高度200m上空、そこは生身の人間にとって空中の牢獄だ。  トゥリフィリは不自由な足場の中で、先頭を切って走る。捻れて捩れて、線路はうねりながら上へ上へと続いていた。  そして、油が焦げるような悪臭が漂ってくる。 「この臭い……急いで、みんなっ! まさか、まさかそんな……でもっ!」  トゥリフィリの横には今、ガトウが走っている。  巨体が嘘のようなスピードだ。  見上げる横顔に、普段の不敵な笑みはない。  その理由が突然、視界に飛び込んできた。 「おっと、お嬢ちゃんは見るんじゃねえ。……ひでぇ有様だ」  苦々しく呟くガトウが、広い背でブラインドになる。  だが、トゥリフィリと仲間達は見てしまった。  そこには、かつて人間だった成れの果てがあった。真っ黒に焦げて炭素化した、それは辛うじて人の姿をしている。周囲に散らばった装備品から見て、どうやら自衛隊の隊員のようだ。  シイナも突然の事で表情を失い、元から表情のないナガミツさえ唇を噛む。 「嘘……なんで自衛隊さん、こんな奥に。ねえ、ナガミっちゃん! あれ! あれって」 「わかってる。班長、ガトウも……これはどういうことだ?」  説明を求めたいのはトゥリフィリの方だった。  そして、少年少女を振り返るガトウが溜息を零す。 「ナツメの奴だよ。13班の援護に、自衛隊の先遣隊に突入命令を出したんだ」 「どうして! そんなことすれば」 「そうだ、お嬢ちゃんの言う通りだ。そして、そうなった。……クソッ! 間に合わなかった。また、人が死んじまう。また俺は、止められなかったって訳かよ」  ギリリと握ったガトウの拳が、震えている。  ナツメの判断は、指導者として正しいのかもしれない。  だが、まともな装備がないままに自衛隊を送り込めば、どうなるかはわかっていた筈だ。トゥリフィリ達S級能力者とは違う……ごくごく普通の人間なのだ。訓練を積んだとはいえ、その身は生身の人間なのだ。  マモノとドラゴンの巣窟と化した迷宮で、その力はあまりにも弱い。  思わず酸味がこ込み上げ、トゥリフィリは唇を手で覆った。  そんな彼女に並んで、ナガミツがガトウを見上げる。 「ガトウ、これは無駄な損耗だ」 「……無駄なんて言うんじゃねえよ。例え、無駄死にだったとしてもだ」 「何故、こんな無謀な命令を? 俺には理解できない」 「そうかい……俺も同感だ」  ナガミツは普段の鉄面皮だが、顔を背けるガトウをじっと見詰めていた。トゥリフィリもシイナに気遣われながら、どうにか気分を落ち着ける。  そして、線路が幾重にも重なり連なる先に……黒焦げの死体を無数に見た。  点々と続くそれは、死の行軍の顛末だ。 「酷い……ナガミツちゃん! 周囲、警戒して! いったいどんなドラゴンが」 「了解だ、班長。……ん、音……気圧変動、高周波……あそこか」  同時に、グイとトゥリフィリは腕を捕まれ引っ張られた。  今まで彼女が立ってた場所で、爆発。  あっという間に枕木が爆散して、線路が飴のように溶けて踊る。  超高熱による攻撃だ。  そして既に、それが発射された先へとガトウが走り出していた。 「手前ぇか、自衛隊をやったのは! 小賢しいって、んだ、よぉ!」  怒りの拳が唸りをあげた。  その時にはもう、ナガミツが引っ張った反動で逆に押し出してくれる。  半ばナガミツに放り出されるような形で、トゥリフィリも走り出した。  立ち止まってはいられない。  自衛隊の隊員達みたいに、死んではやれないのだ。  それこそ、無残に散った者達の行為を無駄にしてしまう。  だが、無駄でなければ死んでもいいなんて、トゥリフィリには考えられなかった。 「ナガミツちゃん、ナイスッ! 速攻で潰す! あれは……大砲!?」 「固定砲台のようだ。道を塞いでる。シイナ、背後を頼む」 「んー、それって……背中預けてもらっちゃってる? オーライッ、任された!」  ガトウの怒りの鉄拳が、線路に陣取る放題へと吸い込まれる。  だが、その向こうも同じタイプが無数に連なっていた。  そればかりではない……フロアの中央に、一際巨大な大砲がある。それは、回転砲塔をゆっくりとこちらへ向けてきた。  トゥリフィリは電光石火の早撃ちで、ガトウが向き合う放題を黙らせる。  悲鳴が聴こえたのは、その時だった。 「ああっ、13班! よ、よかった……こっ、ここ、ここに、中継ポイント、を――」  自衛隊の生存者が、そこにはいた。  丁度、一番大きな砲台の近くに竦んでいる。  彼の足元には、既に事切れた黒焦げの死体があった。高高度の風は容赦なく吹き付けて、パラパラと黒い渦を巻いて遺体を消してしまう。  こんなのは、人の死に方ではない。  命をかけてくれる自衛隊員への、侮辱だ。  だからトゥリフィリは、拳銃のマガジンを交換しながら走る。 「待ってて、今すぐに助けるっ! こんなの、間違ってる……こんな、こんなのって――」  瞬間、足元の感覚が消え失せた。  そして、泣きながら震える自衛隊員の、最後の一人が消し炭になった。  巨大な大砲は、一人の命と一緒にトゥリフィリの足元を消し去った。突然の浮遊感に、内臓が浮かび上がる不快感が襲う。  巨砲からの一撃を受けた男は、死体すら残らなかった。  そして、落下。  重力に捕まったトゥリフィリが落ち始める。 「ナガミっちゃん、フォローよろしくっ! フィー! 手! 手ぇ伸ばして!」  咄嗟にシイナが自分から飛び降りた。  その伸べられた手を掴んで、握り合う。  次の瞬間には、ガクン! とトゥリフィリは空中に吊り下げられた。  ダイビングしたシイナの細い足首を、ナガミツが身を乗り出してキャッチしていた。  だが、そんな三人を嘲笑うかのように、全ての砲門がこちらを向く。 「やばーい、大ピンチ! ナガミっちゃんにパンツ丸見えだよぉ」 「安心しろ、興味ない。それより、まずい……一斉射撃で撃ってくる」 「させねぇ! もう、誰も! 誰一人としてっ! 俺の前じゃあ……やらせねえ!」  空気を沸騰させる咆哮だった。  ビリビリと大気を震わせる怒気に、砲門が全て向きを変える。  その先に……全力で疾駆するガトウの巨体があった。 「デカブツはチャージに時間がかかるみてえだな!」 「ま、待って! ガトウさんっ!」 「懐にさえ飛び込めば……うおおおっ! 手前ぇ等の相手はっ、この、俺だああああっ!」 「ナガミツちゃん、援護! 援護してあげて! シイナも!」  揺れる中、片手でトゥリフィリが銃を向ける。  その頃にはもう、ガトウは集中砲火を浴びて爆発の中に消えていた。  燃え盛る紅蓮の中で尚、黒い影となって拳を振り上げる。  苛烈な一撃が、中央の巨大砲台へと叩き込まれた。  そして、全てが爆光の中へと消えてゆく。  トゥリフィリは目の前が真っ暗になる中、ただ無力に風に吹かれるしかできなかった。