巨大な樹木が生い茂る中を、走る。  見知った町並みが消えゆく中を、トゥリフィリは雑念を捨てて駆け抜けた。  あの歌はまだ、聴こえている……まるで乙女という名の楽器を連想させる声音だ。だが、その調べは不意に途絶えて、同時に突風が襲う。  ナガミツやキリコが身構える中で、トゥリフィリも銃を抜いた。 「歌が止んだ? ナガミツちゃんっ、タケハヤさん達は!」 「ジャマーの方はいいみたいだぜ。で、歌は……駄目だ、もう消えちまった」 「無事だといいけど。それよりっ!」  上空に耳障りな羽音を響かせ、帝竜スリーピーホロウが降りてくる。  その極彩色は酷く攻撃的で、鮮やか過ぎて怖いくらいだ。巨大な毒蛾にも似た巨体は、ゆっくりとその場で滞空する。  すぐに戦いの火蓋が切って落とされた。  絶叫するスリーピーホロウの咆哮が、周囲の木々をざわめかせる。 「来るっ! ナガミツちゃん、ディフェンス! キリちゃんはオフェンスで! 二人の間はぼくが繋げてチャンスを作るッ!」  キリコが鞘走る剣を手に、白刃を煌めかせる。  ナガミツもまた、いつものスタイルでドシリと腰を落とした。  二人共、落ち着いている。  なにより、互いを意識し連携を取っている。以前に比べれば、確実に成長していた。いがみ合って競い合う日々は、その中で確実に互いの距離を近付けていたのだ。そして、大事な人の大切な想いが、彼等の胸には宿っている。戦いに殉じた多くの者達の無念も、心に刻んできたのだ。 「うし、キリ。バッサリやれ、バッサリ」 「簡単そうに言うなよ、ナガミツ。それより、トゥリねえをちゃんと守れよ? いいな?」 「いつも守ってるだろ。お前だって、守ってやるさ」 「っ! そ、そういうの……え、あ、いや、んと」  強敵を前に、二人はなにを話しているのだろう?  ただ、キリコが耳まで真っ赤になってるのがわかった。  男の子同士の会話が気にならないでもないし、同じ女の子として相談にのってもやりたい。だが、歴史ある一族の宿業を背負わされたキリコには、両方の性別があって、そのどっちも選べないのだ。 「なんだろ、キリちゃん……ちょっと疲れてるのかな」  やや緊張感に欠けるが、それくらいが丁度いい。  トゥリフィリとムラクモ3班の仲間達は、そうやって強敵を乗り越えてきた。悲壮感も陶酔感も、痛みの向こうへ置いてきた……今のトゥリフィリ達は、この東京に住む人達全ての希望なのだ。  東京が平和になれば、日本の行政機構は復活し、地方の竜災害へも対応が可能になる。  今が正念場、そして常にトゥリフィリ達の戦いは最前線だった。 「よしっ! 切り込むッ!」 「おう、頼んだ」  キリコが全身の筋肉をバネに、地を蹴り馳せて風になる。  見送るナガミツのディフェンスの向こうに、セーラー服の少女は小さくなっていった。  すかさずスリーピーホロウの爪と牙が、四方八方から襲いかかる。  だが、スリーピーホロウが禍々しい毒蛾ならば、その動きを軽やかにさばいていなすキリコは蝶だ。悪夢の中で目覚めを運ぶ、その蝶の羽根は刃でできている。  あっという間にスリーピーホロウの体表を斬撃が走った。  血煙を羽撃きで散らしながら、宙空をのたうつ巨体が悲鳴をあげる。 「……すご。ね、ねえ、ナガミツちゃん」 「ああ、調子が戻ったようだな。……タケハヤにまた一つ、借りを作っちまった」 「えっ? タケハヤさん?」 「さっき軽く手合わせしただろ? キリの奴、すぐにものにしやがって」  確かに、今日のキリコは普段よりも軽やかで、鋭い。  日々、作り変えられた自分と詰め込まれた姉の痛みで、彼女は苦しんでいた。そのせいか、日常生活でもどこか情緒不安定で、苛立ちを隠そうともしない。  だが、そんな日々が過去になりつつある。  最近はトゥリフィリを姉のように慕って懐くし、ナガミツは勿論キジトラやノリトといった仲間達とも仲良くやれているようだ。 「成長したなあ、うんうん。ふふ、なんか変な感じ」 「おいおい、フィー……サボってんなよ? 援護してやれ、援護」 「っと、そだね。……ナガミツちゃん? あ、あの」 「俺は別に、なんとも思ってねえよ。フィーは優しいし、みんなの班長だからよ」  凄くわかり難いが、どうやらナガミツは若干へそを曲げているようだ。  なにが面白くないのか、いつもの無表情もどこか拗ねてるようだ。  ひょっとして、キリコばかり成長を褒めてたからだろうか? あるいは、嫉妬や焼き餅と思ったら自意識過剰だろうか。  自分でもなんだか恥ずかしくて、トゥリフィリは戦いに集中する。  キリコに肉薄されながらも、スリーピーホロウは長い尾でトゥリフィリ達をも狙ってきた。その全てを受け止め弾き返して、ナガミツが拳を振るう。 「けっこう素早いよね、あいつ! ……そこっ!」  繰り出す銃弾が空気を引き裂く。  動き回るスリーピーホロウの、その機動力を削いでゆく。  文字通りトゥリフィリは、静のナガミツと動のキリコを結びつける糸だ。互いに性質の違う二人のコンビネーションを、より一層噛み合わせて馴染ませる……そのためには、相手の自由を奪いながら、攻撃の起点を地道に増やしていくしかない。  根気強くリロードと射撃を繰り返しながら、トゥリフィリは脚を使って動き回った。  ナガミツが強く踏み込んだのは、そんな時だった。 「っし、この距離ッ! 逃がしゃしねえ、よっ!」  ばらまくようなパンチの弾幕で身を守り、ナガミツが攻勢に出た。  逆にキリコが下がって、独特の呼吸法で身構える。武道でいう息吹のような息遣いが、不思議とトゥリフィリの疲労とダメージを忘れさせる。一流の剣士が持つ氣功の一種、丹田法だ。  そして、零距離に密着したナガミツの豪腕が唸る。  フルスイングで打ち込まれた拳が、スリーピーホロウの巨体をスッ飛ばした。 「今のは手応えあったぜ……このまま畳み掛けてやる」 「ナガミツ、チャンスだ! 一気に押し切るッ!」  トゥリフィリも、今が勝負とばかりにもう一丁の銃を抜く。  雌雄一対の二丁拳銃は、交互に銃声を歌って鉛の礫をばらまいた。絶対に空へは逃さない……たとえ滅びた渋谷を奪われても、あの日見上げた祖だらけは渡さない。  それは、SKYの少年少女達の意地であり、それを感じたトゥリフィリの決意。  やっかいな幻惑の能力を封じるために、SKYのタケハヤ達が渋谷中を駆け回ってくれた。キリノが作ったジャマーは、正常に可動している。 「ここで終わらせるよっ!」  マガジンを交換すると同時に、トゥリフィリも前に出る。  優勢、確実に押している……スリーピーホロウは目立った反撃をしてこない。  それが逆に不気味だったが、相手は伝説のドラゴン、その頂点に君臨する帝竜だ。はなから常識は通じず、出方を伺っているうちに犠牲は増える。  常に強気で攻めて、その都度臨機応変……いつも通りにやるしかない。  そう思って走った瞬間、不意にぐにゃりと地面が撓んだ。 「あ、あれ? 脚が……な、なんだろ……うっ」  その場に膝をついて、トゥリフィリはそのまま動けなくなった。  霞んでぼやける視界の中で、ナガミツやキリコも脚が止まっている。  そして、肉体の変調でようやく気付いた……やはり、スリーピーホロウの強力な幻覚と催眠の力が強まっている。それは今、渋谷中に接地したジャマーの能力を上回ったのだ。  ただ暴れているように見えて……狡猾にスリーピーホロウはこの場に鱗粉を振りまいていた。時間が経って濃度が増したことで、ついにトゥリフィリ達はその毒につかまったのだった。