その声は、まるで歌うような、嘆くような。  おどろおどろしい呪文のように、寂れた地下シェルターの奥から響いてくる。  改めて着替えたキリコと合流して、トゥリフィリはその中心へと進んでいた。  かつて、人類が絶望に屈して俯くしかできない時期があった。その時、多くの者がここで生き長らえ、生き抜くことすら地獄に思えていた。  久方ぶりに訪れる地下シェルターは、その奥にさらなる闇を抱いているようだった。 「何の声だろ……ね、ナガミツちゃん。何か解析は……って、ナガミツちゃん?」  隣を歩くナガミツを見上げれば、その顔は不機嫌そうだ。  全く普段と変わらぬ無表情に見えるが、トゥリフィリにはわかる。どういう訳か、彼の仏頂面から多種多様な感情が読み取れる気がしていた。それが受け取る側のトゥリフィリが持つ思い込みだとしても、そう思うように接してきたつもりである。  そのナガミツは、トゥリフィリの逆隣を眇めて目を細めた。 「班長、まずはキリコを連れて都庁に戻った方がいい。班長だけでも」 「え? でも、ナガミツちゃんとエジーが二人だけになっちゃうよ。それに、二度手間になっちゃうし」 「班長はキリコを確保したまま帰還、その後は休息が必要だ。俺等だけでここは片付ける。片付く筈」 「筈、って……」 「キリコでも、都庁まで班長の護衛くらいはやってみせるだろうさ」  珍しくナガミツは、トゥリフィリの言葉に聞く耳を持たない。  いつも班長だの責任者だの言って、指示や命令を待ってから動くのがナガミツだ。だが、今の彼は何故かトゥリフィリを遠ざけたがっている。  訝しげに思っていると、逆側の隣から声があがった。 「おいっ、贋作! キリコでも? でも、って何だ! 私を侮辱しているのか!」 「うるさい、なまくら。班長に何かあってみろ、13班の損失は計り知れない。お前は班長と都庁に帰れ」 「何をっ、お前!」  自然とトゥリフィリの微量から溜息が零れる。  だが、キリコは地下シェルターの一角で生活していたことをすぐに思い出した。それでなだめつつ、彼女に……彼女へ作り変えられた彼へと聞いてみる。  答は意外なものだった。 「あの連中? 私は中央ホールの方にはいかないからわからないけど、ここ一週間で急に現れたんだ」 「どういう人だった? 要救助者かもしれない、それも沢山の。拠点が都庁に移ったことがまだ伝わってなくて、それでここに逃げ込んだのかも」 「い、いや、それはない! 救助の必要はない人間た……救い難い、っていうか」 「駄目だよ、キリちゃん? そういうこと言っちゃ、駄目。救い難いだなんて」  ぐぬぬと唸ってキリコは黙った。  それを見てナガミツが、フンと小さく鼻を鳴らす。  どうして仲良くできないのかと、トゥリフィリは頭が痛くなってきた。だが、無理からぬ話だとも思う。太古の昔から日ノ本を守ってきた血族のキリコから見れば、機械のナガミツは贋作、偽物の斬竜刀だ。  ナガミツだって、キリコが急遽作られた秘術の産物と知ればなまくらに見えるだろう。  だが、トゥリフィリには二人が斬竜刀かどうかはあまり重要じゃない。  二人共大事な仲間で、これからもっと大切になると思っているのだ。  先頭を歩くエグランティエが振り返ったのは、そんな時だった。 「この扉の先だけど……フィー、いいかい?」 「ん? いいかい、って」 「進むならちょいと覚悟が必要って話さね。……本当にいいかい?」 「えっと……」  扉の前でじっとエグランティエが見詰めてくる。  その意味が少し理解できないでいると、先程の言葉が繰り返された。  ナガミツは珍しく、トゥリフィリの肩に触れてくる。  引き止めるような手の感触には、機械の冷たさとは別種の温度が一緒に感じられた。 「班長、ここは俺がやっておく。俺一人で問題があるなら、エグランティエを置いていってくれ」 「え、ちょ、ちょっとナガミツちゃん! ……待って。ちゃんと理由を話して」 「あとで報告する。今はキリコの確保を優先してくれ。俺ぁちょっと……行ってくる」 「待って! 待ってよ、そういうのは駄目だよ」  直感的に理解した。  この先に広がる光景を、ナガミツは知っている。  そう言えば以前、カジカが言ってた……ナガミツは人型戦闘機、斬竜刀として作られた戦闘用の躯体をもった機械だ。そのセンサーは人間を凌駕する聴力に置き換えることができると。  それを思い出していると、エグランティエは溜息を零す。 「辰切、ちゃんとフィーに決めさせな。お前の気持ちもわかるけどねえ……本当に大事なら、その意志をも一緒に守らなきゃなんないんだ」 「……了解した、エグランティエ。お前の言う通りだ」  ちらりと見れば、キリコもどうやら大体の事情を知っているらしい。  だが、奥せずトゥリフィリは前に出た。  自分でエグランティエの奥の扉を、ゆっくりと開いていく。  ナガミツがそうであるように、自分もまだまだ未熟で、だからこそ学びたい。そういう気持ちが何に触れても、何かを吸収できると信じていた。  まだ、信じられていたのだ。  何からでも糧を、経験を得られると。  その内容を上回るコストやリスクを、この時はまだ知らずにいられた。 「行こう、みんな。ぼくはね、自分で見て聞いて、自分で決める。その結果で困ったら、みんなに助けてもらうから。力を貸してね……じゃあ、行くよ」  ドアの向こうには薄暗い景色が広がっていた。  そして、誰もが跪いている。  一心不乱に頭を下げ、額を床に擦り付けている。  その集団の中心には、一人の紳士が穏やかな声を広げていた。まるで聖人のように、堂々と言の葉を紡ぐ。朗々と響く声音が、場の静寂を荘厳なものにしていた。 「皆さん、恐れる必要はありません。神の審判により、御使いの竜が大地を覆ったのです。竜は神が遣わした罰であると同時に、救い。飢えも病もない楽土へと、不浄な肉体を食べることで魂を解き放ってくれるのです。……む? おや、貴女達は」  男が説法をやめて穏やかに微笑んだ。  だが、瞬間的にトゥリフィリは自分の中の警戒心を励起させる。  その男は、澄んだ瞳を優しげに細めている。  そうしてにこやかにこちらへと歩み寄ってくるのだ。  そこにトゥリフィリは、はっきりとした悪意を感じる。証拠も根拠もない、ただ自分の中の直感が訴えてくるのだ。先程の言葉は耳に優しく、聴き心地がいいだろう。しかし、この未曾有の大災害を救いだと言うのは許せない。  望まぬ者さえ救いに巻き込むならば、それは独善だ。 「……あなたがここの責任者ですね? この地下シェルターは封鎖された施設です。すぐに都庁に戻ってください。道中はぼく達が護衛しますのでご安心を」 「おやおや……たしか貴女は、ムラクモ帰還の。おお……おお! 罪深き竜殺しの背教者! 皆さん、気持ちを鎮めて……こんないたいけな少女を使って、神罰の滅びと救いを拒む人間がいるのです。しかし、恐れてはいけません」  ――聖竜光浄会。  ナガミツが教えてくれた名が、このカルト集団を示すものだ。  竜へ喰われることは救いへの道だと説き、不安で避難民を煽って信者にしているらしい。そして、数少ない物資や配給食料、そして勿論金品をも巻き上げているのだ。  トゥリフィリは立ち上がる信者達の虚ろな目を見て思い出す。  以前ここに逃げ延びた誰もが、あんな顔をしていた。  その絶望から立ち上がって、抗うことを決めるまで時間がかかった。  そして、今でも立ち上がれない人達が、こうして扇動家にかどわかされている。  怒りを感じてそのことを言葉にしようとしたが、先に走る声が凛と響いた。 「七つの悪徳って奴だねえ……ちょいとアンタ、知ってるかい?」  エグランティエは奥せず前に出て、首謀者の男を睨む。 「非暴力での抵抗で民族の尊厳を守った、ガンジーって人が昔いた。知ってるかい?」 「ええ、承知してますとも。彼の非暴力を見習い、私達も竜の裁きに身を委ねねばなりません。それを貴女達は……野蛮な力で神の御使いを殺し、その死骸を糧としている」 「勘違いはやめなよ。ガンジーは非暴力という力で抵抗したんだ。最後まで抗い、理不尽や不条理と戦ったんだ。ちょいとお勉強が足りないねえ? 宗教家さん」 「っ! し、しかし――」  エグランティエは周囲を見渡し、依頼人のアサミが助けてほしいと願った少女を探す。やがて、一人の少女の手を取りエグランティエは振り向いた。  そこには、普段の眠そうな瞳はなかった。  ただ怒りに燃える双眸が、眼差しの刃でペテン師を切り裂く。 「理念なき政治、労働なき富、良心なき快楽、人格なき教育、道徳なき商売、人間性なき科学……そして、献身なき宗教。これは全て悪徳さ。言い得て妙だろう?」 「なっ、何が言いたい! 私は、私達は」 「竜に喰われて救われるってんなら、一人で喰われな。それをわたし達は止めるけどねえ……で、あんたの神様はどうして、あんたにそんなに富を集めさせるんだい? 何故、不安に凍える人達から全てを奪う! ……答えられないのかい? そうだろうねえ」  エグランティエの怒りと憤りを、トゥリフィリは初めて見た。  そして知る……彼女が代弁していたのは、いつもの鉄面皮を凍らせてしまったナガミツと、唇を噛むしかないキリコの叫びだったのだ。  結局、説得したがサチは一緒に戻ってはくれなかった。  トゥリフィリ達は苦い想いを抱えながら、かつて身を寄せ合った拠点をあとにするのだった。