都庁へと戻ったトゥリフィリを、緊迫感のある騒がしさが出迎えた。  英雄の凱旋というよりは、そのこと自体を祝っている余裕すらない状態……話を聞かずとも、トゥリフィリがシイナと共に察する程度にには、緊急事態らしかった。  とりあえず、忙しそうに走り回ってるカジカを見つけたので、声をかける。 「あの、カジカさんっ!」 「およ、シロツメクサちゃん。どしたの?」  彼はいつも、トゥリフィリのことを白詰草と呼ぶ。  幸運の四つ葉のクローバーに、名前をあやかってるのだろう。  だが、今の彼は運に見放された自分を嘆いているようにも見えた。  それでも、へらりと余裕の笑みを繕ってみせる。  そういうカジカの、大人の見栄というものがトゥリフィリは好きだった。 「実はねえ、ちょーっとまずいことになっちゃったのヨ」 「まさか……別の帝竜が現れたとか!?」 「いやいや、いやいやいやいや! 帝竜反応は全てモニターしてるからさ……見事、七体全ての殲滅を確認したけどねえ。って、ありゃー? エリヤちゃん、オテテ痛くない?」  エリヤは、シイナのスカートだった布地で縛られた右手を振り上げる。  流石はホムンクルスというか、痛いらしいが耐えられない痛みではないとのことだ。 「まあ、フレッサさん見てもらいなー? おぢさん、あとでケーキでもお見舞いに持ってくからサ」 「ほんとー! おじさん、優しい! エリヤ、難しい話ばっかする人だと思ってたー! でも、好き!」 「ははは、最近ちょいと厄介なことばかりだからねえ。さ、シイナちゃんも。医務室に行った行った」  そうして笑顔で手を振り二人を見送ると……再びカジカは眼鏡の奥で瞳を細める。  そこには、ムラクモ期間の情報を統括するオフィサーの顔があった。 「さて、と。シロツメクサちゃん、いいニュースと悪いニュースが」 「いいニュースで!」 「即決、ね……おじさん、そゆとこ好きよ? まあ、その、いいニュースというか……今更ながら、どうでもいいニュースかもしれないんだけど」  どうやら、なけなしの機材を投入しての調査が終わったらしい。  巨大な螺旋迷宮と化した東京タワーの、その異様な全貌が明らかになった。 「人竜ミヅチの力は、もはや帝竜を凌ぐ程だね。んで、東京タワーはその力に飲み込まれちゃったのよ。今、あそこは例えるなら……魔境。人の理が通じぬ、敵意と殺意の世界」  思わずトゥリフィリは、ゴクリと喉を鳴らす。  そして、次の言葉を聞いた瞬間には即答で声をあげていた。 「で、だ……宇宙まで伸びてるとか、そゆのはどうでもよくてねえ。ただ、生存者がいるみたいだ。人間の生命反応が――」 「助けにいかなきゃ! カジカさん、データをぼくに」 「とっとっと、待ちなって。もー、怖い子だなあ。……まあ、連中と同じこと言うの、ちょっと面白いよねえ。そゆとこもおじさん、グッときちゃう」  少し会話が噛み合わない。  連中? 同じこと?  それってまさか―― 「シロツメクサちゃん。あの二人も全く同じことを言ってねえ……出ていっちゃったヨ」 「え……あの二人、って。ま、まさか」 「ナガミツちゃんとキリちゃんね、飛び出してっちゃった。まー、デカいもん背負わせちゃって言うのもなんだけどさあ。とても、止められなかったのよ」  肩を竦めてみせるが、そうやってシニカルに振る舞うことでカジカは想いを胸の奥に沈めている。  本当なら、彼自身が今すぐあとを追いかけたい筈だ。  だが、カジカが都庁からいなくなると、ムツやナナといったオペレーターの子達も動揺する。なにより、あらゆるセクションの情報が滞って、避難民達の救済も滞るだろう。  それほどまでに、カジカが日頃捌く情報量は大きい。  そして、彼が動転しても自体は変わらない。  そう、ナガミツとキリコは、生存者の存在を知るや東京タワーに行ってしまったのだ。  たった二人で。 「とにかくっ、ぼくがすぐにあとを追います! 誰か、動ける人を」 「いやいや、ちょい待ち! シロツメクサちゃん、疲れてるっしょー?」 「でも、カジカさん!」 「ミイラ取りがミイラになる。つまり、二重災害。落ち着きなよ、シロツメクサちゃん。追いかけるのは当然として、まずは休養、そして弾薬や道具、医薬品の補給」 「う……それは」 「気合でがんばりますだなんて、言わないでほしいなあ。おじさん、数値的な根拠のない根性論、苦手なのヨ」  確かに、お台場でのゼロ=ブルーとの死闘は激戦だった。  今はその疲れが、緊張感の切れつつある身を重くしている。  エリヤの捨て身の一撃がなければ、あるいはトゥリフィリはあそこで凍った死体になっていたかもしれないのだ。 「……わかり、ました。うん、わかるよ。まずは休んで、万全なぼくにならないとね」 「そゆこと」 「医務室に顔出して、ご飯食べて……ちょっと寝て? それから、動ける人数を」  だが、チッチッチと珍しくカジカが指を振る。  妙にもったいぶった、気障な仕草が全く似合っていない。 「動ける人数? ムラクモ13班の?」 「そう、です、けど……あ、そっか。都庁の防衛に何人か残さないといけないかも。だったら」 「うんにゃ? いやもう、戦力の逐次投入なんて、この局面でやってられないでしょ。……だから、全員で行く。勿論、僕も一緒だ。ムラクモ機関の全戦力で、一点突破。どぉ?」  その声に呼ばれるように、気付けば周囲に仲間達が集まり出していた。  キジトラやノリト、エグランティエ、そしてアゼルやオーマなどだ。 「クククッ、戻ると信じていたぞ……フィー」 「キジトラ先輩っ!」 「キリノの奴が待ってる。ゼロ=ブルーの竜検体を預けたら、少し休むがいい! その間、俺様達が最終決戦の準備を万全にしておこう! クハハハッ! 今がその時、その瞬間であるっ!」  無駄に気迫を漲らせたキジトラが、今はこのうえなく頼もしい。  それはノリトやエグランティエ、そして他の仲間達も一緒だ。  気付けば、自衛隊の隊員達や避難民達も集まり出した。 「そうだ、ムラクモ13班は俺達の希望だ!」 「お嬢ちゃん達が剣になるなら、俺達自衛隊は盾になる!」 「おっ、おお、俺だって、やれることがある筈だ」 「ああ! そろそろ避難所暮らしも飽きてきたしな……最後は13班を信じて、みんなで都庁を死守しようぜ!」  声が連なり、歓呼となって叫ばれる。  多くの人間達の意思が、一つになっていた。  その声を聴いて、トゥリフィリの胸に確信が満ちる。  この戦いは、負けられない……そして、決して負けないと。 「ん、じゃあちょっと休んでくる。キジトラ先輩、装備の点検をお願いします」 「任された! しからば、ついてこいノリトッ」 「フッ……いよいよアレを使う時が来たようですね」  クイと眼鏡のブリッジを指で押し上げ、ノリトがニヤリと笑う。  今、最終決戦の火蓋が切って落とされようとしていた。