その男はトゥリフィリ達に、タケハヤと名乗った。  自然とトゥリフィリの脳裏に、古代の神話が過る。まるでそう、古き神々の名を冠したかのような響きだ。  ――建速須佐之男命。  太古の昔、八岐大蛇を退治した男神の名だ。  だが、目の前の男は軽薄さがあって、本性を表さない。  チャラいだけではないとわかっても、トゥリフィリは自然とタケハヤの笑みに緊張感を忘れてゆく。自然と周囲をリラックスさせる、不思議な優しさみたいなものが感じられた。 「この辺にしとこうぜ? えっと……ムラクモのお前等は」 「こ、こんにちは。ムラクモ機動13班、トゥリフィリです」 「ナガミツだ」 「……キリコ」  タケハヤはナガミツとキリコを交互に見て、それからトゥリフィリに笑顔を向ける。屈託のない表情は、敵意が感じられない。ネコやダイゴも、渋々といった感じで周囲の若者達を下がらせた。  だが、タケハヤの目は奥に鋭い光を灯している。 「へえ、オサフネ先生のあれは形になったのかよ。へへ、嬉しいねえ。で……天ノ羽々宮はあいかわらず、か。ボウズ、お前は……何人目だ? サキちゃんはどうしたよ」  さらりと今、トゥリフィリの前を真実が通り過ぎた。  なにか、秘められた事実がちらりと見えた気がした。  ナガミツはずっと無表情で、ぼんやりとタケハヤを見詰めている。  トゥリフィリは憤りを隠さぬキリコを手で制して、言葉を続けた。 「あの、タケハヤさん。今日はSKYと話し合いに来たんです。今の東京の惨状……ご存知ですよね?」 「そりゃもう、クソみてぇでよ。正直、ハッ! 逃げ出してえわ」 「それは同感なんですけど」 「言うね、トゥリフィリちゃん! ……んー、フィーっての、どう?」 「どう、って、えっと」 「フィーって呼ぶわ、俺。で、フィー……何を話し合おうってんだい?」  トゥリフィリはとりあえず、ナツメ総長から預かった言葉を伝えた。  今の東京、いや……世界中は大混乱だ。  そして、急激に滅びの道を転げ落ちている。  無辜の民が殺戮される中で、文明が終わろうとしていた。  そんな中で、東京では都庁にムラクモ機関が中心となって避難民を集め、抵抗と復興のための戦いを始めた。SKYにも協力して欲しいというのが、ナツメ総長の話だった。  だが、タケハヤはやれやれと肩を竦める。 「フィーよぉ……お前さん、あの話は聞いてねえみたいだな」 「あの話? って」 「俺等とムラクモ機関、そしてナツメとの因縁さ。で……答えはNOだ。協力できねえし、する気もねえ。こっちはこっちで忙しいしな。悪ぃが都庁は都庁で頑張ってくれや」  不意にタケハヤの態度が一変した。  そして、トゥリフィリは戦慄する。  タケハヤの全身から、周囲を覆わんばかりに強大な闘気が発散された。  隣のナガミツやキリコも、気圧されながら身構える。  薄々気付いていたが、確信した。  タケハヤは、トゥリフィリ達とは次元の違う強さを秘めている。それは、ネコやダイゴとも別格だ。SKYを率いるカリスマS級能力者……その圧倒的な力が解放された。 「フィー、俺達SKYがどういう人間か……お前さん達は知らされてない。違うか?」 「あ、はい……ただ、能力者達の集団だって」 「俺達はなあ、フィー。あのナツメってクソババアが人体実験に使い捨てた能力者、後天的に能力を付与する研究とかよぉ、そういうので全身いじくりまわされた集まりなんだよ」  トゥリフィリは鈍器で頭を殴られたような衝撃を受けた。  思わず躰まで反応して、よろけてしまう。  そんなトゥリフィリを支えてくれたのは、ナガミツだった。大きな手を肩に添えて、ただ壁のように寄り添ってくれる。彼はいつもの無機質に聴こえる声を尖らせた。 「タケハヤ、ムラクモ機関にそのような記録は残されていない」 「ナガミツよお……オサフネ先生にもらった頭、もちっと使えや」 「……今、頭部に寄る緊急の打撃攻撃は必要と感じない。手足が自由なため、タケハヤにはもっと効率的な打撃を優先して浴びせることができる」 「そういう意味じゃねえよ。自分に都合の悪い記録を残すか? あの女が……人間が」 「……肯定。情報操作と隠蔽の可能性は否定できない。けどよ――」  ナガミツはトゥリフィリの肩を掴む手に力を込めた。  痛くはないが、不思議と彼の感情が波立っているのを感じる。 「タケハヤ、お前がそのことを不当に感じているなら……SKYの指導者として、ムラクモ機関に正当な抗議、および折衝を行うべきだ。その時は俺も手伝う」 「おいおい、ムラクモ機関の斬竜刀がか? こいつは傑作だ!」 「俺は竜を断つ刃だ……その本質は、人を守ること。人と共に歩むこと。お前は人間、班長達と同じ人間だ。タケハヤ」  タケハヤは「参ったねえ」と笑った。  空気が雅な音色と共に震えだしたのは、そんな時だった。  周囲の若者達も慌ただしくなり、そこかしこで周囲を見渡している。  聴こえてくのは、歌。  そして、不意に茂みの中から一人の少女が現れた。 「タケハヤ……彼女が歌い始めた。教えてくれてる……奴が、来るわ」  それは、例えて言うなら……絶世の美女。  SKYの名を誰よりも体現する、蒼天にも似た長い髪の少女だ。不思議な着衣で肌も顕な少女は、そっとタケハヤの隣へと歩いてくる。あのSKYの血気盛んな若者達が、おとなしい飼い犬のように道を譲る。ネコだけが舌打ちして、ダイゴに窘められていた。  その少女と目が合った瞬間、突然トゥリフィリの時間が止まる。  そして、見知らぬヴィジョンが瞳の中に乱舞し、思考と認識が時間を超えた。 「ッ! え、何? なん、なの……これ。ぼく、何を――」  不安げに見下ろしてきたナガミツが、豹変していた。  損傷だらけの隻眼で、もう片方の目を汚れた布地で覆っている。驚きキリコを見やれば、彼女は同じ黒髪だが、どこか異世界を思わせる着物に羽織を着ている。そして、あの刺々しさが嘘のように優しい顔をしていた。  なにかが、起こった。  それは、あの蒼髪の少女が連れてきたのだ。  だが、異変は一瞬で収まり、タケハヤがパンパンと手を叩く。 「おーし、撤収だ! ……奴が来る。あの娘の歌が教えてくれてるぜ。アイテル! 皆を頼む! ネコとダイゴは、すまん! ホントすまん、俺と来てくれ。奴を少し黙らせる」  奴とは?  そして、あの娘とは?  だが、その時……不意に太陽の光が遮られた。  空気を沸騰させる咆哮と共に、巨大な竜が上空を通過する。  それを見上げたトゥリフィリは、驚愕に身を震わせた。  だが、仲間を励ましつつタケハヤは走り出す。彼は一瞬だけ、アイテルと呼ばれた蒼髪の少女と頷きを交わす。二人の中でその瞬間は、何故か永遠にも見えた。 「じゃあな、フィー! 斬竜刀コンビも! あのクソバアアにもよろしく言っといてくれ。俺達は誰ともつるまねえし、ムラクモとは馴れ合わねえ。それを――グッ! ア、グゥ!?」 「タケハヤ!? ちょっと、大丈夫? タケハヤ、ねえタケハヤ!」 「騒ぐなよ、ネコ。お前、そういう顔はかわいくないぜ? ……うし、行くか!」  苦しむ素振りを一瞬見せてから、タケハヤはネコとダイゴを連れて行ってしまった。  アイテルが「送るわ……狩る者達」と歩き出す。ついてこいと言わんばかりの背中を、戸惑いながらもトゥリフィリは追った。  ――狩る者。  アイテルの言葉が何故か、トゥリフィリの中に奇妙な共鳴をもたらすのだった。