東京の復興は、加速度的に進んでいった。  地下の巨大帝竜、ザ・スカヴァーを討伐したのは大きかった。閉ざされていた地下道の多くが開通し、地上よりは比較的安全な交通路が整備されたからだ。  隔絶されていた僻地へも、やっと救援の手が届き始めている。  残すところ、帝竜は一匹だけ。  そして、東京タワーに待つ人竜ミズチとの対決も迫っている。  そんな中でトゥリフィリは、以前攻略した四谷の墓地を訪れていた。 「ナガミツちゃん、ありがとっ! 教えてもらえて助かったかも……急ごっ!」  隣を走る相棒のナガミツは、静かに「ん」とだけ返事をしてきた。  今日の彼は、少し妙だ。  普段からぶっきらぼうで、寡黙とまではいかないが口数は多くない。そんなナガミツが、なにやら考え事をしているようである。  そして、以前はそのことを絶対にトゥリフィリには相談してくれなかった。  以前は、しかし今は違う。 「なあ、フィー……キリの奴ぁ、どうしちまったんだ? ちょっと普通じゃなかった」  そう、先程突然キリコが姿を消した。  それも、とあるクエストを引き受けてから激変したという。  普段から少しピリピリしたところがあるが、それはキリコが少女として縫い直された十代の少年だからだ。死んだ姉の力を埋め込まれて、羽々斬の巫女をやらされている。  それでも、最近はトゥリフィリやナガミツにも心を開いていた。  年相応のあどけなさを時折見せて、トゥリフィリにも懐いてくれたのだ。  だが、今日のキリコは違った。 「ナガミツちゃん、その……キリちゃんの受けたクエストって」 「あの、アサミって女の依頼だ。親友のサチを救ってほしいってよ。……以前も見たあの連中、聖竜清浄会から」  ――聖竜清浄会。  それは、竜災害で心に傷を負った者達に、静かに忍び寄る穏やかな闇。単なるカルト組織である以上の感染力で、あっという間に避難民の一部を取り込んだ宗教団体である。その教えは、竜こそが神の御使いであり、竜に命を差し出すことが救いだという。  トゥリフィリは、そんな世迷言を看過できない。  竜とは神の意思ではなく、人間を超えた生態系、暴力の権化たる災害生物だからだ。  かつて嵐の海を超え、氷河期を生き抜き、暗い森を切り開いた人類……常に人間は、大自然の驚異と戦い、その中で調和と共存を探してきたのだから。 「キリちゃんは羽々宮の子、昔からの凶祓いの一族だから。マモノと戦い、時には竜をも鎮定してきた血族の子にさ、竜に食べられた方が救われるなんての……それは嫌だよ」 「そうか、それでキリは……そうだな、きっとそうだ」  巨大な月が見下ろす光の中、常闇の四谷を走る。  ナガミツはいつになく慎重に言葉を選んで、乱れぬ息の間に小さく呟いた。 「俺は、神様ってのはわからねえ。見たことがないからな。でも……神様を信じる奴を信じれるし、守りてえんだよ。けど、竜は神様なんかじゃねえよな」 「うん……それに、例え神様だったとしても」 「ああ。俺は人の隣を歩いて、その行く先を守る斬竜刀……竜が神様でも関係ねえさ。……ん? フィー、あそこだ!」  暗がりの中に、都庁から出てきたと思われる一団が固まっていた。人数はざっと数十人……そして、大勢の前でセーラー服姿の少女が竜と対峙していた。  それは間違いなく、仲間のキリコだ。  彼女は今、腰の剣に手を添え緊張感を昂ぶらせている。  竜の前に立つスーツ姿の男は、そんなキリコをせせら笑って言葉を切っていた。 「皆さん! 彼女があの高名な、羽々斬の巫女! 我等が救いの御使いたる、竜を斬るためだけに戦う血塗られた巫女です!」  ざわめきが広がる中を、一気にトゥリフィリは突っ切る。  その横を走るナガミツは、僅かに身を屈めた瞬間、翔んだ。あっという間に彼は、キリコの前に着地して背で庇う。睨む先では、教祖らしきスーツ姿の横で竜が唸っていた。 「キリッ! 手前ぇ……勝手すんじゃねえよ。心配だろうが。それに……こんな奴の言葉に耳を貸す必要はねえさ」 「ナガミツッ! ……し、心配、して、くれたの?」 「あ? お前、なに言ってんだ? 当たり前だろ。フィーもだし、みんな心配したぜ。まあ、俺も……そうだな、姿が見えないと落ち着かねえからよ」  僅かにキリコが頬を赤らめた。  そんな彼女の隣に滑り込んで、トゥリフィリも銃を抜く。  聖竜清浄会の信者達はどよめきにざわめいたが、教祖の男は揺るがない。 「おやおや、これは……悪名高き竜殺しの始末屋、ムラクモ機動13班」 「ここは危険です! それに、竜が! 貴方達をぼくと仲間が保護します……都庁に戻ってください」 「神聖なる我等が教義、曇りなき信仰心こそが尊いのです! 殺し屋風情にはわかりませんか? そこのガラクタも、汚らわしい凶祓いにも、わからないでしょうねえ!」  男は口元を歪めて笑みを浮かべる。  なんて醜悪な、披裂な笑顔だろう。  不安に怯える都民の心に忍び込み、膿んで出血する傷口を汚れた手で撫でているのだ。それは癒やしでも救いでもなく、ただの現実逃避……それも、時には必要とされる範疇を超えている。  信仰の自由、それは人間が平等に持つ権利だ。  だが、検診なき宗教は悪徳……そして、命を捨てろと命じるなら既にそれは宗教ではない。 「みんなも聴いてくださいっ! 死んじゃったら、それで終わりです。ぼく達は、確かに竜と戦うだけの汚れ仕事かもしれない。でも、汚れてでも、みっともなくても、まずはみんなで生き残りたいんです!」  気付けばトゥリフィリは叫んでいた。  そして、信者達に呟きと囁きが広がってゆく。  偽らざる本音の本心、トゥリフィリが心から望むことだ。今はただ、竜を狩りつつマモノを倒すしかない。例え埒のあかない対処療法でも、戦いを続けるしかないのだ。  まずは生きて生き延びて、生き残る。  その先に未来があるか、明日が訪れるかはわからない。  それでも、今日は必ず明日へ繋がってるし、その先は全てが可能性という名の未来に満ちているのだから。 「ハッハッハ! 笑止……竜を殺しても苦しみはなくならない。なぜなら、竜による摂理の裁きこそが、この現世の苦しみから人間を解き放つのだか――がぁ!? な、なにを……」  突然、教祖の男を異変が襲った。  先程まで静かだった竜が、突然彼に噛み付いたのだ。あっという間にスーツが血で染まり、肉と骨を断ち割る音が鈍く響く。  そこには神ではなく、ただの捕食者である竜が猛り昂ぶっていた。 「な、なぜ……だ……私は、まだ……もっと、稼い、で……あの子、の……墓、を……もっと、金を……」  あっという間に男は、竜の口の中へと消えた。  血の臭いが充満する中で、信徒達から悲鳴があがる。  だが、静かに剣を抜いたキリコが前へと歩み出る。 「トゥリねえ、みんなをお願い。ここは、私が。私は……俺は、羽々斬の巫女だから。助ける人を選ばず、救えぬ人のためにさえ戦う、それが羽々斬の巫女だから」  すぐにナガミツが「なにが『俺が』だ……『俺達が』だろうがよ」と並び立つ。  信者達を避難させるトゥリフィリは、互いに宿命を認め合う二振りの斬竜刀を戦いへと送り出した。神代の刃と、文明の刃と……二人はいつにも増して切れ味鋭い技を駆使して、竜を足止めし始めるのだった。