全てを焼き尽くす、その力はまさしく神威。  トゥリフィリは、神竜ニアラから放たれたブレスに視界を灼かれた。なにもかもが真っ白に塗り潰されてゆく。だが、不思議と熱くも痛くもない。  なにかが自分を守ってくれている、そう思った瞬間……世界は暗転した。 (あれ……ぼく、もしかして。そっか……結構、頑張ったんだけどなあ)  突如として現実から、切り離された。  なにも感じぬ虚無の中に、トゥリフィリは放り出されていた。  今頃、自分の肉体は燃え尽きてしまったのかもしれない。やはり、神を自称する最強の竜を相手に、人間は無力だったのか。その答えが今の、この状況なのだろうか。  だが、不意に眼前にヴィジョンが広がる。  それは、つい先日の都庁での一幕だった。 『ふむ、貴様がトゥリフィリか……ムラクモ機動13班の班長だな?』  目の前に、真っ赤な瞳を燃やす少女が立っている。  自分を見上げてくる、幼女とさえ言える小さな女の子だ。  トゥリフィリは自然と、膝に手を当て僅かに身を屈める。  この少女の名は、エメル。  あのアイテルの姉で、本来は成人女性の姿の筈だ。今は滅びてしまったアメリカで、大統領の秘書をやっていた人である。それが今、アメリカ本土の全滅と大統領の死もあって、日本へと逃げてきたのだ。  今の姿は、力を少し使い過ぎた結果だと言っていた。  そのエメルが何故か、記憶に浮かび上がったのだ。 『えっと、君は』 『私の名はエメル。妹のアイテルが世話になったそうだな』 『あっ! え? あれ、エメル三? こないだ見た時は大人だったのに』 『そんなことはどうでもいい! ……フン、アイテルの奴はまだ、あのタケハヤとかいう男につきっきりなのか。それでは、我らヒュプノスの民の悲願は』  どうして、エメルはいつもこんな目をしているのだろう?  紅玉のように美しい瞳は、いつも憎悪に燃え滾っていた。その暗い輝きだけが、トゥリフィリの心に深く刻み込まれている。  まるでエメルは、憎しみそのものでできた人形のようだ。  それは、どこまでも慈愛に満ちたアイテルとは対象的である。 『もはやタケハヤは、あれはもう持たん……奴は、違ったか』 『違った? なにが……でも、タケハヤさんは全力で生きたよ。今も、生きてる』 『……そうだったな。許せ、口が過ぎた。そして、私もまた確信を得たということか』  少し寂しげに、エメルが笑った。  そんな彼女だけが、避難民でごった返す都庁の中で、まるで周囲から切り取られたかのように浮いている。確かに目の前にいるのに、酷く存在が不確かで消えそうに感じられるのだ。  だが、あの時確かにエメルは言った。  不思議な言葉でトゥリフィリを定義したのだ。 『お前が……お前たちが、狩る者なのだな』 『狩る、者? それは』 『今は知る必要はない。ただ、覚えておけ……己がそうだと証明してほしいのだ。証明し続けろ……それが人の希望となる』  アイテルほどではないが、エメルもまた話が抽象的で、どこか言葉も思わせぶりなことが多い。  だが、今ならトゥリフィリにはわかる。  理解や納得ではなく、直感で感じるのだ。  狩る者……そう、それは恐らく『竜を狩る者』だ。  トゥリフィリと仲間たちがそうで、今は過去になりつつある。 (……そうだ。人の希望なんて大それたものにはなれなくても……誰かのために、ぼくは狩るんだ。ぼくは……ぼくたちは、竜を狩る者になるんだ!)  次の瞬間、セピア色の思い出が弾けて霧散した。  そして、ひりつくような火傷の痛みが身を苛む。  だが、その激痛も今は自分の生を実感させてくれた。  気付けばトゥリフィリは、屈み込むナガミツの胸の中にいた。自分を抱き締め守ってくれたナガミツは、その背から白い煙を巻き上げ沈黙している。  ただ、その腕は力強くトゥリフィリを包んでくれていた。 「ナガミツちゃんっ!」 「ああ……無事か? フィー」 「なんて無茶を……」 「フィーは、俺の、戦う理由……だから、な。お前が無事なら、俺は、戦える……」  そう言って、ナガミツは無理に笑ってみせた。  あのナガミツが、不器用に笑みを浮かべたのだ。  思わず涙ぐむトゥリフィリの瞳が、見るもの全てをぼんやりと滲ませてゆく。  泣くまいと手の甲で瞼をゴシゴシこすれば、頭上から哄笑が鳴り響いた。 「クァハハハハハ! クァハ! 人間よ、ワレに背いた罪の味! 罰の痛みを受けよ!」  見上げれば、翼を広げたニアラが目の前に立っていた。  肩越しに振り返るナガミツも、目元を険しく敵を見据える。もう、普段の無感情で無表情な少年はそこにはいなかった。怒りに燃えて猛り、諦めを胸に沈めた戦士の顔がそこにはあった。  だが、周囲を見れば仲間たちは誰も立ってはいない。  キジトラもエグランティエも、倒れたまま動かない。  不安に胸が軋る中、ニアラの笑いが残酷に響き渡った。 「もはやワレを妨げる者はおらぬ! 今こそ刈り取る時……ワレは生命を刈るモノ! 家畜共よ、その絶望をワレに捧げよ!」  だが、トゥリフィリは一度だけナガミツを抱き返して、ギュムと彼の胸に顔を埋める。そして、自分の足で立ち上がると、そっとナガミツに手を差し出した。  その手を握って、隣にナガミツも立ち上がる。  二人で見上げたニアラは、恐るべき重圧で睥睨する全てを嗤っていた。 「絶望、しない。して、やらない!」 「ああ。ニアラ、手前ぇだけは許しちゃおけねえ。斬竜刀の名に賭けて、ブッ倒す! ――そうだろ、キリィィィィッ!」  ナガミツの絶叫、それは咆吼だった。  満身創痍で身構える彼の視線を、トゥリフィリも追う。  それは、ニアラの背後で小さな影が立ち上がるのと同時だった。  黄金に輝く剣を手に、華奢な少女が起き上がった。彼女は胸に手を当て息を吸い、ゆっくり吐き出す。そうして見開かれた瞳に、神代の巫女の力が燃えていた。 「応っ! ナガミツ、私たちは……俺たちは斬竜刀! 邪を裂き、魔を断ち……あらゆる竜を斬り伏せる!」  キリコの長い黒髪が、ふわりと浮かび上がる。  トゥリフィリにもはっきりと、彼女の身体から迸る力が感じられた。太古の昔より、日ノ本を守護してきた伝説の凶祓……羽々斬の巫女の覇気が、ニアラの不快なプレッシャーを覆い潰していった。 「無駄なことを……ワレには勝てぬ! 異能の力を持とうとも、神であるワレには」 「……今なら、わかる。姉さんが、母さんが……みんなが守りたかったものが!」 「黙れ小僧! クァハ、ハ! 巫女の残骸を寄せ集めた、出来損ないが!」 「私は、出来損ないじゃない。それを教えてくれたのは、トゥリ姉とナガミツだ。私は、姉さんの代りなんかじゃない。姉さんを詰め込んだだけの存在じゃ、ないっ!」  瞬時にトゥリフィリは、愛用の二丁拳銃を足元から蹴り上げた。灼けて熱したそれを空中で掴んで、ドロドロに溶けた片方を捨てる。無事な方の撃鉄を引き上げれば、薬室が最後の一発を飲み込む。  トゥリフィリは意を決して、最後の戦いへと身を乗り出す。  それは、ナガミツとキリコが地を蹴り突撃するのと同時だった。