都庁舎から長い長い影を引き出し、夕闇が訪れる。  いまだ周囲にはマモノやドラゴンが徘徊し、毒性の強いフロワロが我が物顔で咲き誇っている。一般人にとっては、この都庁舎だけが唯一にして絶対の生存圏だった。  トゥリフィリはそんな都庁舎を守るべく、忙しい日々を過ごしていた。  既に、あの逆サ都庁での戦いから一週間が経過しようとしていた。 「ふう、エントランスに運んでおく資材はこれで終わりかな? おつかれ、ナガミツちゃん」 「ん、ああ。……班長、少し休んだ方がいい」 「ふふ、またそれー? 何度言われても答えは同じだよ?」 「いざという時、班長になにかあったら困る」 「……それ、ぼくが13班の班長だからだよね」 「? 俺は常に、それを前提に話している。……なにか、違うのか?」  不思議そうな顔で固まってしまうのは、ナガミツだ。彼は相変わらずぶっきらぼうで、なにを考えているのかわからない。感情の機微もわかりにくく、どうしてもロボットであることを強く意識させられる日々だ。  だが、それがナガミツなんだとトゥリフィリは理解し始めていた。  全てがわかったというのは驕りだが、自分のイメージを押し付けないのは大事だ。  ナガミツは融通がきかず粗野で実直、そして優しいところもあるのだ。  そう思っていると、不意にナガミツがトントンと肩を叩いてきた。 「んー? どしたの、ナガミツちゃん」 「班長、あれ」 「あれ? あー、えっと、確かノリトだよね。なにしてんだろ」  ふと見やれば、人目を避けるようにして一人の少年が外へ出ようとしている。  彼の名はノリト……13班に所属するS級能力者、ハッカーだ。  しきりに周囲をキョロキョロしながら、彼は先程から正面玄関を行ったり来たりしている。その様子はどこか切実な緊張感が感じられて、トゥリフィリには落ち着かなかった。  だが、駆け寄って声をかけようとした時、不意に呼び止められる。 「やめなよぉ、やーめ、やめやめ。去るのも追わずって言うしねー?」  振り向くとそこには、ゴシックロリータのエプロンドレスを着た少女が立っていた。長い金髪をツインテールに結って、まるで絵本の中のお姫様だ。だが、絶世の美貌はよく見れば、整い過ぎている。チャシャネコのような笑顔も相まって、どこか油断ならない印象をトゥリフィリに刻みつけた。  そして、思い出す。  彼女の名は、シイナ。  彼女ではなく、彼……女装しているが男だ。  シイナはツインテールの毛先を指でいじりながら視線を外して喋る。 「ノリト君、結構この数日で参ってたしー? 逃げたくなったんだと思うよー?」 「逃げる、って……どこに?」 「さぁ? でもー、去るもの追わずっていうか……しょうがないよねえ」 「それは……でもっ、もうすぐ日も暮れるし危ないよ」 「好きで出てくんだもの、放っとけばー?」  シイナは奇妙な少年だった。  凄く投げやりで、なにものにも執着がないかのように達観している。性別すら偽る美貌の少年に、いったいなにがあったのだろうか。トゥリフィリが知っているのは、自分の13班に配属されたデストロイヤーで、頼めば仕事はやるだけやってくれるというだけだ。  シイナは相変わらず金髪の毛先を気にしながら、気だるげに喋る。 「まー、わたしも思うんだけど……ぶっちゃけ、詰んでるよねえ?」 「詰んでる、って?」 「んー、なんとか都庁を取り戻してさあ。当面の住処はあるにしても……もう、地球規模でドラゴンに襲われちゃって全滅寸前なんだよねー? 昨日の夜、ベッドで聞いちゃったし。自衛隊のおにーさんから」 「……! だとしても、できることはあるよ」 「それはまぁ、やりたい人にやってもらうってことでー?」  トゥリフィリにもなんとなく事情が見えてきた。  自分の弱さに負けそうになっているのは、あちらで踏ん切りがつかずにウロウロしているノリトだけではない。徐々に人の心を蝕む絶望は、既にシイナをも取り込んでいたのだ。  ひょっとしたら彼は、元から既に絶望を抱えていたのかもしれない。  だが、トゥリフィリがなにかを言いかけた、その時だった。  不意に自分でトゥリフィリを庇うようにして、ナガミツが前に踏み出した。 「シイナ、敵前逃亡は許されねえ。ムラクモ機関の現状では、S級能力者の貴重な戦力を有効に活用する義務がある。それに、シイナ……お前は大事な人間だ」 「なーに? ナガミっちゃん……それって、ムフフ。じゃあ、今夜どぉ?」 「断る。シイナ、お前の連日連夜の不純交友及びに淫蕩については、既に総長に報告済みだ。それに、俺にそんな機能はねぇよ。それでも……お前は班長に必要な人間だ」  率直に言って、最悪だとトゥリフィリは思った。  ナガミツの言い分は正論だが、明らかにおかしい。常識的に考えて、全く配慮に欠く物言いなのだ。しかも、彼は班長であるトゥリフィリを中心にものを考えている。  シイナは綺麗な白い顔を凍らせ「ふーん」と薄い笑みを浮かべた。  瞬間、エントランスのホールに風が舞う。  トゥリフィリが気付いた時には、二人は渦巻く空気の爆心地となって拳を向けあっていた。轟! と拳が大気を切り裂いて行き交う。 「ちょ、ちょっと二人共! っ、あ! それより! 待って、ノリト! ねえ、話を――」  騒ぎに勘付いたノリトは、トゥリフィリと目が合うなり逃げ出した。  斜陽の光に満ちた外へと、まっすぐに走り去ってしまう。  だが、ナガミツとシイナを放ってはおけない。  シイナは笑顔で、ナガミツは無表情。殺意がないのはトゥリフィリにも伝わる。だが、精密機械のように性格な体捌きで、的確なディフェンスと反撃を繰り出すナガミツは本気だ。そして、無造作に繰り出されるシイナの拳や蹴りは、武道の心得を感じないのに暴力的な破壊力で振るわれる。  そんな二人のやり取りも、長くは続かなかった。  不意に玄関の外で、ノリトの悲鳴が響き渡る。  その瞬間、互いの鼻先に拳を繰り出したままナガミツとシイナは止まった。 「……ノリトの声だ。やべぇな」 「だねー? んじゃまあ、痛み分けってことでぇ」 「フン、行くぞシイナ。班長、ちょっと見てくる」 「フィーも来るぅ? あ、フィーって呼んでもいいよね、わたしも。とりあえず、もうしばらくだけよろしく、フィー。んで、ノリト君はっと」  二人は拳を収めるや、外へと向かう。  慌てて追いかけたトゥリフィリは、夕焼けに染まる景色に絶句してしまった。  崩落して廃墟となった新宿のビル群は今、茜色の世界。  燃えるような夕日を背負って、一人の男がこちらへやってくる。  フロワロが咲き乱れる中、赤い花びらを蹴り散らしながら向かってくるのだ。  腰を抜かしてへたりこんだノリトが、震える声で指差している。 「ひっ、ひひ、人が……だ、誰か! 人! 要救助者! た、たた、助けてっ!」  その男は、真っ赤な太陽の中で黒い影となって近付いてくる。  背にはなにか、巨大な機械のようなものを背負っていた。  そして、ノリトのすぐ目の前まできてそれを下ろす。ドスン! と地面に下ろされたのは、よく見ればゲームセンターにあるアーケードマシーンである。確か、ターンテーブルと鍵盤でリズム感覚を試す類のゲーム、いわゆる音ゲーだ。  常人ならば数人がかりで運ぶであろう筐体を、男は一人で担いできた。  それを下ろして、頭のバンダナを解くや額の汗を拭う。 「ほう、やはり都庁に人が戻ってきていたか……重畳、重畳」  男はニヤリと笑って、周囲を見渡しトゥリフィリと目が合う。  迷わず彼は進み出て、警戒するナガミツに構わず声を掛けてきた。 「俺様の直感では、貴様がリーダーだな……違うか?」 「あ、うん……そだけど。一応ね、一応」 「俺の名は、そうだな……キジトラとでも名乗っておこう。選抜試験に行けなかったのは悪かった、大事な用事ができてしまってな」 「ああ、ムラクモ機関の選抜試験? あんな前のこと……それより、大事な用事?」 「うむ、こいつだ! 普段はあまりやらんのだが、音ゲー……この筐体のハイスコアを更新せねばならなかった。何故ならっ! 俺様が新宿スポーツランドの格ゲー、STG、パズルゲー、その他もろもろあらゆるハイスコアを塗り替える中で、これは避けて通れぬ道!」  訳がわからない。  つまるところ、説明されたままにトゥリフィリが理解した話はこうだ。  選抜試験の夜も、キジトラは有名なゲームセンターで時間を潰していた。そのゲームセンターで彼は、あらゆるゲームのハイスコアを塗り替えるのを密かな楽しみとしてたが……どのゲームにも、同じ名前のスコアラーがいたという。  その名は、GNK。  ほぼ全てのゲームでGNKを二位に蹴落とし、自分が一位になったまではよかった。  だが、最後に残ったのは……今しがた背負ってきた、音ゲーだったのだ。 「あの天変地異のあとも、俺はゲーセンに閉じ込められた者達と機会を舞った。UFOキャッチャー内の菓子を食いつなぎながらな。そして、都庁の噂を聴いて俺がまず来たのだ」 「そ、その筐体は、えっと」 「馬鹿か貴様は! ……俺様はまだ、このゲームでGNKに勝っていない。都庁舎に先日の夜から明かりが灯っている、つまり電気がある。フハハハハ、今こそ攻略してくれよう、GNK!」  バカだった。  底知れぬバカ、本物のバカだとトゥリフィリは思った。  だが、胸をそらして高笑いするキジトラの目の前で、意外な声が呟かれる。 「GNK……それ、俺です。俺が……あ、いや、ゴホン! 私がGNKですがなにか? フッ」  へなへなとへたりこんでいたノリトが、立ち上がった。彼は周囲が無駄だと思ってるのも察することなく、そっとキジトラが運んできた筐体に触れる。その目が、眼鏡の奥で少しだけ強い光を灯しているのにトゥリフィリは驚いた。 「ほう! 貴様がGNKか。悪いがスポランのスコアは全て書き換えさせてもらった」 「……フッ、それはそれは……しかし私はまだ本気を出していませんので」 「そうか、それは嬉しいな! よし、こいつを運び込むぞ、手伝え!」 「へっ? あ、ちょっと、あの! 俺は、じゃねえ、私は力仕事は、あ、あのーっ!」  それがキジトラとの出会いだった。  傍若無人、唯我独尊、タフでしたたか……まるで野良猫のような男だ。彼は無理矢理ノリトに手伝わせて、ゲーム筐体を都庁に持ち込んでしまった。その様子を呆然と見守るナガミツは、いつもは見せない表情をしていた。シイナが目の前で手を振っても、彼はずっと興味の入り交じる視線でキジトラを見送っていた。