刻さえも凍りついたかのような、静寂。  透き通る蒼の迷宮は、進むトゥリフィリ達から体温を奪ってゆく。冷えてゆく身体を戦いで動かせば、流した汗さえも次の瞬間には凍えさせてくるのだ。  そんな中、トゥリフィリ達13班は氷に飲み込まれたショッピングモールを歩く。  吹き抜けの回廊は今、マモノとドラゴンが跳梁跋扈する危険な場所だった。 「はいはーい、どいてどいてー。どーん」  今日のシイナは、全くやる気がない。  先程からずっと、ポケットに両手を突っ込んだままだ。  それでも彼女は、着ぶくれした自分を敵へと自ら放り投げる。さながら人間魚雷といったところで、頭突きで相手を吹き飛ばすや地面へと転がった。  そのままゴロゴロと転がる様は、見ていて少しおかしい。  どうやら、本当に寒さには弱いようだ。 「ねね、シイナ。危なくない? ちゃんと戦った方がいいと思うけど」 「んー、いいよぉ。なんか、ほら……眠く、なって、きたし……」 「あっ、こら! 駄目だってば、もう!」 「フィーはさあ……美味しそうな匂い、するよ、ね……エヘヘ」  マモノの群れが逃げ去るのを見送って、トゥリフィリがシイナに駆け寄る。もうすでに、彼の表情は失せていた。放っておくと、本当に寝てしまうかもしれない。そうなったら、いかなS級能力者といえど凍死である。  突然お台場に現出した迷宮は、その周囲を極寒地獄に変えてしまったのだから。 「あーもぉ、重いー! 立って、シイナ! ほら!」 「重くないもん……わたし、公式では48kgだし」 「……実際は?」 「うっ……ご、ごじゅう……ろく? なな? くらいかなあ」 「言わなくていいから、立って立って」  おずおずとシイナは、見るからに弱々しく立ち上がった。  そして、そんな時でも手はポケットから出そうとしない。  彼女は、分厚いコートの襟に顔を埋めながら、周囲を見渡す。すると突然、頭上から元気な声が響いてきた。 「シイナママー! フィー! こっちだよぉ!」  見上げれば、吹き抜けを通じて繋がった二階に、エリヤが立っている。あどけない笑顔は、まるでバルコニーに立つお姫様だ。  彼女はブンブンと両手を振りながら、トゥリフィリ達の向かう先を指差す。 「あっちから多分、階段で上がれると思うー!」 「ありがと、エリヤ。なんか、結構入り組んでるよね。上下に行ったり来たりだし、通路を塞いでるフロワロの壁も多い」  東京に出現した七つのダンジョンは、その全てが帝竜の力で魔窟と化している。協力無比な攻性生物であるドラゴンの中でも、七匹の帝竜は特別強い力を持っていた。  物理法則を捻じ曲げ、自分を中心として周囲を異世界に変えてしまう。  通常のドラゴンもフロワロを繁殖させ、地形を変えて行く手を遮ることがある。  だが、ダンジョンそのものを生成して支配する帝竜は、とほうもない力を持っていた。 「だから、その検体が必要なんだ……ドラゴンクロニクルのために」  ――ドラゴンクロニクル。  それがトゥリフィリ達人類の切り札。  悪用すれば、人竜ミヅチへと堕したナツメのように、エゴと欲の塊になってしまう。人間が扱うには、あまりにも強過ぎる竜の力……だが、竜を持って竜を滅するように、常に人類は難関や強敵を知恵で克服してきた。相手さえも利用し、生き残ってきたのだ。  残る竜検体は、あと一つ。  だが、トゥリフィリが前を向いたその時……迷宮全体が鳴動に濡れた。  凍えた空気が沸騰して、ビリビリと肌が炙られるような感覚。 「ッ! この声!」 「うわあ、なんかさ、フィー……近付いてくるねー」 「ちょっとちょっと、シイナッ! やる気出して! 凄いのが来るっ!」  開けた空間をまっすぐ進む、左右にテナントを並べた道が弾けた。ガラスよりも透明な氷に埋もれたまま、なにもかもが木っ端微塵に砕けてゆく。  粉雪のように舞う六華を連れて、巨大なドラゴンが現れた。  蒼い甲殻と鱗は、それ自体が氷でできているような光沢を放っている。 「フィー、あれ! あれがここの帝竜だよぉ!」 「うう、今回は向こうからおでましかあ。……最後の一匹になって、焦ってるのかな」  帝竜は常に、ダンジョンの最奥で待ち構えているのが常だった。  だが、目の前に怒り猛る巨大なドラゴンが吠えていた。  確か、キリノが名付けたコードネームはゼロ=ブルー……絶対零度の蒼き竜である。ゼロ=ブルーが絶叫を張り上げれば、天井の氷柱が次々と落下してきた。  その中を逃げ惑えば、ようやくシイナが両の拳を握って構える。 「……だるい。ねむい」 「ほらっ、シイナ! エリヤのママなんでしょ、しっかりしてよ!」 「ん、そだね……イリヤ! 危ないから向こうから回って降りてきてー!」  下を眺めて脚を伸ばそうとしていたエリヤは、シイナの声に何度も大きく頷く。そして、今まで来た道を下り階段へと引き返し始めた。全力疾走の背中を見上げて見送ると、トゥリフィリも臨戦態勢で銃を抜く。  これが最後の帝竜。  そして、人類の敵となったナツメに対峙するための最後の鍵だ。 「フィーさ、普段はナガミっちゃんと、どんな感じ?」 「えっ? い、いや、普通に……ちょ、ちょっとでも、その……最近、意識し過ぎかなあ、なんて」 「や、それも気になるけど、戦闘の時。やっぱ、ナガミっちゃんが攻撃を引き付ける感じ?」 「……うう、恥ずかしいこと言っちゃった。あ、でも、シイナはシイナだから。お互い全力っ! フォローは任せて、暴れちゃって!」 「ほいきたっ!」  地を蹴るシイナが、弾丸のように傍らから飛び出した。  彼女はすぐに分厚いコートを脱ぐと、それを捨ててさらに加速する。  ゼロ=ブルーは、大きく口を開くやブレス攻撃を放ってきた。それは、あらゆるものが凍りつく死の吐息……あっという間に、空気中の水分が凝結して霧が広がる。  キラキラと輝く美しさは、あらゆる命が停止する危険な光だった。  その中から、ジャンプで高い天井にシイナが飛び上がる。 「フィー! 適当に氷柱、撃って!」 「うんっ!」  ショッピングモール自体を揺るがす、強力な冷凍攻撃が全てを薙ぎ払ってゆく。  脚を使って大きく避けつつ、トゥリフィリは天井へと銃口を向けた。既に阿吽の呼吸で、シイナの考えが伝わってきた。ナガミツもそうだが、運動能力S級のデストロイヤーは、皆どうしてか無茶をする。  きっと、全身の筋肉が知っているのだ。  無茶や無謀が、決して無理ではないことを。  トゥリフィリは瞬時に、ゼロ=ブルーの頭上に立体的な地図を思い描く。そして、天井に無数に垂れ下がった氷柱を、大小問わず撃ち落とした。 「おーおー、いい感じっ! フィー、ナイスだよん? んじゃ、ま……どっせえええええいっ!」  反転してシイナが天井を蹴る。  彼女は、トゥリフィリが空中に散りばめた氷へ突っ込む。無軌道に見えて、瞬時の計算と空間認識能力で、トゥリフィリが並べて敷いた道ができていた。  常人ならばそれは、ただ舞い散る氷でしかないだろう。  だが、S級能力者ならば、その中に足場を探して駆け抜けることが可能だ。  シイナは今、真下のゼロ=ブルー目掛けて宙を疾駆していた。 「おっしゃ、シイナちゃんっ、パアアアアンチッ!」  大きく振りかぶった拳が炸裂する。  巨大な氷壁が割れるように、悲鳴とともにゼロ=ブルーにひびが走った。  だが、次の瞬間……勝利を予感して走るトゥリフィリごと、一際鋭い冷気が飲み込んでゆくのだった。