異界にも等しい迷宮を、進む。  疲れ切ったキリコに肩を貸しながら、仲間たちに守られトゥリフィリは歩いた。  おぞましいマモノや、既に自然の常理を外れた異形……そして、竜。  ありとあらゆる殺意と敵意が、襲いかかってくる。  だが、トゥリフィリは戦闘に参加せず、体力を温存することができた。 「ね、ねえ、エジー。キジトラ先輩も、さ……ぼくも」 「いいんだよ、フィーは少し休んでなって」 「うむっ! キリ坊もそろそろ限界。しからば、俺様たちの出番ということよ!」  トゥリフィリが戦闘に参加すれば、もっと楽な筈だ。  だが、キリコを放ってはおけない。  そして、仲間たちも満身創痍だ。  だから、トゥリフィリは前を向く。  必ず迷宮の最奥へと突き進んで、真竜ニアラを倒す。トゥリフィリは初めて、許せぬ存在を知った。人が人を許すことは、傲慢であっても人の知恵だ。同様にまた、人も人に許され、大自然の多くに許され続けてきたからだ。  だが、真竜ニアラは違う。  自らを神、摂理そのものとうそぶく悪意の塊を、トゥリフィリは許せない。  そしてそれは、拳を振るう相棒も同じだった。 「じじぃ! あんたが先頭切ってるって、どういうこったよ……なあ!」  今日もトゥリフィリの前に、ナガミツが立っている。  だが、今日はいつも通りの彼の前に、小さな矮躯が歩いていた。  アゼルはサイキックの力を振るい続け、荒れ狂う力そのものとなって進む。  静かに、ゆっくりと……紅蓮の焔と凍てつく吹雪、轟く稲光を纏って歩き続ける。  S級能力者の中でも、サイキックと呼ばれる者たちの力は強大だ。超感覚Sランクの力は、物理法則や常理を捻じ曲げ、精神力だけで結果だけを引き寄せる。それは既に、太古の昔に使われていた魔術と、なんら変わらない。  まして、アゼルの正体は何百年も生きてきた最強の錬金術師である。  その彼が、刻む一歩に自分の命を乗せて、進む。  思わずトゥリフィリは声を叫んだ。 「おじいちゃん! 無理しないでよ……こういうのって、こんなのってないよ!」  だが、肩越しに振り返ったアゼルは、笑った。  それは、見た目に相応の無邪気な、子供の笑顔だった。 「なに、若者のために道を切り開くのは、いつだって年寄りの役目なのさ。気にしないでくれたまえ」  アゼルの振るうサイキックの力は、絶大だ。  大半の敵が、恐るべき超常の力に飲み込まれてゆく。  辛うじて避けたマモノが、エグランティエとキジトラによって片付けられていった。ナガミツもその戦いに加わってはいるが、明らかに運動量が落ちている。否……意図的に仲間たちが、楽をさせてくれているのだ。  自然とトゥリフィリにも、気遣いの中で託された想いを感じていた。  仲間たちは……特にアゼルは、自分たちのために捨て石になるつもりだ。  アゼルの隣へと踏み出て、ナガミツが炎に包まれた敵を蹴り飛ばした。 「はは、ナガミツ! 下がっていたまえよ。ここは僕の見せ場なのだからね」 「おいっ、じじぃ! 俺よりあんたの方が消耗してんだろ。なのに――」 「なに、我が子も同然の下僕に……いや、仲間に死なれて気付いたのさ」  白くスパークする雷の閃きが、あっという間に無数のマモノを黒焦げにする。  そして、目の前に巨大な壁が現れた。  咲き誇るフロワロが織り成す、それはまるで鮮血の絶壁だ。  フロワロは、その場所を支配する竜の象徴だ。竜の力が強いほど、フロワロは毒々しい赤で咲き誇る。帝竜の支配領域ともなれば、文明の象徴たる都市とてフロワロに飲み込まれてしまうのだ。  目の前の壁を守護する竜が、翼を広げてこちらを威嚇してくる。 「チィ! ここにきてドラゴンロードかよ……じぃさん? 待てよ、じぃさん!」  ナガミツを軽く手で制して、アゼルが前に歩み出る。  その髪はもう、色が抜けて真っ白だ。  先程アゼルは、力を使い過ぎたと言っていた。  だが、彼は口元に笑みを浮かべている。 「ナガミツ、そしてフィー。キリコも、エジーもキジトラも……いいかい?」  不思議と、あのナガミツが一歩下がった。  それはまるで、アゼルの気持ちを汲んだようにトゥリフィリには見えた。以前なら、戦術的な有利不利を計算して口にし、そのデータを元に行動する少年だった。  だが、そんなナガミツが、斬竜刀が引き下がったのだ。  それをよしとするように、アゼルは言葉を続ける。  吠え荒ぶドラゴンロードを前に、白くなった彼の髪がふわりと舞い上がった。 「真竜ニアラとやらの傲慢さ、許してはおけない。奴は人間を……僕たちを、君たちを、みんなを家畜と言ったのだからね」  トゥリフィリは目が離せなかった。  今まさに、鋭い牙が絶叫と共にアゼルを飲み込もうとしている。  だが、彼はそっと地面に片膝を突いた。  そして、床へと小さな手で触れる。 「人とて家畜を飼いならし、自らの糧とする。あらゆる生命が、他の生命をもらうことで種を繋いできたからね。だが、人間には糧への感謝、家畜への愛情がある。奴は……真竜ニアラは」  不意にトゥリフィリは脚を止めた。  他の皆も、身構えながら固まってしまう。  恐らく、S級能力者ならずとも気付いただろう……アゼルの周囲に、力場が展開してゆく。それは、不可思議な光を明滅する床を、真っ黒な闇で塗り潰してゆく。  広がる漆黒の中で、アゼルは目の前のドラゴンロードを睨んだ。  鋭い視線に一瞬、ドラゴンロードは怯えを見せて、次の瞬間に怒りを爆発させた。  口から放たれるブレスが、あっという間にアゼルを飲み込む。  その爆発の中で、広がる闇の中に……無数の瞳が見開かれた。 「君たちは、家畜などではない。人は情愛を持ち、生きる尊さを知っているのだから。だから……征きたまえよ。ムラクモ13班……露払いは、この老耄が引き受けた!」  あっという間に、凝縮された闇の視線がドラゴンロードを絡め取る。  思わずトゥリフィリは、言葉を失った。  瞬間、激しい衝撃と共にフロワロが舞い散る。真っ赤な花びらが、まるで悲鳴のような風鳴りと共に宙を乱舞した。  暗黒に飲み込まれたドラゴンロードは、断末魔すら残さず消滅していた。  そして開かれる道の先に、長い上り階段が現れる。  それを見据えて微かに微笑むと、アゼルはその場に崩れ落ちた。 「じじぃ! おいこら、手前ぇ! 格好つけやがって……クソッ、死なせるかよ!」  思わずナガミツが駆け寄る。  その表情にはもう、はっきりと感情が浮き出ていた。  だが、そんな彼の肩を掴んで、キジトラが呼び止める。  静かに首を横に振る親友を見て、ナガミツも何かを察した。  そしてトゥリフィリも、自分が託されたものを思い出す。  低くくぐもる笑い声が降ってきたのは、その瞬間だった。 「クァハ、クハハハハハ! 滑稽、実に滑稽……人の身でありながら、無駄なあがきを」  先程の、頭の中に響く声とは違う。  はっきりと肉声で、下卑た嘲笑が響き渡った。  開かれた道の先、階段の上から……真竜ニアラの声が、トゥリフィリたちの必死の戦いを嗤っていた。