不気味な哄笑が響く。  それは笑い狂っているようにも、嘆き叫んでいるようにも聴こえた。  どっちにしろ、トゥリフィリにとって身の毛もよだつような戦慄を伝えてくる。この世に邪悪があるとすれば、まさにこんな声をしていると確信できる、そんな響きだった。  ナガミツとキリコは互いの背を守り合うように身構えている。  トゥリフィリも拳銃のマガジンを交換しながら、下卑た声を見上げた。 『ワレは、ニアラ……真竜ニアラなり。この星に住まう家畜共よ、今こそ全てをワレに捧げよ』 「家畜……ぼくたちが?」 『いかにも。あるいはそれ以下、ただ日を浴びて揺れる、稲穂の実りか』 「生命にそれ以下もなにもない! ぼくたち人間だってそうだ!」  トゥリフィリの声に、声は喉を鳴らす。  気付けばトゥリフィリは、自分が震えているのに気付いた。自分の意志と関係なく、鍛え抜かれた身体が無意識に震える。それはまるで、本能的な恐怖を遺伝子が覚えているかのようだ。  そう、声の主は……真竜ニアラは、強い。  そして、その力はこれから人類に向けられるのだ。  だが、物怖じせぬ声が連鎖して響く。 「ニアラだあ? どっから話してんだ、面ぁ見せろ!」 「その物言い、決して許せない!」 「おう、キリ……もういっちょ、いけるか?」 「当然だ、ナガミツ!」  見えぬニアラに対して、二人は拳と剣を構えた。  トゥリフィリにもはっきりとわかる……ニアラは決して許してはいけない存在だ。それなのに、先程から震えが止まらない。  一度目を閉じ、ゆっくりと深呼吸する。  心を落ち着かせて、自分に平静を呼びかける。  そうして、どうにかトゥリフィリは二人の横に並んだ。  背中をなにかが、押してくれた気がした……だから、まだ戦える。 「あ、そっか……キリちゃん」 「ん? どしたの、トゥリねえ」 「これ、タケハヤさんから預かってたんだった」  トゥリフィリはずっと、背負っていた一振りの剣を下ろす。  それは、あのタケハヤがずっと愛用していた剣だ。言うなれば、斬竜刀という概念の根源にある……原初の斬竜刀だ。太古の昔、神話の時代に生まれた武器である。  そして、星空から見下してくる声が息を呑む気配が伝わった。 『……ほう? まだそのようなものを……クァハ! クハハハハハ!』  そう、その剣は竜より生まれた、竜を滅する刃。  それをトゥリフィリは、ようやく羽々斬の巫女であるキリコに渡せた。 「これは……トゥリねえ!」 「タケハヤさんは、これをぼくたちに託した。その代表として、キリちゃんにって」 「天叢雲剣! でもこれっ」  ポン、とキリコの頭をナガミツが撫でた。  彼はなにも言わなかったが、ただ黙って上を……天の彼方を睨んでいる。  ――天叢雲剣。  それは、神代の時代より日ノ本に伝わる、竜殺しの剣である。そして、一人の男が最後まで、仲間のために振るってきた刃だ。それを今度は、キリコが人類のために使う時が来たのである。  その威力を知るからか、ニアラからは先程の傲慢さが薄れている。 『……良かろう、ニンゲンよ。その剣を放ってはおけぬ……ワレの元へとくるがよい。最後の希望を摘み取り、家畜としての敗北を刻み込んでやろう。クァハハハハハ!』  声の気配が消えた。  同時に、天から光が舞い降りる。  まるで、宇宙へと続くエレベーターのようだ。  トゥリフィリはナガミツとキリコに頷き、振り向く。シイナの手当をしながら、カジカとノリトも必死で戦っていた。必死なのに、カジカには普段のゆるい笑みさえ浮かんでいる。  ここには、絶望はない。  だからトゥリフィリも改めて誓う。  絶望なんか、してやらない。  その気持ちが伝わったのか、顔を上げたカジカがへらりと笑う。 「いくかい? シロツメクサちゃん」 「うん」 「そっかー、うんうん。あとのことはオジサンたちに任せなさーい」 「うん」 「なんか、えらいやばっちいのが出てきたけどねえ? でも、オジサン信じてるよ。君たちは強い子で、強いだけの子じゃない。ささっと人類、救っちゃってよねん」 「……うんっ!」  意を決して、トゥリフィリは屹立する光条へと歩み出す。  勿論、ナガミツとキリコも一緒だ。  今はもう、怖くない。  震えも止まった。 「行こう、ナガミツちゃん! キリちゃん! 抗うって決めたんだ……そう約束した。だから、進もう!」  光に触れた瞬間、身体が軽くなった。  まるで、全身が細胞レベルまで分解されるような感覚。それはあっというまに、見たこともない空間へとトゥリフィリを運んだ。  どうやら一種のワープのようだ。  そして、目の前に異様な雰囲気の迷宮が広がっている。  それは、宇宙の深淵に広がる牢獄のような趣だった。 「へっ、ここはニアラとかってのの住処かよ。いい趣味してるぜ、ったく」 「二人共気をつけて……霊的にも物質的にも、極めて不安定な場所みたい。なんか、肌がピリピリする」 「お? 巫女の直感ってやつか?」 「ん、そういう感じ」  確かに、酷く落ち着かない。  空気はあるし、暑くも寒くもない場所だ。  そう、ここには主張がなく、特色や醜美、思考と感情に訴えてくるものがなにもないのだ。ただただ、平面と線で構成された空間が、どこまでも奥へと続いている。  ただ、唯一トゥリフィリたち三人に向けられているものがった。  それは、今まで感じたこともないようなマモノの気配……殺気だ。 「うし、じゃあ進むか! ……派手に歓迎してくれるみたいだしな」  バキバキと拳を鳴らして、ナガミツが前に出た。  そのあとを、小さなキリコが続く。その手には、天叢雲剣がしっかりと握られていた。まるでそう、本来の持ち主を得たかのように剣はリンと鳴っている。  そして、耳をつんざく絶叫が襲ってきた。  大挙してマモノが押し寄せる。 「よしっ、行こう! ニアラとかっての、やっつけちゃおうよ」  トゥリフィリは自分にもそう言い聞かせて、拳銃の銃爪に指を添える。  既に消耗は激しく、体力も精神力も現界に近付いていた。  だが、たとえ限界を肥えてでも倒さなければいけない……ニアラに対して、今はそう感じる。そして、その想いをこの三人は共有しているのだ。  押し寄せるマモノの群へ向かって、トゥリフィリは仲間たちと共に飛び込んでゆくのだった。