かつてその場所は、戦後復興の象徴だった。  長らく、長短さまざまな電波を発信し続けた、首都のシンボル……東京タワー。  その姿は今、異形の怪物にも似た威容を曇天へと押し込んでいた。  螺旋となりてうねる姿は、さながら蒼穹へ駆け上る竜にも似ている。  だが、その内部へと押し入ったトゥリフィリたちは、マモノとドラゴンの激しい攻撃にさらされていた。 「キジトラ先輩っ、頭! 頭、下げてっ!」  前でナイフを振るうバンダナ姿が、残像を残して地を滑る。  間髪入れずに、空いた射線へとトゥリフィリは全弾をお見舞いした。灼けた銃身が鉛の礫を吐き出し、あっという間に巨大な怪物が絶叫を迸らせる。  次の瞬間には、壁面を走るキジトラの刃が翻った。  大きく身をのけぞらせていたドラゴンが、その場で吼えて動かなくなる。 「ふう……先輩、怪我は?」 「あるはずもなかろうっ! ククク、なかなかの手際」 「なんか、やばい奴だったねえ。今まで遭遇したドラゴンより、全然強いし」  それは、真っ赤な逆三角形の巨躯を誇る、筋肉の塊のようなドラゴンだった。言うなれば闘士……全身を鎖で飾った姿は、まるで己を戒め拘束するかのよう。  しかも、一定のダメージを与えたと思ったその時……恐るべき暴竜は縛鎖を脱ぎ捨てた。  全身の力を解放したその姿は、圧倒的なフィジカルで襲ってきたのである。 「気付いているな? フィー……ここでは、外より高度に進化したドラゴンが多い。油断はせぬことだ」  死体を軽く見聞しつつ、キジトラは鋭い眼光を通路の先へと放る。  そのまま彼は、弾倉を交換するトゥリフィリを手で制して、歩き出した。  同じトリックスターだが、違うのは扱う武器だけではない。ナイフで戦うキジトラは、自らを忍と称するだけあって、気配や殺気に敏感だ。トゥリフィリだって直感には自信があるが、直接刃で触れる戦いは、自然とキジトラの感覚を鋭敏にしているのである。  奥の曲がり角で振り向いて、キジトラは「フム」と唸った。 「もう大丈夫だ。フィー、ちょっと来てみてくれ」  呼ばれるままに、トゥリフィリも警戒しつつ跡に続く。  無数のマモノの血で汚れた、天空の回廊……既にもう、本来の東京タワーの広さを超えて、どこまでも道は続いてた。その果てまであとどれだけあるかわからない。  ここが地上何メートルか、何階なのかも不鮮明なのだ。 「どったの、キジトラ先輩」 「見ろ……さっきの奴だが、既に倒されている」  角を曲がってすぐ、何かが天井にぶら下がっていた。  それは、先程の筋骨たくましい竜、クリミナルドラゴンだ。首から下が力なく垂れ下がって、流された血は既に乾いている。マモノもドラゴンも、死亡して一定の時間が経つと消えてしまう。キリノの研究では、生命エネルギーによって物質世界に固着していた『概念としてのマモノ、ドラゴン』が、受肉した肉体を維持できなくなるからだろいう。  そう、本来はどちらも空想上の生物、物語の中だけの存在なのだ。 「なんか……随分派手にやったね。えっと、キジトラ先輩?」  キジトラは膝をついて地面を手でなぞる。  床は東京タワーに入ってからずっと、磨き抜かれたタイルが敷き詰められている。そこだけは、自分たちが文明の被造物にいるということを教えてくれていた。  その上にキジトラは見えない足跡を拾ってゆく。 「ふむ、この踏み込みから一撃でか。とすれば……こっちの軽い足跡はキリ坊」 「えっ? じゃあ、もしかして」 「うむ、ナガミツの拳が一発でこやつを仕留めたのよ」  信じられない言葉だったが、疑う理由はない。  たった二人だけで出ていってしまった、ナガミツとキリコ……二人は、つい先程までこの場所で戦っていたようだ。しかも、トゥリフィリたちが苦戦したドラゴンを、鮮やか過ぎる手際で片付け、通過したのである。 「縮地、だな……キリ坊の剣で居合一閃、敢えて全身の鎖を切り裂いている」 「えっ、そんなことしたら……例のマッチョモードで」 「そう、その瞬間だ。力を解放した、その間隙にナガミツの奴は踏み込んでいる。ただの一撃、懐に肉薄しての打ち上げを捩じ込んでいるな」  つまり、わざと相手の力を解放させた上で、そこに生じた僅かな隙に一撃必殺の拳を叩き込んだようだ。それでクリミナルドラゴンは、首を天井に埋めたまま絶命してぶら下がっているのである。 「……よしっ、行こう! キジトラ先輩! ナガミツちゃんとキリちゃんの背中が、少しだけ見えてきたよっ」 「無論だ! ……むっ、しかし数が多いか。この音……寄せてくるな、クハハハハッ!」  トゥリフィリの耳にも、無数の足音が入り乱れて聴こえる。正確には、音として聴覚で捕らえているのではない……S級能力者の研ぎ澄まされた感覚は、空気の震えを鼓膜でわずかに感じるのだ。既にもう、音ですらない些細や振動が伝わってくる。  そして、今来た道を大量のミクロドラグが埋め尽くした。 「走れ、フィー!」 「う、うんっ! って、キジトラ先輩!?」  咄嗟に走り出したトゥリフィリは、背後で振り返る気配に驚く。  走れと言っておきながら、キジトラはその場に立ち止まっていた。  そして、ヒュン! とナイフを逆手に持ち返る。 「……ここは引き受けた、俺様に任せて先に行けぃ! ククク、男児たるもの、一度はこの手の台詞に憧れるものよ」 「いや、ちょっと……あの数を相手に、無茶だよ!」 「無茶は承知、無謀と察して無理とも思う。……だが、無駄ではない。行け、走れっ!」  光が走った。  キジトラが繰り出したナイフの一撃が、先程のクリミナルドラグを叩き落とす。首を両断された巨体が、そのままバリケードとなってキジトラの姿を奪った。  慌てて引き返そうとしたトゥリフィリだったが、歯を食いしばって踏み留まる。  通路全体を塞ぐような死体の向こうで、無数の咆哮が折り重なっていた。 「くっ、駄目だ……進ま、なきゃ。ゴメン、キジトラ先輩……ぼくっ、進まなきゃ!」  だが、その場から動けない。  響いてくる斬撃音、血と肉が飛び散る音、悲鳴と絶叫、そして男の雄叫び。  この死体の向こうに今、地獄が広がっている。  さらなる地獄へ向かった、仲間のため……男は自ら地獄へとどまったのだ。  その彼に背を向けてでも、トゥリフィリは進まなければいけない。  しかし、脚が動いてくれなかった。 「駄目だ、駄目だよ! 進むんだ……這ってでも、追いかけるんだ――ッ!?」  その時だった。  横たわるクリミナルドラグを飛び越え、一匹のミクロドラグが飛んできた。流石のキジトラも、数の多さに討ち漏らしたのだろう。血塗れで、頭部が半分吹き飛んでいる。それでも、竜は獰猛な殺意でトゥリフィリに襲いかかってきた。  咄嗟に反応が遅れる。  それでも銃を構えようとした瞬間、銃声が響いた。 「やっほー? フィー、おひさしぶりん?」  振り返ると、硝煙を燻らせるリボルバーを構えた少女が立っている。 「チサキッ!」  ツインテールのゴスロリ少女は、トゥリフィリの声にニッカリと笑う。だが、そのまま壁に持たれて苦しそうに天を仰いだ。肩を上下させ、呼吸を貪っている。  チサキが片手で抑える脇腹には、ドス黒い血が滲んでいた。