再び、会議室。  重苦しい沈黙の中で、トゥリフィリは身を正して座る。椅子が足りないので、背後に背をシャンと伸ばしたナガミツが立っている。他にも、ムラクモ回収15班のツマグロやゆずりは、カネミツも顔を出していた。  避難所と化した都庁の、責任ある立場が勢揃いしている。  その中でも、普段と変わらぬ声音が優美に響いた。  ムラクモ機関総長、ナツメだ。 「みんな、ご苦労様。池袋の山手線天球儀、半分まで進んだわ。今、中継地点を作らせてるから。もう半分、この調子で頑張って頂戴」  バン! と空気が震えた。  机を叩いて立ち上がったリンが、怒気を荒げて叫ぶ。 「この調子で、だって? お前っ、自分が何をしたかわかっているのか!」 「あら、リン。そうね……貴女にもお礼を言わなきゃいけないわね」 「なっ……」 「貴女のおかげで、予定通り順調に攻略は進んでいるわ」  ナツメは普段の微笑を全く崩さない。  逆に、リンの形相はみるみる憤怒に塗り固められていった。  今も彼女は、都庁の生活環境改善から周囲の警備、防衛まで忙しく働いている。この場にもボディーアーマーで身を固めた野戦服姿で出席しているのだ。  その彼女の部下が、何人も帰らぬ人となった。  それも、ナツメの無謀とさえ言える命令によって。 「何故……どうして先行していた部隊を無理に突撃させた! 無駄な犠牲を強いて!」 「誤解しないで頂戴、リン。無駄ではないわ。尊い犠牲、そして引き換えにした情報を元に事態は前進している。それに、好転してるわ」 「何事にも犠牲はつきものだと、そう言いたげだな!」 「それは前提条件に過ぎないのよ。ただ、犠牲は少ない方がいいし、必要ならば躊躇う理由はないわ。非常時だということは共通認識として理解できてると思います」  冷たい沈黙が会議室を包んだ。  そのままどんどん、重苦しい空気の中へと誰もが沈んでゆく。  トゥリフィリはただただ、涼しい顔で周囲を見渡すナツメに溜息が溢れた。  この場の誰もが、大事な人間を失っているのだ。そして、一番多く部下を失ったのはリンなのだ。それも、自分の命令ではなくナツメの命令で。  昼夜を問わず、寸暇も惜しんで働いていた自衛官達。  流災害という未曾有の天変地異の中で、彼等は責務を果たしていた。  そして、僅かな情報と13班の安全のために、その命を散らしたのだ。  トゥリフィリは重い口を開く。 「……ガトウさんも、亡くなりました。ぼく達を、守って。ぼく達の道を、切り開いて」 「そうね。惜しい人材だったわ。稀有な能力の持ち主だった。でも」 「でも、って言えるのは……行きてるから。それでも、って言えることがぼく達はできる。でも、もうガトウさんは……自衛隊の皆さんは、そんな言葉を奪われました」 「ええ。ドラゴンとマモノの跳梁によってね。勘違いしないで頂戴? 目的と手段を履き違えては駄目……私達は流災害を乗り越え、帝竜を全て倒して人類の生存圏を取り返す必要があるの」  正論だ。  理屈は通るし、何も破綻はない。  だが、決定的な欠落がある。  ナツメは東京が、世界が平和になれば……そこに一人になっても暮らしていけるのだろうか? 取り戻すべき未来に誰かがいなければ、今は辛うじて踏ん張っている人間から力を奪ってしまう。そういうことを考慮に入れたりはしないのか。  何より、心で感じることはないのだろうか。  トゥリフィリが言葉を失う中、バリバリとビニールの引き裂かれる音が響く。  振り返れば、席の隅でアオイが菓子を食べていた。  彼女は机の一点を凝視したまま、黙々とチョコバーを食べている。  発言の途絶えた会議室で、何事もなかったようにナツメが議事を進めようとした、その時だった。トゥリフィリの視界を何かが横切った。 「待って、ミツ!」  ゆずりはが思わず席を立つ。  だが、立ち止まらずに二人の少年は真っ直ぐナツメへと詰め寄った。  ゆっくりと、しかし毅然とした足取りで。  表情の乏しいナガミツの、その歩調が不思議と意志を感じさせる。そして、同じ顔のカネミツには怒りの表情すら浮かんでいた。  だが、二人を見るナツメの視線はあくまでも冷ややかだ。 「あら、何かしら? 一式。二式も」 「ガトウのおっさんが死んだ。それを俺は、処理不能な感情で確認した。俺には感情があった……そして、その気持ちが今、ここに俺を立たせてんだ」 「よせよせ、一式。話が通じない……何より道理が通らねえ」  ナガミツとカネミツは、揃ってナツメを間近に見下ろす。  その時、トゥリフィリは初めて見た。  自分だけがかろうじてわかる、無表情の中から拾える感情の機微とは違う。いつものあの、不器用な表現とはまるで違った。  ナガミツは今、確かに表情を歪めて怒りと不快感を浮かべていた。  それはほんの些細な変化だが、彼が初めて見せる表情だった。 「……その怒りは私ではなく、ドラゴンとマモノに向けるべきね。その意味も価値もわからないのなら、貴方達も所詮はその程度のマシンということよ」  どこまでも泰然とした態度を崩さず、語気を強めてもナツメの声は優雅にさえ感じる。  だが、そんな彼女に二人の斬竜刀が迫った、その時だった。  ナガミツとカネミツの間をすり抜け、細い影が歩み出る。  誰もが予想だにせぬ、乾いた音が響き渡った。 「な……」  絶句したナツメが、頬に手を当てる。  彼女は瞬きも忘れて、目を丸くしていた。  そんなナツメの前で、振り抜いた手を下ろすのはアオイだ。  その目には、今にも零れそうな涙が溢れ出ていた。 「……恥ずかしい女」 「なんですって」 「悲しんでばかりじゃ、何もできない。誰も救えない! わかってる! でも……悲しみを忘れたら、何もする意味ない。自分だって救えやしないんだ」 「幼稚な発想ね……キリノ、彼女を拘束して。S級能力者とはいえ、組織の規律を乱すようでは……キリノ? どうしたのかしら、キリノ」  ナツメは努めて平静を装いながら、背後を振り返る。  そこには、白衣姿のキリノが立っていた。  彼は今、いつものようにナツメをフォローして場の空気を纏めようとしない。今までそうして、ナツメを立ててきたからこそ、彼女の独断が悲劇を生んだのだ。そして、そのことを誰よりも悔いているのはキリノ自身かもしれない。  彼は眼鏡を上下させながらおずおずと歩み出る。 「ナツメさん……僕は今まで、貴女についてきました。貴女に、憧れてたんです」 「それが、何? 今は私情を挟む時ではないわ。危機はまだ去ってはいない! 倒すべき敵が厳然として存在しているのよ?」 「だからですよ。だから……これ以上、僕は……僕の気持ちだけで働く訳にはいかない」 「キリノ? やだわ、貴方までそんな……くだらないわ!」 「貴女が理解さえしてくれない、感情……気持ち、心、魂。そういったものを持つからこそ、人には意志が生まれる。意志あるところに道は開ける。今、そのことを僕は実感しています。犠牲が当然だなんて言葉を吐けるほど、僕達は犠牲を減らす努力をしていないから」  トゥリフィリも驚いた。  いつもキリノは穏やかで、どこか気弱で柔和な男だった。いつも会えば、体調を心配してビタミン注射をしてくれたり、ちょっとした時間にナビの二人とも遊んでくれた。仕事ではナツメの補佐に徹して、自らの意見を通すことをしてこなかった。  その彼が、ナツメの前を通り過ぎ、皆の眼前に出る。 「これから、ムラクモ機関は自衛隊と協力して帝竜攻略作戦を再開します。まず……すみません、これは私的なことです。祈りから、始めませんか? 死者を悼んで、僕は祈りたい」  黙祷から始まる、新たな関係の構築。  この日、ドラゴンから取れる希少資材Dzの自衛隊への供給が決定された。そして、総長代理として新たにキリノが、ムラクモ機関の全権を掌握、指揮を取ることになったのだった。