あの決戦から、一週間。  選ばれし救世主トゥリフィリは、悪の竜魔王を倒した勇者として凱旋した……というような、華々しいエンディングは巡っては来なかった。  当然だ。  なにも終わってはいない。  むしろ、ここからまた始まるのだ。  竜災害からの復興という苦難に向かって、名も無き勇者が立ち上がる。そして、歩き出す。それはムラクモ13班のS級能力者ではなく、市民一人一人なのだから。  勿論、それを助けて支える日々に、トゥリフィリは充足感を感じていた。  日々蓄積する疲労さえ、仲間と分かち合えば嬉しかったのだ。 「そりゃ、疲れてるのは認めるよ? 認めるけど、こんなの……ちょっと、ねえ」  今、トゥリフィリは都庁のスカイラウンジ最上階にいる。そこは、避難生活の中で数少ない、プライベートな時間を過ごせる場所だ。デートスポットとしても好評で、市民たちの予約で半年先までびっしりとスケジュールが埋まっている。  都内の各地から集められた、上品で高級感のある調度品。  安らぎとときめきを演出する、ピンクを基調とした内装。  そこはホテルのスィートルームとまではいかないが、いわゆる億ションの一番いい部屋ってこんな感じかなと、トゥリフィリに思わせてくれる場所だった。  そして、ソファに座る彼女の視線の先に、甲斐甲斐しく手を動かす背中がある。 「フィー、食後のお茶はコーヒーがいいか? それとも紅茶か緑茶か。冷たいものも提供が可能だ」 「あ、ありがと……ナガミツちゃん。えっと、それで」 「先に油ものの皿を洗剤に浸けておく。皿洗いも任せてくれ」 「お、おう。なんか、主婦スキルだね……どこで覚えてきたのさ」 「大抵の知識と技術は、データで学習可能だ。それに、エジーと一緒に実技も経験した」  なにをやっているんだ、なにを。  今、部屋の奥にダイニングバーと一体化したキッチンがあって、そこでナガミツが働いている。割烹着に三角巾と、本格的なおさんどんスタイルだ。  いつもの真顔で、ナガミツはキリキリと働く。  先程までトゥリフィリは、彼と二人きりで遅めの夕食を共にしていた。この場所へと彼女を誘ったナガミツは、腕を振るって手料理を御馳走してくれたのだった。 「ね、ねえ、ナガミツちゃん。……なんで? どしたの」 「ん、ああ。フィーは最近疲れてると思った。十分な休息が必要だと感じた……駄目か?」 「駄目じゃないけど、こぉ」  ちらりと部屋の奥を見やる。  寝室には、キングサイズのベッドが二つ並んでいる。  今日のナガミツは、朝までこの部屋を狩りているらしい。  だとすると、もう答えは一つしかない。  それが嫌ではないが、唐突な気がして気持ちの準備ができていないトゥリフィリだった。 「ふむ……まあ、フィーを労いたかったんだ。フィーはいつも頑張ってる」 「えー、そんな……えへへ、ありがと。でもさ」 「……あと、俺にだって……下心という概念に極めて近い感情のゆらぎが検知されることだってある」 「つ、つまり?」 「フィートねんごろになりてえ」 「ちょ、ちょっとナガミツちゃん! 言葉選ぼうよ!」 「む? そ、そうか? キジトラに色々教わったから安心してくれ」  全然安心できない。  脳裏に、ワッハッハと笑いながらフェードアウトする仲間の姿が過ぎった。  あとでとっちめようと思ったが、凝りないのも知っている。そして、悪知恵や悪戯をナガミツに教えるあの男は、本質的には邪悪でも意地悪でもない。  まさに悪友、そういう人間がナガミツの側にいると、どこかトゥリフィリもホッとする。 「ちょっと、ナガミツちゃん。こっち、来て」 「ああ、待ってくれ。デザートも冷やしてある」 「……ホント? 甘いやつ?」 「凄く、甘い。洋梨が手に入ったんで、シイナとタルトを作った」 「それ、持って来て。とにかく、ちょっと来てよ」  ナガミツはきょとんとしながらも、トレイにお茶とデザートを乗せてやってきた。  この状況下では、スイーツはとても貴重品である。なにせ、避難民の大半は食うのにやっとで、闇市では目が飛び出るような値段でお菓子が売れている。今は円やドルより、Azと呼ばれる万能資材での取引が主流になっていた。  突然の御馳走に驚きつつ、トゥリフィリはソファの隣をポンポンと叩く。  ナガミツは割烹着を脱ぐと、丁寧に畳んでから横に腰掛けた。 「あのさ、ナガミツちゃん」 「うん。……嫌、だったか?」 「まさか! でも、びっくりしちゃった」 「サプライズ要素も大事だと、ノリトが教えてくれた。奴の持ち込んだゲームでは、かなり多種多様なシミュレーションによるトレーニングを」 「ちょっとちょっと、そういうのじゃなくてさ」 「戦闘以外で、こんなにも真剣になったのは初めてだった」 「あ……」 「俺は、竜とマモノを倒す以外、人間を知らな過ぎた。でも、今は違う」  端正な凛々しい表情で、ナガミツが見下ろしてくる。  だから、トゥリフィリはなにも言う気になれなくて、ポフと彼に寄りかかった。  ナガミツは、トゥリフィリを戦う理由にしたいと言った。人類のために戦う、そのためにトゥリフィリを必要だと言ってくれたのだ。  嬉しかった。  照れくさかったけど、内心自分も同じだったと思う。  自分を備品と称して、13班の班長であるトゥリフィリに管理されることを望む人型戦闘機。邪を断ち魔を裂く、人類の守護者……斬竜刀として造られた少年。だが、ナガミツはトゥリフィリや仲間との日々で、どんどん人間らしさを獲得していった。  否、人間に近付いたのではない……ナガミツという個人が確立したのだ。  ナガミツは人に似せて造られたロボットのまま、自分の意思と情緒を得たのである。 「……フィー」 「ん? ああ、ゴメン……少し、こうさせて」 「謝る必要はないが、俺も……いいか」 「勿論。ふふ、なんか変なの」  ナガミツは、ぎこちなくトゥリフィリの肩を抱き、そのまま頭を撫でた。  なんだかちょっと変だが、彼は時々これをやる。  ナガミツなりに、トゥリフィリに対する親愛の表現なのだろう。 「よしよし、フィーは頑張ってる。頑張り過ぎるといけないからな、今日は俺がオモテナシというやつをしてみた。キジトラの話では、ここからしっぽりと過ごすらしいが……しっぽりという言葉の意味がわからない」 「んー、こういうことだけど?」  トゥリフィリも腕を回して、ナガミツを抱き締め胸に顔を埋める。  一緒に過ごして共に戦う中、気付けば距離が近付いていた。二人の間がゼロになって、これから交わり溶け合ってゆく……そんな心境さえ感じる。 「ねえ、ナガミツちゃん」 「ああ、なんだ? ……そうか、これがしっぽりか。……凄く、なんか……いいな」 「うん。ナガミツちゃんはさ、ぼくを戦う理由にしたいって、言ってくれたよね?」 「ああ。これからも、そうしたい」 「いいよ。ぼくもさ、なんか……ナガミツちゃんがいてくれたから、戦いに意味を見出せた。意義のあることだと思えたから、頑張れた」  自分を心の支えにして、生まれたての気持ちに想いを灯した少年がいる。  そんな彼の奮戦が、少女の中で大きな化学反応を起こした。  戦いを望みはしないが、避けられぬ戦いからは、逃げない。守るべきもがあって、共に守る仲間がいたから。そして、仲間だったナガミツはもう、相棒という言葉からも少しはみ出してしまう。 「キリの奴が目を覚ましたら、みんなで一緒に来たい。また、誘ってもいいか? フィー」 「ふふ、だーめ。次はぼくがナガミツちゃんを誘うから」 「! それは、嬉しい、です。ありがとうございます」 「なんで敬語なのさ、もぉ」 「いや、すっげえ予想外で、嬉しくて、願望と現実の折り合いが処理不能なレベルで高揚感をな、ええと……フィー、俺はお前のことが……好きだ」  ぼくなんて、とっくにだよ。  そう呟いて抱き合い、ずっと互いの体温を通わせ合った。詰め襟の上からでも、ナガミツの触感と体温は人間ではない。けど、確かに彼であることを伝えてくる。  優しく抱き寄せてくれるナガミツの胸で、気付けばトゥリフィリは夢へといざなわれるのだった。