。しかし、足を踏み入れれば不思議と上が天井に、下が床になっていた。恐らく、ここいら一帯の重力場が歪んでいるのだとチサキは教えてくれた。  つまり、全く感じないが今のトゥリフィリは逆さまに立ち回っているのだ。  そして、遅い来る竜は恐るべき力を解放する。  白い鱗の中型竜、サラマンドラは口から烈火の吐息を放ってきた。 「おーっと! ハイ見切りました! 見切った! ……って、アチッ! アチチ!」 「ほらほら、チサキ。真面目にやんなよ? しかし、ちょいと厄介だねえ?」  回避するトゥリフィリは、今までいた場所が爆炎に沈む中で走る。仲間のチサキとエグランティエも別個に火炎を避けていた。  今回は一人じゃないこともあって、僅かだが余裕の持てる戦いだ。  その証拠に、トゥリフィリは恐怖を感じながらも、それを制御して己を律している。怯える心は隠さずに、自分の能力を出し切ることに集中していた。そして、チームの仲間と三人での連携を心がける。  不思議と脳裏には、先程シェルターで言われたナツメの言葉が思い出された。 『目が冷めたのね、トゥリフィリ……よかったわ。S級能力者は貴重ですもの。それで、貴女に頼みたいことがあるの。貴女にしかできないことだわ……フフフ』  あの時、わざわざ人払いをしてからナツメはトゥリフィリに言った。まず、今後もムラクモ機関の一員として竜と戦って欲しいこと。そして、その戦いの中で大きな責任を担って欲しいと言われたのだ。 『素晴らしい素質があるのよ? 貴女には。そう、嫉妬するほどにね……だから、その力でリーダーシップを取って欲しいの。貴女に新設されるムラクモ機動13班の班長をお願いするわね』  ――ムラクモ機動13班。  通称、13班。それは、S級能力者のみを選抜して集めた、対ドラゴンに特化した機動戦力だとナツメは語った。現状、地下シェルターに逃げ延びたS級能力者は10人もいない。彼ら彼女らを率いて、ドラゴンたちと戦えと彼女は言うのだ。  勿論、最初はトゥリフィリも断った。  全く自信なんてなかったし、竜と戦うと言われてすぐに身が震えた。  自分を初めての友人だと言った人は、目の前で死んだ。  自分とは別次元の力を持った少女すら、無残に命を散らしたのだ。  だが、ナツメは繰り返し何度も言葉を重ね、最後にはトゥリフィリを説得してしまった。若干押し切られてしまった感じもしたが、最後に選択を決定したのはトゥリフィリだ。  もう、誰もサキのような人間を増やしたくない。  そして、戦う力もなく滅びに瀕している人たちを守りたい。  例えサキが救える人間の、何分の一かでもいい……万に一つでも構わない。  そういう覚悟だけが、今のトゥリフィリを鉄火に踊らせていた。 「みんな! ブレスのあとには動きが散漫になるっ! チサキはぼくと援護、エジーの切っ先を導いて!」 「ほいさっさ! んじゃまあ……本気の一発、キメちゃうよん!」  長い首を巡らす竜の動きは、火の海とかした都庁の一角で停止している。  瓦礫を飛び越えながら、その巨体へとエグランティエが襲いかかった。日本刀を構えたその背が、トゥリフィリには一人の少女を思い出させる。  決して忘れてはいけない人。  そして、引きずられてはいけない自分。  だから今、チサキと共にトゥリフィリは懸命に銃爪を引き絞った。 「いいねえ、援護がドンピシャだよ。そして……閃っ!」  光の線が闇に走る。  ビクン! と震えて停止した竜は、次の瞬間には真正面に舞い降りたエグランティエへと首を翻した。光る牙の並んだ口が、大きく開かれ女剣士を襲う。  だが、その首が吠え荒ぶままに、ずるりと胴体から落ちた。  既にエグランティエの斬撃が、竜の命を切り裂いていたのだった。  ようやく倒した強敵に、トゥリフィリは安堵の溜息を零す。  振り向くエグランティエは、そんなトゥリフィリを安心させるように微笑む。  しかし、次の瞬間には彼女はその場で剣を構え直した。緊張感を維持して周囲を警戒するエグランティエの、その背中をフォローしつつトゥリフィリも気を配る。  チサキの声が響いたのは、三人が同時に動いた瞬間だった。 「まだ残ってるよーん! ほいでっ、これで終わりっ!」  チサキの銃が速かった。  次にエグランティエの剣閃が竜を襲う。  トゥリフィリはそれが見える程度には、二人の戦いについていけてた。だが、未熟さは明確で、その上に伸びしろの自信はない。  そんな彼女の前に、ぼたりと小さな竜が血塗れで落ちてくる。  まるで子供のような、青い鱗と甲殻の小型種だ。  致命傷だがまだ息があって、血溜まりを広げながら唸ってトゥリフィリたちを睨んでくる。 「あ……この竜、子供? えっと」  既にもう、エグランティエは剣を鞘に収めていた。  彼女が無言で語る通り、もうすぐ出血でこの竜は命尽きる。  だが、最後の炎を燃やす?燭のように、牙を剥き出しに竜は吠えていた。  チサキが両手に拳銃をグルグル回しながら、それをスカートの中にしまいつつ笑った。 「ありゃ、リトルドラグだ」 「知ってるの?」 「んー、キリノさんたちが纏めてるデータで見たかな? で、どする? 放っておいても死ぬけど」 「どする、と、言われて、も……その」  徐々にリトルドラグは、自分の身体から零れ出る血液に溺れてゆく。  その中でまだ、敵意と殺意を失っていない。  まるで、自分が死ぬことより大事なことに因われ、操られているかのようだ。そして、そんな瀕死の竜を前に動けぬトゥリフィリは、チサキの視線を感じていた。  何故か彼女は、試すように曖昧な笑みを浮かべる。  トゥリフィリは迷った挙句、銃を降ろした。 「……ナツメさんに言われたDzは、必要数を回収したと思う。それに」 「それに?」 「この子、もう戦えないよ。このまま」 「ふーん、なるる。トドメをさして楽にしてあげようとかは?」 「それも、ちょっと……ぼく、そこまでの責任はなかなか」  その時だった。  不意にリトルドラグは、最後の力でトゥリフィリに飛びかかってきた。  次の瞬間には鮮血が飛び散る。  鋭い爪が切り裂いたのは、ゴスロリのミニドレスを着た少女の柔肌だった。 「チサキッ!」  すかさずエグランティエの居合が闇を裂く。  鍔鳴りの音と共に、リトルドラグは事切れた。  そして、トゥリフィリに現実が突き付けられる。自分の判断が誤ったから、遅かったから……仲間がまた、傷付いた。13班の班長を任されてすぐ、また血が流れたのだ。  だが、チサキはへらりと笑ってプラプラと血塗れの手を振る。 「ま、授業料ってことでー? トゥリフィリさ、躊躇しちゃ駄目だよ? ……こいつらはね、トゥリフィリ。竜は……この世で唯一、そして絶対の敵。人類の……生命の天敵なんだから」 「チサキ……ごめんなさい。ぼくが、その……あ、あの」 「あと、これも覚えといて。あたし、血塗れのイキモノを平然と撃てる子、こわいな。ヤだってこと。だから、いいんだ。そういうトゥリフィリでよかったと思うあたしでした、ニシシ!」 「チサキ……もぉ」 「あ、惚れた? ちょっとグッときた? って、エジー痛い! 痛いって、なにもう!」  エジーは無言でポカポカとチサキを叩いた。派手に出血してるが、チサキもカラカラと笑っている。早速応急処置を始めるトゥリフィリに、二人は交互に言ってくれた。 「ま、そゆ訳でぇ……今後も頼むよん? 班長! あと、個人的に今夜も頼みたい感じ」 「トゥリフィリ、これの言うことは無視していい。が、わたしも一緒さ。お前さんが班長なら、わたしも安心だし、一緒に戦える。だろ? 力や技と違って、気持ちは会得はできないからね」 「そゆこと。優しさを育んだなら、しまって秘めるだけでトゥリフィリは強くなれるもんね」  少し恥ずかしくて、本当に恥ずかしいのは自分を見限りかけた自分で。揺らいだ自信は相変わらず小さなものだけど、確かに胸に灯っている。13班の班長として、まだまだ未熟で稚拙でも、続けていけばその先はわからない。  もう、わからないなりに可能性を信じてやってみようかなと思い始めている。  信じてくれる仲間のために、この経験を活かせるようにとトゥリフィリは心に決めた。この瞬間、本当に彼女が班長となり、長らく受け継がれる伝説を走り始めたのだった。