最後の戦いが始まった。  これが最後だと、馳せるトゥリフィリは自分に言い聞かせる。  まさに決戦……全てを終わらせる時は、今。  これより先に敵はなく、敗北すれば終焉が訪れる。  だが、不思議とトゥリフィリは気負いを感じなかった。  たった一発の弾丸しかない、愛用の拳銃を両手で構えて走る。  その先を今、ナガミツが全力で駆けていた。 「神竜ニアラ……手前ぇは絶対、許さねえ!」 「クァハ! ハ、ハ! 機械じかけの人形風情が」 「その人形風情に手前ぇは負けんだ……まだ俺が人形に見えてるなら、もう負けてんだよ!」 「……不快な! ワレは神ぞ! そのワレが既に負けていると抜かすか!」  羽撃くニアラの翼から、無数の光が降り注ぐ。  既に床はひび割れ、空間そのものが崩壊してゆくかのような激震が止まらない。  どこまでも破滅へ向かうような、絶望と隣り合わせの瞬間が続く。  だが、ナガミツは乱れ飛ぶ光弾を徒手空拳の体術で次々と切り払った。  そう、後ろを走るトゥリフィリを守ってくれてるのだ。  そして、戦っているのは二人だけじゃない。 「神竜ニアラ! お前が神なら、私は神さえ討ち滅ぼす!」 「異能の血筋がなにを言う!」  キリコは、ボロボロのセーラー服でニアラへと走る。  その手には、タケハヤから託された竜殺しの神剣が握られていた。金色の緋緋色金で鍛造されし、太古の聖剣……八岐大蛇の尾より生まれた、天叢雲剣である。  疾風となって馳せるキリコが、全身をバネに剣を引き絞る。  その刀身は、まるでキリコを押し出すように蒼い光を迸らせた。  眩い輝きに一瞬、ニアラが表情を歪めるのをトゥリフィリは見た。 「ヨセ……ヤメロ! その忌まわしきチカラを、ワレへ向けるなど!」  それは、深く澄んだ蒼だった。  ゆらぐ炎はまるで、この星の色のように広がってゆく。  キリコは迷わず、全力で一撃を振り抜いた。  切っ先がニアラの攻撃をかいくぐり、禍々しく光る甲殻と鱗に触れる。燃え盛る蒼炎は、まるで意志ある生き物のように傷口を焼き尽くした。  ニアラが絶叫して身を捩る。 「オノオオオオレエエエエエエ! 人間! ニンゲン! 家畜如きが!」  再びニアラの口から、真っ白く世界を塗り潰すブレスが解き放たれた。  だが、キリコはまるで翼を得たように宙へと舞い上がる。  それは、ナガミツが全力で跳躍するのと同時だった。  二人の身体は今、限界を超えて尚……その先を掴む力に満ち溢れていた。僅か一瞬でも、人は今の自分を過去にする。未来のために、自分の全力を引き上げるのだ。  キリコとナガミツの声が、重なり螺旋を描いて天へと昇る。 「これでええええっ!」 「終わりっ、だあああっ!」  乾坤一擲、ニアラの脳天へとキリコが吸い込まれてゆく。その手に燃え上がる天叢雲剣が、その鋭い切っ先が真っ直ぐ突き立った。そのまま深々と、ニアラの眉間を刺し貫く。  そこに、ナガミツが狙い定めて蹴りを放った。  夜空を切り裂く流星のように、風を纏ってナガミツが落ちてくる。  全力全開の飛び蹴りが、キリコの手を離れた天叢雲剣を蹴り抜いた。  一際苛烈な光を放って、神代の刃が砕けて割れる。  粉々に散って星となり、その先端がニアラを貫通して大地に突き立った。  同時に、ズシャリと轍を刻んでナガミツが着地する。  続いて降り立ったキリコは、そのまま倒れ込んで動かなくなった。  だが……頭部を撃ち抜かれても、ニアラは不遜な哄笑を響かせた。 「クァハ! ハァ……クハハハハッ! それで終わりか? 終わりだなあ! ニンゲン……その全力の一撃、ワレには届かんぞ……そして今、竜殺しの刃は失われた!」  既にニアラは、生物としての常識を超越していた。  やはり、自らうそぶく通り、神なのかもしれない。  だが、トゥリフィリは自分がなすべきことを知っていた。わかるより先に感じていた。ニアラがもし神なら、神様を信じて祈る全ての人が絶望するだろう。  それは、決して許してはいけない。  神様を信じる人たちの、その心の中の神様をニアラが殺してしまうから。 「神竜ニアラ……ぼくたちはまだ終わってない。なにも失ってない……だって、ナガミツちゃんは……キリちゃんは! みんなを守る斬竜刀だから!」  狙い定めて一撃、静かにトゥリフィリは銃爪を銃身に押し込む。  撃ち出された最後の弾丸が、崩れ行く床に突き立った刃を……天叢雲剣の最後の欠片を弾いた。小さくリン! と鳴って、黄金の破片が宙を舞う。  それは、阿吽の呼吸でナガミツが走り出すのと同時だった。  完全に自分の勝利を確信していたからか、ニアラが両の眼を見開いた。 「ナニを……や、やめ……ヤメロ! そうか、神剣に宿りし力そのものを取り出したか!」 「うるせぇ! ……ちょいと借りるぜ、タケハヤ……俺に! 俺たちに! 力を!」  パシィ! とナガミツは、小さな金属編を手に取った。  伸ばした彼の左手が、見えない力を受け止めた。  瞬間、先程にも増して強い光が吹き上がる。凛冽たる闘気となって、どこまでも蒼く炎は燃え盛る。そのままナガミツの手を、腕を飲み込むように膨らんでゆく。  それを見たニアラが、はっきりと恐怖に顔を歪めるのをトゥリフィリは見た。 「ヨセ! 人間風情が!」 「人間つったか? 俺を……違うね、けどなあ! 俺がフィーの隣にいる限り! 皆の、人間の隣にいる限り! 誰も家畜だなんて――呼ばせねえ!」  もはや蒼き業火の塊となった左拳を、全力でナガミツは押し出した。  咄嗟にニアラから、見えない光が広がってゆく。  そして、ナガミツの一撃は波紋を広げる透明な障壁に遮られる。  苦しげに顔を歪めながらも、ナガミツは身を声に雄叫びを張り上げていた。 「ぐっ、が、がっ! こんのぉ……押し、込んで、やらああああああっ!」 「ヒ、ヒィ! ワレの力が、神を守る力が! この肉体が! 震えているだと!?」  既にもう、ナガミツの左腕は炎の中に消えつつあった。天叢雲剣に封じられた、神をも滅する竜殺しの力……それを今、ナガミツは己の身体を燃やして叩き付けている。  外装は溶け消え、人工筋肉が燃えてゆく。  フレームが丸出しになった拳を、それでもナガミツは真っ直ぐ押し込んでゆく。 「ナガミツちゃんっ!」  思わずトゥリフィリは駆け出していた。  弾切れになった銃を捨て、全力疾走していた。  その脳裏に、懐かしい声が過る。 『よぉ……違うだろ。なあ、ナガミツ……お前は――』  それは、この世を救うために己を捨て、ドラゴンクロニクルをその身に招いた男の声。竜へと堕して尚、世界をどこかで見守っている男の声だ。  走りながらトゥリフィリは、見えない声と無意識に言葉を交わす。 『違うぜ、ナガミツ……そうじゃねえんだ。お前は……だからよ』 「そうだよ! ナガミツちゃん!」 『お前は……俺とは違って、お前は……斬竜刀だろうが。だったら――』 「だったら! ナガミツちゃん! 切り裂いて……竜を断ち割り、斬り伏せて!」  トゥリフィリの絶叫に、一瞬ナガミツが拳を引いた。  その時……燃え盛る蒼炎は逆巻いて、姿を変える。大きく身を捩ったナガミツの左腕、その肘に光が集って刃となった。  それを見た時もう、ニアラは言葉にならない悲鳴を張り上げていた。  ナガミツは、今まさに己の全てを刃に変えた。  斬竜刀はただ静かに、時間と空間さえたやすく千切る一撃を放つ。  トゥリフィリが駆け寄った時にはもう、ニアラは光の線で中心から真っ二つに両断されていたのだった。