トゥリフィリは今、震える両脚に力を込める。  膝がガクガクと笑って、今にも倒れそうだ。  だが、甘い悪夢を振り払って、それを悪夢だと断じる心を支えに立ち上がる。  そんな彼女を見て、キジトラは嬉しそうにニヤリと笑った。  不敵な笑みはどこまでも頼もしく、したたかに見えた。 「クハハハハ! 立つか、立つであろうな! ならばフィーよ、オーダーを……見敵必殺的な感じのやつっぽいのを! 必ずや俺様が、そこの斬竜刀コンビに代わって果たしてみせようぞ」  芝居がかった口ぶりとは裏腹に、キジトラは笑みは目だけが笑っていない。  そして、そこに燻る怒りの業火は、鋭い眼光となってスリーピーホロウを射抜く。  己の幻惑から蘇ったトゥリフィリを見下ろし、スリーピーホロウは赤く濁った目を細めた。哄笑こそ響かぬものの、それは哀れみ蔑む冷たい笑みだった。  だからこそ、トゥリフィリは最後の力を振り絞って立ち上がる。 「キジトラ先輩っ! 援護するよっ。剣と銃、武器は違えど……ぼく達の瞬発力と機動力を使う時だっ」 「心得たっ!」  ちらりと見れやれば、ナガミツもキリコもようやく目を覚ましたようだ。  だが、二人ともまだ不鮮明な意識と格闘している。  今動けるのは、自分しかいない。  そして、そのチャンスをくれたのは、間違いなくキジトラとノリトだ。  いまだ感覚がぼやける中で、トゥリフィリは痺れる手に銃を握らせる。 「フィー、そこの寝坊助コンビに気を配るのだ! こっちはこっちで、適当にやるからな……ククク、腕がなるわっ!」 「わ、わかった! 無理はしないで!」  援護射撃を試みるが、着弾が僅かにずれる。  まだ、身体が普段の感覚を取り戻していないのだ。  そんな中で、キジトラはそのマッシブな肉体が嘘のように宙を舞う。機敏にして俊敏、その動きは僅かな残像を空気に滲ませ、甘い匂いを霧散させてゆく。  スリーピーホロウもまた、絶叫を張り上げ羽撃いた。  再び鱗粉が周囲に満ちるかに思えたが、キジトラの叫びが風を呼ぶ。 「ぬぅん! 忍法っ、四ツ身分身、大ッ! 撹ッ! 拌ンンンンッ!」  キジトラのスピードが、一気にギアをトップに叩き込んだようだ。  はっきり四人に増えて見えるのは、彼の移動速度が上がったから。そして、分身のいる場所でだけ意図的にスピードを変えることによって、そこに残像を色濃く残しているのである。  そして、キジトラの運動エネルギーが空気を掻き乱し、幻惑効果を持つ鱗粉を吹き飛ばした。だが、キジトラ自身もただではすまない筈。 「カカカッ! 既にその毒鱗粉は見きったぁ! 空気の層でシャットアウトさせてもらったぞ」 「わわっ、キジトラ先輩っ! 危ないですよ、その鱗粉を吸ったら」 「確かに! 少し痺れてきたが……フィー、そこの二人はどうだ!」  振り向けば、どうやらナガミツが先に立ち上がるようだ。  彼は頭を振りつつ、まだ起き上がれないでいるキリコに手を差し伸べた。キリコはよろけながらも、その手に手を重ねてなんとか自分を立たせる。  その間もずっと、トゥリフィリはキジトラへの援護射撃を続ける。  背中で聞いた二人の声は、悔しさの奥に不屈の闘志を感じさせた。 「よぉ、キリ……どうだ? 立てっか」 「なんとか……そ、それより、その」 「ん? どした、お前。なんか、前屈みになってんぞ」 「うっ、うう、うるさい!」  あっ、とトゥリフィリは察した。  宿命を背負った救世の戦士も、巫女の身体に詰め込まれたのは普通の少年、思春期の男の子なのだ。そして、なんとなく察する。恐らく、同じ類の夢を見たのだ。  もしかしたら、全く同じ夢を見ていたかもしれない。  だが、それを確かめるのは恥ずかしいし、今は目の前の敵に集中したい。  そして、キリコ自身が涙目で「ほ、ほっといて」と懇願の眼差しを投げかけてきた。 「ナガミツちゃん、キリちゃんは大丈夫! それよりこっち、キジトラ先輩を手伝って!」 「おうっ! んじゃ、ま……キリ。お前の分まで殴り倒してくるからよ。そこで見とけ。……しっかし、妙な奴だぜ。人間てな、不便にできてやがる」  ナガミツは恐らく、知識としての人間、その生理現象を知っているのだろう。だが、どうにも気の回らないところがあって、それは生まれと育ちを考えればわからなくもない。そして、キリコの中身はあまりにも普通の男児でありすぎた。 「悪ぃ、寝てた! って、キジトラじゃねーか。どうしてここに?」 「話はあとだ、ナガミツッ! 少しずつ奴のスピードが上がってる……脚を殺せ。あの鬱陶しい羽音を止めるのだ!」 「簡単に言ってくれる!」  文句の言葉を吐きつつも、ナガミツはすぐに地を蹴り宙を舞う。  飛び回るスリーピーホロウの、その頭を抑えて拳を振りかぶった。  すかさずトゥリフィリが、二丁拳銃を全弾発射する。鉛の礫は空気を引き裂き、僅かにスリーピーホロウのスピードを殺した。  その隙を逃さず、ナガミツの拳が炸裂する。  毒蛾にも似た翼が、衝撃波を広げる拳に切り裂かれた。  ――絶叫。  スリーピーホロウの悲鳴を聴いても、トゥリフィリ達は手を休めない。 「でかした、ナガミツ! 決めるぞ……俺様に合わせるのだ!」 「な、なにを……おいキジトラ、お前っ!」 「こういう時は決まっておろう! 必殺技! 合体技だ!」 「やったことねーよ、知らねえし」 「肌で察しろ! 心で感じて、魂で理解するのだ! トゥ!」  無茶苦茶だ。  同時に、奇妙な確信がトゥリフィリの胸に満ちる。  勝った……無茶で無謀で無鉄砲、そんな二人が今、無理と言われた帝竜を打倒する。その驚異を排除し、勝利への道をこじ開けてゆくのが見えた。  大げさに見えを切って、キジトラが跳躍する。  ナガミツもそれに倣って、翼の痛みに悶えるスリーピーホロウに突進した。 「フハハハハ! 帝竜スリーピーホロウ、覚悟……天知る、地知る、俺が知るッ!」 「あーくそ、なんだあいつ……格好いいじゃねえかよ」 「都民の怒りを込め、今ぁ! 必殺のぉ!」 「先に行くぜ、キジトラッ!」  ゆっくり高度を下げてくるスリーピーホロウに、ナガミツが吸い込まれてゆく。彼はそのまま、右の肘を突き出した。右拳を左手で握って、そのまま強烈な肘鉄を突き刺す。  再度甲高い声が響き渡った。  だが、容赦なくナガミツは、肘打ちから流れるように裏拳を叩き込む。  スリーピーホロウは地面へ落ちて、完全に動きを止めた。  だが、最後の力で毒の倫風を振りまいてゆく。  その只中へと、キジトラは重力に身を任せて飛び込んだ。  握ったナイフが、深々と竜の眉間に突き刺さる。 「取ったっ! これで、終わりだ……ククク、あの世で都民に詫てこい!」  キジトラは、鍔元まで刺さったナイフから手を放し、何故か決めポーズ。ナガミツが憧れにも似た目で見てるのも含めて、トゥリフィリには心配になった。  だが、キジトラはそのままナイフを逆手に握り直し……縦一文字に切り裂いた。  スリーピーホロウは断末魔を響かせ、自らが生み出した樹海の大地に突っ伏した。  なんとか辛勝、際どい勝ちを拾ったが……トゥリフィリは、普段にもまして親しげなキジトラとナガミツを見やり、溜息を零す。  ナガミツちゃんが変な影響を受けたらどうしよう、などといらぬ心配をしてしまう。  そう、心配は無用……既にもう、ナガミツは徐々に、そして確実にキジトラ色に染まりつつあるのだった。