魔宮と化した新宿都庁舎……逆サ都庁をトゥリフィリは歩く。  こんな時、ネットワークと電算技術を駆使したカジカのサポートがありがたい。そして、前では、ガトウと一緒にナガミツが道を作って進んでくれる。  すぐ側では、全てを見守りフォローするように、ナガレが銃を構えていた。  一見して優男風だが、ナガレは凄腕の銃さばきでパーティを守ってくれた。  思わずトゥリフィリは、ナガレの横顔をまじまじと見詰めてしまう。視線に気付いたナガレは、少し照れくさそうに細い目をさらに細めた。 「どうかしたかい? お嬢ちゃん。その、少し照れるな」 「あっ、ごめんなさい! その……ちょっと、パパに似てるかなって」 「お父さん?」 「はい。ずっと外国で、仕事もなんだかよくわからなくて。でも、ぼくに身を守る術を教えてくれたパパ……その技術と知識があるから、今はみんなを守って戦える」 「尊敬してるんだね、お父さんのことを」  言われて始めて自分の感情に気付き、少し気恥ずかしくてトゥリフィリは赤面に俯く。  父も母も、物心付いた時から仕事で世界中を飛び回っている。なんの仕事をしてるかは知らないが、大きくなるにつれ漠然とだが理解した。悪事を働いてはいないが、法に触れるギリギリの場所で危険な仕事をしている。法で守れぬなにかを、命をかけて守っている。  一年に数度しか会えないが、トゥリフィリはそんな両親が誇らしかった。  その面影が、自然とナガレに重なる。  ナガレは苦笑しつつ、周囲に目を配りながら顎をしゃくった。  ガトウとナガミツが振り向き、曲がり角の奥の階段を確保する。 「そうだね、俺も娘がいたら……きっと君みたいな強い子に育てたかもしれない」 「ナガレさん……」 「残念ながら妻との間に子供をもうける機会がなくてね。でも、そういう自分を支えてくれる妻のお陰で、今日もこうして戦えてる。君も同じだろう?」 「そう、ですね。ぼくたち、こうしている間も沢山の人に助けられてる」 「ま、そゆこった。……都庁、取り返そうな。今度うちに遊びにおいで。妻のシチューは絶品さ。なにせ、秘密があるからね」 「秘密のシチュー?」 「ああ……これは秘密なんだがね」  全員で階段を登って、屋上へ通じる鉄の扉で立ち止まる。目配せして頷き合う仲間たちに気持ちを重ねながらも、トゥリフィリは軽口をやめないナガレがありがたかった。  再び、帝竜と呼ばれるあの巨大なドラゴンと戦う。  勝てねば、この都庁を取り戻すことはできない。  そして、敗北すればそこでトゥリフィリたちの細やかな反攻は潰えてしまうのだ。  突入直前にナガレは、手の指でサインをガトウに送ってから笑う。 「妻のシチューを作ってるのは……実は、前の日に夜更かしする俺なのさ」 「……凄い、秘密ですね」 「だろう? いつかお嬢ちゃんにとびきりのシチューをご馳走するよ。じゃあ、行こう」  五人全員で息を合わせて、タイミングよく飛び出す。  ドアを蹴り破ったガトウは、重戦車のように雄叫びを上げながら竜の群れへと飛び込んだ。続くナガミツも、ガトウに張り合うように周囲のマモノを片付け始める。  そして、トゥリフィリは見た。  逆さまに天へと屹立する都庁、その屋上で……巨大な紅い影が振り返る。  頭上に広がる大地を仰ぐ、巨大な帝竜ウォークライ。  その圧倒的な威圧感が、ビリビリとトゥリフィリの肌を泡立てた。   だが、すぐにガトウとナガミツの頼もしい声が走り出す。 「ついてきな、ボウズ! 気持ちで負けるんじゃねえぞっ!」 「戦術実行、排除開始……俺に気持ちなんて不確定要素はねえよ」  弾丸のように飛び出す男たちに、ウォークライの絶叫が浴びせられる。  トゥリフィリは周囲のマモノやドラゴンを牽制しつつ、二人の機動を導くように援護射撃を放った。彼女が捻じ込む弾丸が、前衛の進む道を抉じ開ける。  背後ではナガレに守られながら、カジカがいつもの調子で光学キーボードを叩いていた。  開かれた戦端は、トゥリフィリたちに決戦を感じさせる。  気を抜けば恐怖に飲み込まれてしまいそうな中、思考と感情を細く絞ってトゥリフィリは戦い続けた。脚を使って撹乱しながら、二人の拳士が大技を放った隙をフォローする。  戦える、攻めて守っての戦闘が成立している。  確かな手応えを感じた、その瞬間だった。  不意にウォークライは大きく息を吸い込んだ。  周囲の気圧が変動するほどの異変に、耳の奥がキンと痛む。 「チィ! やべぇな、おいナガレ! やっこさん、なにかする気だ。って、待てよボウズ!」 「対象に危険度SSクラスの攻撃予兆を確認……先手を打って、黙らせるっ!」  ガトウの制止を振り切るように、ナガミツが拳を振りかぶる。  次の瞬間、周囲の空気が沸騰して牙を剥いた。  絶叫を迸らせるウォークライから、肉眼で目視できる程の衝撃波が広がる。超振動音波でかき混ぜられた空気は、あっという間に熱を帯びて屋上を薙ぎ払った。  例えるなら、灼けた熱波の津波だ。  そして、咄嗟に身構え自分を守ろうとしたトゥリフィリは見た。  乾坤一擲の一撃を握り締めたナガミツが、吹き飛ばされた背後の壁にクレーターを穿つのを。あのガトウさえも、ガードを固めて両脚で轍を刻んでいる。  唖然とするトゥリフィリは……目の前に両手を広げた影に絶句した。 「あ、ああ……ナガレ、さん」 「よぉ、お嬢ちゃん……怪我ぁ、ないかい? へへ……」  ニヤリと笑ったナガレは、そのまま血を吐いて倒れた。  思わず竦んで両足の力が抜けたが、トゥリフィリは慌ててナガレを抱きとめる。両腕の中で出血を続ける熱量が、どんどん冷たくなってゆくのがわかった。  声にならない悲鳴が動悸を狂わせ、過呼吸寸前で言葉が出てこない。  ただ震えながらナガレを抱き締めるトゥリフィリに、カジカが駆け寄ってきた。見ればカジカも、派手に出血して顔の半分が真っ赤だ。だが、そこにいつもの剽げた気さくな中年紳士の表情はなかった。 「ちょいとごめんよ! 悪いけどどいてくれっかな……ナガレ、死ぬな。死ぬんじゃないっての……飲みに行くんだろ? なあ……待ってな、今から直接心臓を」  あっという間にトゥリフィリたち人間の戦線は決壊した。  決死の抵抗を試みた人間は、改めてドラゴンに思い知らされた……己の弱さと、天敵の強さを。命を賭けての勝負に挑む、その価値を感じた瞬間に全ては御破算になったのだ。  呆然とするトゥリフィリへと、ウォークライが両腕を振り上げる。  目の前ではカジカが、必死の蘇生をナガレに試みていた。電脳空間を自在に操るハッカーは、人間の神経を走る微弱な電気信号すら自在に操る。だが、いくら電気的な刺激を加えても、ナガレは目を見開いたまま動かなくなっていた。 「あ、ああ……ッ! 駄目だ、駄目だよぼくっ! 今度は……ぼくが二人を守らなきゃ」  怯える心に身体が強張り、恐怖に飲み込まれて感覚が鈍っている。  それでも、トゥリフィリは銃を構える。  そんな彼女の前に、ふらふらになりながらナガミツが立った。  満身創痍という形容がぴったりのナガミツは、火花に飾られた右手をだらりとぶら下げている。だが、まだ無事な左手に拳を握って、背にトゥリフィリを庇うように身構えた。  舌打ちしつつガトウもバキバキと奥歯を噛み締めている。  轟音が響いたのは、そんな時だった。  頭上に地面を見上げたガトウが、忌々しそうに顔を歪めた。 「自衛隊か! お前らじゃかえって危険だ! ……いや、違うか? これは――」  突然、地面を這うような高度で自衛隊の輸送機が通り過ぎた。その爆音を見上げたウォークライが、瞳を見開く。天地に裂けた口の奥から、マグマのような炎がせり上がっていた。  だが……灼熱のブレスが放たれる前に光が走る。  一閃の煌めきが、ウォークライの悲鳴と流血をもたらした。  そして、トゥリフィリは言葉を失う。  猛スピードで通り過ぎた輸送機から飛び降りてきたのは……セーラー服姿で日本刀を手にした少女だ。酷く華奢で細いシルエットには、見覚えがある。  全身のいたるところで包帯を風に遊ばせ、長い黒髪を棚引かせた少女。 「あ、あれは……えっ、嘘……キリコ、さん。ううん……サキさん?」  そこには、あの日目の前で無残に殺された少女の姿があった。見間違えようがない程に似ていて、少し裾がほつれてボロになりかけのセーラー服だけが違う。そして、その着衣のくたびれた雰囲気が、死地よりの生還を自然と想起させるのだった。