都庁の裏手には、倒壊した建物や瓦礫を取り除いた広場がある。  死者を荼毘に付したりする必要もあるから、自衛隊の人員が区画整備をしてくれたのだ。それで、日中は子供や年寄りが広々とした中で思い思いの時間を過ごしている。  鬱屈が溜まってはいけないと、この都民広場にはトゥリフィリもよく顔を出していた。  陽の光が温かい今日など、清々しい風がとても気持ちいい。 「……で、二人は何やってんの? キリちゃん」  今、トゥリフィリの目の前のベンチに、小さな少女が据わっている。  セーラー服姿に長い黒髪は、キリコだ。  彼女はぶすっとした顔で何も言わない。  トゥリフィリはその横顔を覗き込みつつ、隣に座る。目を合わせてくれないし見てもくれないが、キリコは駄目とは言わなかった。  そして、二人で広場の中央を見やる。  子供達が囲んで歓声をあげる中で、二人の男が拳を繰り出し合っていた。 「ハハッ、小僧! やるじゃねえか……いつもの正確無比なお利口さんパンチはどうしたぁ!」 「あんたにゃ当たらねえよ。俺は、今……あんたを盗んで……盗み終えてんだ」 「そいつぁいい! そうだ、小僧……ナガミツ! 自分の拳に自由を握れ。型にハマった格闘モーションなんざ、捨てちまえ!」 「余裕こいてベラベラと……黙れよ、オッサン」  二人はまるで、踊っているようだ。  見ただけでそう印象を抱いたから、格闘訓練で模擬戦をしているとトゥリフィリは気付けなかったのだ。  ナガミツとガトウが、互いの拳で空気を渦巻かせる。  二人を中心に、見えない気流が天へと舞い上がる。それは、子供達の声を無数に吸い込みながら荒れ狂っていた。ここにいても、繰り出される剛拳の風圧を感じそうだ。  不思議とトゥリフィリには、ナガミツが必死で懸命な顔をしているように見えた。  普段と変わらぬ無表情が、トゥリフィリには無邪気な少年に見えたのだ。  そして、同じ二人を見てキリコがぽつりと漏らす。 「私……行ったら迷惑なのか? 池袋。私は、戦ってはいけないのか」  小さな女の子の言葉にしては、切実な声音だった。  そして、小さな女の子にされてしまった少年の言葉でもある。  トゥリフィリはちょっとだけ隣に座り直して、キリコに寄り添う。その膝の上に握られた手に、そっと手を重ねる。 「……班長、同情ならいらない」 「ん、同情とはちょっと違うけど、さ。でも、キリちゃん。ぼくは、キリちゃんには無事で安全なとこに居てほしいよ? キリちゃんだけじゃなく、仲間は誰もが全員そう」 「あの贋作も……ナガミツもそうなのか?」 「そだよ。本当はさ、みんな戦わなきゃいいのにって思う。ぼくも、自分で戦いたくないなって。でも、戦えちゃうから。今、それしかできないし、他の人にはできないことだから」  ようやく顔を上げたキリコは、じっとトゥリフィリを見詰めてきた。  こうして見ると、死んだ先代の羽々斬の巫女……サキに似ている。瓜二つなのは、そういうふうに作り直されたからだ。今のキリコは、躰の半分がサキなのだ。  そのことで彼女は、はっきりとナツメに言い渡された。  次の巫女たる女児を産むことこそが、本当の使命だと。 「ね、キリちゃん。ぼくは『自分にしかできないこと』をやるけど……それは同時に『自分がしたいと選ぶこと』なんだ。だから、キリちゃんしか次の巫女が産めなくても……キリちゃんが嫌なことを、ぼくはしてほしくない。させないようにしてあげたいんだ」 「班長……」 「何か、その班長ってこそばゆいな。ナガミツちゃんもそう呼ぶしさ」 「えと、じゃあ……」  チラリと上目遣いに、キリコが見上げてくる。  彼女は口籠りながら、微かに聴こえる声で呟いた。 「……姉さん」 「えっ?」 「は、駄目……だから。姉さんは、一人しかいないから」 「う、うん」 「……トゥリ姉、って呼んでも、いい?」 「わはは、いいよー」  ポンポンと黒髪の頭を撫でつつ、内心は「そう来たか」と少し焦る。キリコは今、自分でも自分のことをうまく整理できないのだ。そして、制御もできないのかもしれない。  でも、とりあえず班長と呼ばれるよりはいいかもしれない。  キリコはちゃんと、トゥリフィリが姉ではないことも、姉の代わりにならないことも知っている。知った上で、上手に甘えようと頑張ってくれているのだ。 「で、だね……あっちのナガミツちゃん。彼さ、ずーっと班長って余分だよね」 「ああ、それは」 「あ、贋作だから、ってのナシね? もー、キリちゃんもさ。仲良くしろなんて言わないけど、いがみ合ってても疲れちゃうよ? 見てるこっちも疲れるし」 「……ごめん、なさい。でも、贋作が……じゃない、あいつが……ナマクラって、言うから」  喧嘩両成敗だなあと思いつつ、そういえばとトゥリフィリは振り返る。  あのナガミツが、自分の存在を表す呼び方に、あんなに固執を見せたことが不思議だった。彼は自分を、班長ことトゥリフィリの管理する備品と言ってはばからない男だ。いかにもロボット然とした態度の時も多いし、その感情は顔に出ることがない。  トゥリフィリみたいに注意して見れば、考えや気持ちはわかるのだが。  そんな彼が、贋作呼ばわりすると珍しく否定してくる。  それも全力で。 「それなんだけどさ……あ、丁度良かった。ちょっち! ナガミツちゃん、ちょっち」 「了解した、班長」  丁度、稽古が終わったらしい。  巨体に似合わぬ早業で組み伏せられていたナガミツが、ガトウに手を貸されて立ち上がる。二人がこっちにやってきたので、トゥリフィリは手招きしながら聞いてみた。 「あのさ、ナガミツちゃん。お願いがあるんだけどさ……キリちゃんのこと、ナマクラって言うの、禁止ね」 「それは、こいつが……あ、いや。班長の命令ならば従う」 「命令じゃなくて、お願いでーす。いい? キリちゃんも、贋作なんて言っちゃ駄目。人間には、本物も偽物もないんだから」 「班長、俺は人間じゃない。でも……俺だって斬竜刀だ。こいつと同じ、斬竜刀なんだ」  その言葉を受けて、キリコも「私だって……」と俯いてしまう。  だが、後ろで腕組みしながらニヤニヤ笑っていたガトウが間に入ってくる。 「二人共、お嬢ちゃんの言う通りだぜ? 贋作だナマクラだは関係ねえ……お前等、二人共斬竜刀だ。そうあれと願われ、祈られ、生まれたんだ」  そして、バン! とナガミツの背を叩いてガハハと笑う。 「小僧! そして、羽々宮のボウズ! お前らは斬竜刀だ。だから互いに競って支え合い、いつか……いつか、真打ちになれ」 「真打ち?」 「そうだ。そして、覚えておけ。刀ってのは、大小って言うじゃねえか。太刀だけじゃ不便だし、脇差しだけじゃ戦えねえ。お前等も一緒だよ、一緒。腰で大小が贋作だナマクラだって騒いでちゃ、ぶら下げてるお嬢ちゃんも鬱陶しいだろ。なあ?」  どうやら、大小二振りの斬竜刀を佩くのはトゥリフィリということらしい。だが、一応はムラクモ13班の班長なので、二人を活かすも殺すも自分次第という気持ちが理解できた。そうあらねばとも思ったし、そうガトウが望んでくれてる気がした。 「えっと……じゃあ、ぼくのお願いを二人共、いいかな?」 「俺は異存はない」 「私だって、別に」 「じゃあ、はい握手ー! なんて言わないから安心して。でも、これは知っておいてね……二人が協力して戦えば1+1を10にも100にもできる。それは、仲間も避難民のみんなも、他の大勢の人も助かるんだから。ねっ?」  ガトウは大きく頷いて、愉快そうに大声で笑った。  こうして、池袋への進撃が始まろうとしていた。