東京のインフラは全て、あの日を境に失われてしまった。  今では上下水道や伝記が、都庁のみかろうじて維持されている。これも全て、ムラクモ機関と自衛隊の奮闘の賜である。  勿論、都内をくまなく走る地下鉄の路線も全て停止していた。  トゥリフィリが久方ぶりに訪れた東京メトロの新宿駅。  そこは、非常灯が不規則に明滅する暗闇だった。 「うひゃー、なんか真っ暗……よし、行こうか! ナガミツちゃ――」  ふと振り返って、そして言葉を飲み込む。  背後では、エグランティエとキジトラが不思議そうな顔をしていた。  そう、今日はナガミツが一緒ではない。  彼はメンテナンスがあって、今頃はラボで整備されている筈だ。  それを思い出して、トゥリフィリは奇妙な感覚に黙る。心細いような、落ち着かないような、そしてどうしようもなく寂しいような。  不思議なことだと思っていると、キジトラがニヤリと笑う。 「どうした、班長? ははーん、まさか貴様……」 「ちっ、違うよ! 違うってば。た、多分」 「違うのか? 俺様はてっきり、腹が減っているのかと思ったが」 「えっ、あ、いや、それもないけど」 「では、どう違うのだ? とりあえず、アオイから貰ったチョコバーをやろう。で、詳しく聞こうか……クククククッ!」  豪快なのか狡猾なのか、よくわからない笑みでキジトラが一歩踏み出した。  すかさずエグランティエが、持っていた刀の柄でポカリと彼を叩く。 「そういうのはあとにしなよ。さ、行くよ……大丈夫さ、トゥリフィリ。辰切の分までわたし達がフォローする」 「ありがと、エジー……辰切?」 「魔を裂き邪を断ち……竜を斬る刀。斬竜刀……だから、辰切長光」 「と、いうと」  横からキジトラが説明してくれた。  備前長船……その長船派の長光という刀匠がいたのだそうだ。  エグランティエは日本と武士道、そして武家社会全般に強いリスペクトを抱いている。彼女がサムライとして身体能力Sランクの力を振るうのは、そのためだ。  そうこうしていると、耳に付けた超小型発振器が喋り出す。 『13班! その先に15班が、物資回収班がいる筈だ。ナナの話じゃ、少しトラブってるみたいなんだ。急いでくれるか?』 「あ、ムツ。オッケー、行くね? ナビよろしく」 『了解だ、任せとけっ!』  ムツの元気のいい声に背を押され、トゥリフィリ達は歩き出した。  線路に降りて、その奥へと進む。  一駅、二駅と通り過ぎる度、どんどん闇が濃くなってゆくようだ。漏電した照明がバチバチと鳴ったりする中、僅かな明かりだけが頼りである。  自然と緊張感が増す中で、キジトラだけがナイフを片手に饒舌だった。  彼が最近のナガミツとのアレコレを話してくれるので、トゥリフィリは視界のきかない暗闇に飲まれずにいられた。この人、なかなか味な真似をしてくれるなと思った、その時だった。 「そこにいるのは……13班か! 助かった!」  不意に奥の方から、小さな光が声を放ってくる。  よく見れば、自衛隊から借りた携帯照明を手にした青年が駆け寄ってくる。パーカーを着込んでフードを目深に被った彼は、ここにいない相棒と同じ顔をした。  そう、二式カネミツを見た時、相棒に再会したような気がしたのだ。  トゥリフィリは慌てて、心の中でのナガミツの居場所を保留に戻す。 「カネミツちゃん? よかった、無事で……あ、あれ? ゆずりはちゃんは」 「すまん、お嬢はちょっと調子が悪いんだ。俺達はずらからせてもらう。今、奥でツマグロのおっさんが足止めしてる!」  見れば、カネミツはゆずりはを背負っていた。  ゆずりはは顔面蒼白で、浅い呼吸を刻みながら震えている。可憐ながらもどこか無機質な、人形のような愛らしさが今はない。恐怖で固まり表情をかげらせる様は、皮肉にも普段よりずっと人間らしかった。  無理もない……彼女はまだ幼い少女、トゥリフィリよりもさらに年下なのだ。  以前、それとなく彼女についてはナツメから聞かされている。  S級の能力者でありながら、あの日のトラウマで竜と戦えない……そう言ってナツメは冷笑に肩を竦めていた。恐らく、ゆずりはもまたこの世の地獄を見てしまったのだ。 「キジトラ先輩! エジーも! 二人を守って出口までお願い。ぼくは、ツマグロさんに合流して二人で脱出するから」 「心得た、班長。同じトリックスターの俺様なら、脚にものを言わせて同行できるが?」 「ううん、キジトラ先輩にはゆずりはちゃん達を守って欲しいかな。それに、同じ能力でも銃を使うぼく達なら、下がりながら戦えるから」 「ふむ、合理的だな。では行こうか、エジー。カネミツ、しっかりついてこいよ」  頼もしい言葉を残して、キジトラが走り去る。そのあとをゆずりはを背負い直してカネミツが続き、最後に背をポンと叩いてエグランティエも行ってしまった。  不思議とエグランティエが触れてくれた場所が温かい。  背を押されるように、トゥリフィリは逆方向へと駆け出す。  断続的に聴こえる銃声は、徐々に下がりながら近付いていた。 「ツマグロさんっ! 一旦下がりましょう、援護にきま、し――!?」  目の前の光景にトゥリフィリは絶句した。  対物ライフルを使って、ツマグロは断続的に射撃を繰り返している。そこかしこで崩れたコンクリートが山となっていて、それを遮蔽物として何かと戦っているのだ。  そして、その敵が見えない。  正確には、見えていてもわからないのだ。  ツマグロはまるで、迫り来る壁と戦っているようだ。  奥の行き止まりが、猛スピードで此方へ向かってくる。 「トゥリフィリちゃんかい? こいつは危険だ、ちとやばいことになった」 「援護します! 交互に撃ちつつ下がりましょう!」 「助かる」  トゥリフィリも二丁拳銃を抜き放つ。  雌雄一対の武器が交互に歌えば、僅かに壁の進行速度はゆっくりになった。その間に自分より後ろに下がったツマグロが、撃つ。そして、トゥリフィリがまた下がる。  この繰り返しを行う中、ようやく理解した。  目の前の壁は竜、それも帝竜クラスだ。  あまりに巨大過ぎて、地下鉄を占拠する体の一部が迫ってきているのだ。 「ツマグロさん、このままじゃ追いつかれます! 何かないですか? 何か!」 「手持ちはスモークグレネードとスタングレネードか。ちと心細いな。だが、この先、もう少し戻ったところにトラップを仕掛けてある。プラスチック爆弾で坑道を一時塞ごう」 「了解です!」  全力疾走で二人は走り出した。  同時に、射撃が収まったと見るや背後の敵意が加速する。  徐々に距離が詰まる中で、焦れるトゥリフィリ達の向かう先に……華奢なシルエットがぼんやりと浮かび上がる。その人影は、場違いな声を陽気に響かせた。 「やほー? 助けにきたよん! 颯爽登場、チサキちゃんが――って、おいおいー!?」  決めポーズでウィンクするチサキの左右を、ツマグロと一緒にトゥリフィリは駆け抜けた。振り向き叫びながら、自慢の脚力をフル回転させる。 「チサキ、逃げて! 竜に押しつぶされるよっ!」 「ほへ? 竜? ……って、ふおおおおおっ! 聞いてないんですけどー!」 「さあさ、お嬢ちゃん達。黙って走った走った! って、おいおい、しがみつくなって」  慌てたチサキは、必死でトゥリフィリを追いかけだす。彼女が翻すツインテールの、その毛先に触れそうな距離に巨体が迫っていた。  乙女がしてはいけない必死の形相で、思わずチサキはツマグロにすがりつく。  それで、彼の腰にぶら下がっていた何かが転がった。  それは、ピンの抜けたスタングレネード……すぐに周囲を眩い閃光が覆った。  続いて、絶叫にも似た咆哮。 「眩しっ! ……あ、あれ? 敵の動きが……ツマグロさん! チサキも、今だよっ!」 「ガッテン! 三十六計逃げるに如かず、だねー!」 「何故、動きが止まった……? もしや、この竜は。ふむ、一応あとで報告しておくか」  こうしてトゥリフィリ達は、九死に一生を得て地上へと生還した。再び拝んた太陽の光は、既に傾いて廃墟の街を茜色に照らしている。夕闇が迫る中で吹く風が、汗に冷えた体に酷く冷たかった。