トゥリフィリは確かに見た。  かつて共に戦い、山手線天球儀に散っていった仲間の姿を。  間違いなく、ガトウだった。  見間違えようがない、そのシルエット……厳つい顔が秘めた、小さな優しさ。その片鱗を感じさせる表情は、どこか笑ってるようにトゥリフィリには見えた。  そして、ナガミツとキリコもどうやら同じものを見たようだ。  だが、二人は互いに頷き合うと走り出す。  慌ててトゥリフィリはあとを追った。 「ま、待って、ナガミツちゃん! キリちゃんも! 今、ガトウさんが――」  二人は止まらず、振り返りもせず走る。  だが、ナガミツは僅かに弾んだ声を返してきた。 「確かに感じたぜ……オッサン! 寝かしてやれなくて悪ぃな……おせっかいなこった」 「ナ、ナガミツちゃん!?」 「フィー、月だ……月を今、感じてるか?」  ナガミツの背中に追いつきながら、トゥリフィリは夜空を見上げる。  先程からずっと、漆黒の闇に巨大な満月が浮かび上がっていた。  怪しい蒼月の冷たい光に、ともすれば魅入られそうになる。 「さっきからずっと見えてるよ! ……おかしいよね、こんな大きな月って」 「そうじゃねえよ、フィー……感じないかって言ってんだ。お前達人間の得意分野だろ」 「感じる?」 「俺のセンサーでも異常は察知してんだ。ありゃ、ただの月じゃねえ」  すぐにマモノが、墓石の影から飛び出してきた。  キリコが抜刀と同時に、あっという間に切り伏せる。  暗闇に浮かぶ影が、あっという間に四散した。濡れた音を立てて落下する死骸が、走るトゥリフィリの背後に飛び去ってゆく。  息も乱さず血糊を振り捨て、キリコは小さく呟く。 「姉さんと一つになったから、わかる……女の躰の方が、月に敏感だ」 「……あっ、そうか。そういえば……変、だよね」 「うん。トゥリねえ、月を見てて! あの月は幻、虚像だ……潮の満ち引きさえ引き起こす筈の重力が、あれだけの大きさから全く感じない」 「なら、月に向かって走れ! だねっ」  月の光は、時に人の心を惑わせる。  知らず知らずのうちに、トゥリフィリもまた騙されていたのだ。それも、この迷宮を支配する帝竜に。  だが、ナガミツは察知していた。  キリコもまた、看破していたのだ。  二人を導いた人を、その消えることのない意思を、トゥリフィリも目撃していた。 「そっか、ガトウさん……ぼく達にヒントを。よしっ! 突っ切るよ、二人共!」  トゥリフィリの援護射撃で、居並ぶマモノ達が怯む。  その奥から、そびえるような巨躯が這い出てきた。  二本の後足で立つ姿は、まるで古代ローマの闘士だ。その前足は拳が握られており、鋲を打った鋼鉄のナックルガードが唸りをあげている。  ここにきて、新種のドラゴン。  だが、トゥリフィリ達は躊躇せずその眼前へと躍り出た。  すぐ前を走るナガミツとキリコが、阿吽の呼吸で連携を見せる。少し前まで、贋作だなまくらだといがみ合っていたことが嘘のようだ。 「キリッ、俺が奴を引きつけるっ!」 「その隙に私が……脚を殺す!」 「ヘマ踏むなよ?」 「そっちこそ!」  豪腕のドラゴンが、絶叫と共に拳を振り下ろしてきた。  小型トラックほどもあるその大きさ、質量が空気を震わす。  だが、ナガミツはそれを正面から両手で受け止めた。交差した腕と腕とが、常人ならば掠めただけでも致命傷の強打を押し止める。  バキバキと音を立てて、ナガミツの足元が亀裂を走らせ波打つ。  僅かに腰を沈めながらも、余裕の笑みを浮かべるナガミツ。 「あれ……ナガミツ、ちゃん? 笑って……!?」  トゥリフィリも確かに見た。  あのナガミツが、笑っていた。  それはまだまだぎこちなくて、自分でも意識した笑みではなかったかもしれない。だが、邪悪と戦い竜を狩る者、斬竜刀としての闘争本能が燃えて滾る。  不敵な笑みにも見えるその表情は、はからずもガトウの横顔に似ていた。  そして、鋼の肉体を躍動させながらナガミツは叫んだ。 「今だっ、キリ!」  そして、ヒュン、と空気が鳴る。  巨竜の足元を、疾風の速さでキリコが払い抜けた。  研ぎ澄まされし鮮烈なる一撃は、彼女が鍔鳴りに納刀すると同時に血柱を吹き上げる。両膝を切り裂かれて、ぐらりと巨大な竜はよろめいた。  すかさずトゥリフィリは、両手に握る拳銃を歌わせる。  放つ弾丸の全てが、特に傷の深い左膝を撃ち貫いた。 「っし、んじゃ、まあ……今度はこっちの番だ。そのデケェ面ぁ、さっさとどけろぉ!」  態勢を崩したドラゴンの拳が、ゆっくりと押し返される。  その下でナガミツは、震脚に足元を踏みしめた。  同時に、引き絞った右の拳に力を凝縮してゆく。  彼はそのまま跳躍、吠え荒ぶ竜の眉間へとまっすぐ正拳突きを解き放った。  メリリ、と肉が潰れて破れ、その奥で骨が割れて砕ける。  トゥリフィリの目にも、完璧なタイミングでインパクトした一撃に見えた。そして、その手応えを感じるからこそ、着地するナガミツがファイティングポーズを解く。  あまりの激闘に、周囲のマモノ達は固まってしまった。  そんな有象無象へと、ギラつく視線をナガミツは投じる。  どこまでも冷たく、触れれば身を焼く二律背反な殺気がほとばしっていた。 「まだやんのか? なら、かかってこいよ」  ナガミツの挑発の言葉に、マモノ達は一斉に逃げ出した。  常に世界の闇に巣食い、影から影へと潜んできたマモノ……その本能が、ナガミツを危険だと判断したのだろう。それほどまでに、今のナガミツは頼もしい。  頼もしい反面、少し怖い。  本当に彼は、人の姿をした戦う機械なのだ。  トゥリフィリはそれを、ナガミツの一面として改めて認識する。  そして、斬竜刀としての力だけが、彼でないことも胸に刻んだ。 「ナガミツちゃん、雑魚はあらかた片付いた、よね?」 「ああ。……で、どうやらあそこが終着点みたいだ」  ナガミツが形良い顎をしゃくる。  その先ではもう、セーラー服のスカートを翻して、キリコが歩いていた。  いよいよ巨大な月が空を覆う中、瓦礫が積み上げられた小山が屹立している。その上へと向かって、キリコは歩いていた。  すぐにトゥリフィリもあとを追う。  この迷宮の、歪に捻じ曲げられた空間の連なりの、その最奥……不可思議な世界を演出した帝竜との戦いが迫る。 「ねえ、ナガミツちゃん」 「ん? どした、フィー」 「ぼく、もう怖くないよ……幽霊とかオバケ、苦手だったけどさ」 「そっか」 「ナガミツちゃんとキリちゃんが一緒だから……怖くない」 「俺と一緒だな。……ま、俺はハナから幽霊なんざ信じちゃいねぇよ。そりゃ、心も魂もある人間の領分だ」  だが、隣を歩くナガミツは否定しなかった。  先程、確かにガトウに再会したことを。  ガトウとしか思えぬなにかが、道を示してくれたことを。  その先へと踏み込んだ三人の前に、巨大な影が舞い降りるのだった。