地下道を占拠している巨大な帝竜。  ザ・スカヴァーと名付けられたそいつは、こうしている今も東京の地底を掘り進んでいる。最近は都庁でも、身体に感じる地震が爆発的に増えた。  散発的な揺れは、疲れた避難民の心を苛んでゆく。  だが、残念ながら今のトゥリフィリ達に討伐は不可能だ。  大き過ぎるザ・スカヴァーと戦うには、相応の戦闘フィールドが必要だ。あの狭い地下道では、相手が身体を推し進めるだけで人間は潰されてしまう。 「でも、収穫もあったよねえ。ほら、さっきの話」  そう言ってへらりと笑うのはカジカだ。  トゥリフィリは今、カジカと一緒に自動販売機前で小休止だ。それはミーティングという名目で、カジカが連れ出してくれたのだ。  相変わらず会議室の空気は険悪で、最悪で。  だから、個別の確認事項があるからとカジカが誘ってくれたのだ。  こうしてる今も、ナツメとリンは舌戦を交えて対立している。  お互いの立場もあるだろうし、危機的状況ですら譲り合えないこともあった。 「白詰草ちゃん、その……光に怯んだって話、大事だと思うよお? オジサンはさ」 「うん。確かにあの時、チサキのせいで落ちたスタングレネードが爆発して」 「ピカーッと光って、それでスカヴァーちゃんは引き下がったと……貴重な情報だよ」  そう言ってカジカは、手元のタブレットに目を落とす。  彼は先程から光学キーボードを浮かべて、忙しく情報を整理していた。こうしてトゥリフィリのヒアリングをしながらも、池袋や渋谷のことも報告書にまとめているのだという。  とりあえず、ナツメはザ・スカヴァーに関しては現状維持を選んだ。  自衛隊もそこだけは合意で、今は倒す手段がないため戦えない。  ただ、キリノが対抗策を考えてくれているようだ。 「で、どする? 白詰草ちゃんさ、最近休んでないでしょ? 休暇、いっちゃう?」 「え、いやあ……チェロンさんの言ってたクエスト、色々受けてみようと思って」 「シイナちゃんやノリト君もやってるし、無理しなくてもいんだよ?」 「ん、まあ……ぼくも身体を動かしてる方が気持ちが楽だから」 「そっか」 「はい」  こういう時、深くは聞いてこないのがカジカという男らしい。そして、それもまた大人の気遣いで、優しさで、そして強さだった。  そういえばとトゥリフィリは、以前から気になっていたことを聞いてみる。 「あの、カジカさん」 「ん? どしたのよ、白詰草ちゃん」 「それです、それ……何ですか? シロツメクサって。ぼくのこと、そう呼ぶから」 「ああ、んとねー」  素早くカジカの指がキーボードを叩く。  そうして彼は、タブレットの液晶画面を此方へ向けてきた。  そこには、見慣れた小さな植物の写真が浮かんでいた。 「これ、クローバー?」 「そ、シャジクソウ属の多年草……白詰草だよん」 「ってことは」 「トゥリフィリってのはギリシャ語で、この白詰草のことなのよ」  トゥリフィリは驚いた。  自分の名前が変わってるなとは思っていたが、親が世界を股にかける外国人同士なので……そういうものかと思っていたのだ。小さい頃はちょっと、異国のヒロインっぽい名前だとも思ってた。  だが、その意味はクローバー、白詰草のことだったのだ。  何故、両親はこの名を自分につけてくれたのだろうか?  それについての推論をカジカは話してくれた。 「クローバーってねえ、よく土手とかに植えられてるでしょう? 雑草の繁殖や土壌の侵食を防いでくれるんだよねえ。小さくても、人の暮らしを守る植物なのよ」 「そうだったんだ……や、昔なんかでクローバーって意味らしい、ってのは知ってたけど」 「で、うちの白詰草ちゃんは、フロワロの侵攻や竜の驚異からみんなを守ってくれてる。これはもう、幸運を呼ぶ四葉のクローバーだなあ……なんて、オジサン思うのさ」  面と向かって言われると、ちょっと恥ずかしい。  だが、しばらく会ってない両親が少し懐かしくなった。  この地球規模の大災害で、どこの国も無事ではすまないだろう。だが、不思議と両親は生きている気がした。今もどこかで元気にしている……そして多分、誰かのために竜と戦っている。正義の味方やヒーローではないけど、父も母も理不尽には立ち向かう、現状の困難は進んで打破する強い人だったから。  それは、育てられたトゥリフィリがよくしっている。  そんなことを思い出していると、不意にいつもの相棒の声が響いた。 「班長、メンテナンスが終了した。現場に復帰する……許可を」 「あ、ナガミツちゃん。人間ドック、終わった?」 「その表現は適切ではないぜ……俺は人間じゃねえからよ。ただのオーバーホールだ」 「ふふ、いつも通りみたいだね? じゃ、行こうか?」 「了解だ」  そこには、詰め襟姿のナガミツが立っていた。  何か飲むかと聞いたら、彼は自分でポケットからコインを取り出す。  物資が困窮している中でも、都庁内の幾つかの自動販売機は稼働している。科学文明の象徴である自販機は電力を消費するが、人の心に安心も灯してくれる。手を伸ばせば届く距離で、今は失われた暮らしを思い出させてくれるのだ。  ただ、回収班のゆずりは達が集めてきた飲み物を片っ端から入れてるので……どのボタンを押して何が出てくるかは、買ってみるまでわからない。  ナガミツは機械的な動作でコインを入れて、迷わず飲料水のボタンを押した。  ガコン! と自販機が飲み物を吐き出す。  それを覗き見て、カジカが意地の悪い笑みを浮かべた。 「うわあ、ナガミツちゃん……ハズレじゃなあい? サツマイモラテだって」 「問題ない。乳脂肪成分の含有量は俺の内臓系の許容範囲内だ」 「そういう意味じゃなくて、味さ、味」  紫色のボトルを手に取り、成分表を眺めていたナガミツは迷わずそれを開封する。そして、一口飲んでから真顔でカジカとトゥリフィリを交互に見詰めた。 「味はある。大丈夫だ」  思わずトゥリフィリもカジカも、吹き出してしまった。 「ぷっ、ふふふっ! あーもぉ、ナガミツちゃん! 味はある、って……あははっ!」 「真顔でキリッ! ってお前さんねえ。甘いとか辛いとか、そういう話を聞いてるのよ」 「待って、待ってカジカさん……お、お腹いたい、ふ、ふはは……」  ナガミツは不思議そうにトゥリフィリを見て、首を傾げた。  だが、それがおかしくて、そして笑い過ぎて涙が溢れる。  同時に、自然とトゥリフィリは一人の少女を思い出していた。その女の子は少し年上で、長い黒髪で、剣の達人で。そして、生まれて初めて飲んだコーラに感動していた。  その人はもういない。  そして、ほぼ姿と技を受け継いだ少女も行方不明だ。  今頃キリコは……今のキリコはどうしているのだろうか?  ふと気になった、その時だった。 「そうだ、班長。チェロンから仕事を頼まれている。面倒なことらしく、どうしても13班の手を借りたい事案とのことだ。生憎とシイナ達は別件で出払っている」  そう言ってナガミツはポケットからメモ用紙を取り出した。  ハイテクの固まりのナガミツが、アナログな紙とペンで情報伝達してくるのが少しおかしい。 「ナガミツちゃん、携帯……ないの?」 「通信機能なら内蔵されている。このメモは班長不在の際に書き置きとして――」 「携帯ないんだ。そっか……ねね、カジカさん」  トゥリフィリの言葉をすぐにカジカは汲んでくれた。  そして、二人はエグランティエと合流してクエストに出発する。依頼主はアサミという避難民で、親友のサチを助けて欲しいという。サチは最近、この不安定な情勢の中で台頭してきた新興宗教に連れて行かれてしまったらしい。  トゥリフィリは仲間達と、かつて拠点とした地下シェルターへ向かうのだった。