雨が降っていた。  まるで天が泣いているようだ。  広がる空へと歪な天球儀を押し付けられ、その中で無数の命を散華させられたのだ。  トゥリフィリは忙しい一日を振り返り、呆然としていた。  医務室に来たのは、新しく来た仲間に引っ張り込まれたからだ。 「はい、これで大丈夫よ。軽い過労ね……貴女みたいな女の子が、働き過ぎよ?」 「すみません……ええと」 「フレッサよ。魔法の力でサポートさせてもらうわ。戦いも……必要ならば、躊躇わない」 「魔法?」 「ええ。ふふ、フィー……って呼ぶわね? 貴女だけに秘密を打ち明けるわ。私……魔女なの」  そう言って笑う白衣の女性は、三十代には見えない。微笑めばまるで、同年代の友達のようだ。同時に、今すぐ甘えれば母親のように包み込んでくれそうである。  だが、トゥリフィリは自分を律して立ち上がる。  13班の班長として、やるべきことが山積みだった。  そんな彼女を見送り、医務室でフレッサh呼びかけてくる。 「無理しちゃ駄目よ。貴女だけが背負う必要はないわ……みんなで分け合って頂戴。私は新参者だからよく知らないけど……死んでいい人間なんて、いないもの」 「はい……でも、じゃあ、だからこそ」 「フィー……」 「そうだったら、尚更。今、ぼくが隣に必要な人がいる、気がします」  ――ぼくが隣に必要な人。  それは『ぼくが隣にいて欲しいと思う人』だろうか?  それとも『隣にぼくがいたほうがいいと思える誰か』なのか?  わからないが、感じる。  都庁全体が、多くの犠牲者を出しての撤退で沈黙に沈んでいる。折しも強い雨が降ってきて、それで池袋からのレーザー攻撃も止んでいた。だが、弾着は既に都庁周辺にまで範囲を狭めてきている。  砲撃の精度があがっているのだ。  もう何日もしないうちに、強力な破壊の光が都庁を焼くだろう。  それを防ぐのもまた、13班の任務……だから、立ち止まれない。  多大な犠牲者の遺体なき死に、そうしてしか報いてやれない。 「あ……あれは、キリちゃん?」  雨の中、並ぶ墓標の前にセーラー服姿の少女が立っている。  ズブ濡れで、ガトウの墓の前に立ち尽くしている。  その背があまりにも細くて弱そうで、今にも消えてしまいそうで。思わずトゥリフィリはドアから飛び出しそうになった。  だが、そんな彼女をそっと止める男女がいた。  キジトラとチサキだ。 「まあ待て。ここは一つ見守ってやらんか? 俺様達と一緒に」 「そうそう、グッと我慢だよ? ……冷たさに濡れていたい時もあるしさ。それに……フィーだけがみんなを心配な訳ないじゃん? みんなだってフィーもみんなも心配だよ」  二人の言う通りだ。  そして、以外な人物が外に歩いていた。  それは、彼女が真っ先に心配していた男の子だ。メカだとかマシーンだとか、ロボットであるとかに関係なく……いつも隣にいてくれた、自分を備品とうそぶく少年。  ナガミツは確か、最後まで山手線天球儀に残って事後処理をしていた筈だ。  どれだけの悲しみを見て、苦しみを拾ったのだろう?  彼にも心がある、それを感じるだけの気持ちがトゥリフィリにはある。だから、機械だからとそんな命令をしたナツメへの不安は募った。  そっとドアから顔を出して、様子を伺う。  雨音の中で途切れ途切れに、二人の会話が聴こえてきた。 「おい、なまくら……は、やめたんだったな。悪ぃ……なあ、キリ」 「……なんだよ、贋作。あ、ゴ、ゴメン……でも、キリって」 「班長が前に、言ってた。愛称で呼び合うと、連帯感が親密になる」 「気持ち悪いな、何か……で、でも……そうだな、ナガミツ」  言葉少なげに、二人は濡れるままに墓の前に立つ。  並ぶ墓標の下には、遺体などない。勿論、ガトウもだ。強力な砲台のビームは、人間を炭素の塊に変えてしまう。そしてそれは、触れるだけでボロボロと形を失ってしまった。高高度の風にさらわれ、人の命が文字通り散っていったのだ。  押し黙るナガミツは、思い出したように右手を突き出す。  そこには、見覚えのある布切れが握られていた。 「ん」 「これ、は……?」 「あのおっさんの……ガトウのバンダナだ。これだけが、線路に引っかかっていた」 「そうか……お前、持ってろ。私は、いい。そんな資格、ない」  トゥリフィリは胸を抉られるような気持ちだった。  すぐにも飛び出したかったが、さっき決めたのだ。同じ気持ちのキジトラやチサキと一緒に、黙って見守ると。  キリコは、どれほど自責の念に苛まれただろう。  日ノ本と民を古代より守りし、凶祓いの一族……羽々斬の巫女。そのピンチヒッターとして無理矢理少女にされた少年は、戦うことさえ許されなかった。自分がいたら守れたかもしれないと、並ぶ死を前に考えてしまうだろう。  そして、その場にいてさえ何もできなかったナガミツとて、悔しさは同じ筈だ。  そう、トゥリフィリははっきりと見て取った。  無表情の鉄面皮な、あのナガミツが悔しげに顔を歪めているのを。 「お前が持ってろ、キリ。……お前が、斬竜刀だ」 「なんだよ、それ……お前も、だろ? 貸せって」  大きなバンダナを受け取ると、キリコはそれを二つに千切る。  そして、半分を再びナガミツの胸に押し付けた。 「私とお前が、私達が斬竜刀だ。誰にも贋作だなまくらだは、言わせない……それだけの戦いを、これから始める。ついてこれるか、ナガミツ」 「……誰に言ってんだよ、誰に」 「お前に……斬竜刀にだ」 「わかった。斬竜刀に言われちゃ、しょうがねえな」  誰かが言った……二人は大小、二振り揃っての斬竜刀だと。  その人はもう、いない。  二人の、みんなの胸の中へと去ってしまった。  だから今、その想いを秘めて進むしか無い。  ナガミツはじっと濡れたバンダナの片割れを見詰めている。キリコはそれを、自分の髪に結んだ。濡れた黒髪の一房を、紫色の布地が小さく飾る。  そして、キリコはポンとナガミツの背を叩く。  あんなに優しくナガミツに触れるキリコを、トゥリフィリは初めて見た。 「お前、ちょっとトゥリねえのこと、見てきてよ。……心配、だから」 「……お前も、行くか?」 「いや、いい……もう少し、ここにいる」 「泣いてる、のか?」  肩を震わせ、身体を伝う雨にキリコは涙を交えて泣く。  だが、ゴシゴシと拳で瞼を擦りながら、黙って墓の前に立っていた。  ナガミツはそんな彼女の肩をポンと叩いて、こっちに来る。  目が合って見つかってしまったが、トゥリフィリはドアを開けてナガミツを出迎えた。どうしていいかわからないような、まるで迷子の子犬みたいな顔の相棒がいた。  そう、相棒……気付けばナガミツは、いつも一番近くで守ってくれていた。  人の隣を歩く者として生まれたと、彼は行動で教えてくれたのだ。 「……貸して、ナガミツちゃん。それ、結んだげる」  バンダナを受け取り、ナガミツの左腕に巻きつけ、結ぶ。もう、二度と離れないように。決して、離さないように。ガトウの魂が天国にいっても、残してくれた多くの戦訓がトゥリフィリ達の中にある。  だから、その全てを皆で背負うために、トゥリフィリはナガミツへと形見を託したのだった。