ふと目を覚ましたトゥリフィリは、ナガミツの腕に抱かれていた。  どうやら二人きりのVIPルームで、ソファでくつろいだまま寝てしまったらしい。見上げれば、丁度ナガミツもゆっくりと瞼を開く。  お互い言葉を選ぶ中でも、先程の夢を共有した一夜が確かに感じられた。 「お、おはよ……ナガミツちゃん」 「おう、おはようフィー」 「夢、見てたね。一緒に」 「ああ。夢だったけど、俺は……俺たちは確かに受け取った」  そう、託された。  遥かな刻の果てで、いつか人類戦士と呼ばれる男から託された。  それは、人類の明日であり、この星の未来かもしれない。  その全てであり、ほんのささやかな願いでもある。  だが、タケハヤの想いを共有して分かち合った二人は、改めて決意と覚悟を言葉にする必要を感じなかった。自然と、どちらからともなくそっと頬に触れる。そうして、静かに唇を重ねた。  ぎこちないナガミツのキスは、初めてのトゥリフィリにも緊張を伝えてくる。  不器用だが真摯な気持ちも一緒に。 「ん……ナガミツちゃん、えっと」 「あ、ああ。その……どうだ?」 「どうだ、って言われても……ぼくだって初めてだから」 「そ、そうなのか!?」 「そうだよっ! ……なんか、変なキス。でも、伝わったよ? 沢山、全部」  自然と笑みが浮かんで、トゥリフィリはナガミツを強く強く抱き締めた。  驚いた様子を見せたが、ナガミツもそっと両腕で包んでくれる。  だが、二人の蜜月の朝は長くは続かなかった。  不意にドアがけたたましくノックされる。 「班長! ナガミツも、そこにいるな! ええい、服を着たら開けてくれ。緊急だ!」  声の主はキジトラだ。  しかも、常に不敵な余裕をたたえた彼が、今ばかりは逼迫した声を張り上げている。  それだけでもう、ただごとではないと感じられた。  そして、先程の夢を思い出す。  キジトラは突然、フレッサに呼び出されて退場したのだ。流石は魔女だと言うしかない、反則スレスレの荒業だったのを今でも覚えている。  そのキジトラに急かされて、慌てて二人は離れた。  軽く身なりを整え、ドアを開ければ血相を変えた顔が出迎えてくれる。 「おう、いたな! どうだ、ナガミツ! 昨夜はお楽しみでしたね、というやつか!」 「なんだそりゃ、キジトラ。意味がわからん。それより……夢を、覚えてるか?」 「あ? 夢だぁ? ……そういえば、妙な夢を見た、気がする。それなのに、靄がかかったように思い出せず……と、それよりだ! ついてこい!」  慌てた様子でキジトラが走り出す。  その背を追って、トゥリフィリはナガミツと共に都庁を下へと降り始めた。  エレベーターを待つのももどかしいのか、転がるように階段を駆け下りる。  ナガミツと一緒にキジトラを追うトゥリフィリは、胸中に妙な胸騒ぎを感じた。不安、それも大きな喪失を呼び込むような冷たさだ。酷く落ち着かなくて、その正体が全くわからないのがもどかしい。  キジトラはかいつまんで、状況を教えてくれた。 「今朝、キリ坊が目を覚ましてな」 「あっ、キリちゃんも起きたんだ……よかった」 「寝過ぎだっつーの。……無事、なんだな?」  ナガミツの言葉に、キジトラは重々しく頷く。  しかし、その様子は仲間の目覚めを喜べていなかった。 「二人共、キリ坊の実家の話は知っているな?」 「えっと……羽々斬の巫女、だっけ」 「そうだ。神代の時代より続く、凶祓いの血筋……間違いなく、人類最古の斬竜刀だ」  キジトラの言葉に、ちょっと拗ねたようにナガミツが鼻を鳴らした。  だが、トゥリフィリはもう知っている。二人はもう、互いを認めあっている。どっちが本物の斬竜刀か、どっちが優れた斬竜刀かはもう、関係ないのだ。  昔のもののふ、さぶらいは腰に大小を差してこそ一人前と聞く。  つまりはそういうことだと、トゥリフィリは自分の中で納得していた。  大小二振りの斬竜刀が、腰にはく者こそがトゥリフィリだと思ってるとも知らずに。  そして、キジトラの言葉は緊迫感を増してゆく。 「羽々斬の巫女の使命は、二つ。一つは日ノ本を守り、戦うこと。魔を裂き邪を断ち割って、竜をも斬り伏せる。もう一つは――」  トゥリフィリは耳を疑った。  キジトラの言葉は、14歳の少女であるキリコにはあまりにも現実感がなさすぎる。  同じことを思ったのか、ストレートに聴き返すナガミツの声は尖っていた。 「子供を産むこと、だぁ!? おうこら、キジトラ! 子供に子供を産めってのかよ!」 「……それがならわし、らしい」 「らしい、ってオイオイ、なんだそりゃ! キリは俺たちと一緒に戦った! 必死に! それが、役目が済んだらあとは、次の巫女を産んで終わりかよ」 「俺様に言うな、俺様に! ……納得してる者などいないし、キリ坊のあれは納得ではない。あれは諦めというのだ、あのバカモノめ。あんな顔で笑うとはな」  あっという間に、トゥリフィリたちは一階のエントランスに到着した。  そこは人混みでごった返していて、なにやら揉めているらしい。  どうにか避難民たちをかき分け、その中心へと三人は急ぐ。  視界が開けるとそこには……セーラー服を着た包帯姿のキリコがいた。彼女はトゥリフィリたちに気付くと、周囲の黒服たちを手で下がらせ、歩み寄ってくる。  そう、なにやら物々しい黒服の男たちが、キリコを迎えに来ていた。  警護というには物騒な雰囲気で、まるで監視だ。  それなのに、どこか今日のキリコはいつになく晴れやかな笑顔だった。 「トゥリねえ、ナガミツも。ひょっとして、見送りにきてくれたの? ふふ、ありがとう」 「キリちゃん、あのっ! ね、ねえ、どうしたの?」 「ん、ちょっと……もう竜災害の脅威は取り除かれたから。私には、他にもなすべきことがあるんだ。だから、お別れ。トゥリねえ、ナガミツ……今までありがとう」  キリコはトゥリフィリの手を取った。  そして、ナガミツの手も取り、その両方を重ねる。  微笑むキリコの瞼が、今にも決壊しそうな程に濡れているのがすぐにわかった。 「トゥリねえもナガミツも、好きだった。私は自分が誰なのか、俺はどこにいったのかわからなくなりそうで……でも、今は二人が好き。だから……ずっと、私の好きな二人でいて。二人で一緒に、これからも」  そう言うと、キリコは手を離した。  時間だとばかりに、周囲の男たちが彼女を連れて行こうとする。  呆然とするしかできず、突然のことでトゥリフィリはなにもできず、言葉もかけてやれない。ふと見れば、シイナやノリト、そして13班の全員が身を乗り出していた。ゆずりはたち回収班の面々もいるし、キリノやリンといった上層部の者たちも一緒だ。  だが、誰も口を挟めないし、見えない壁でもあるかのように前に踏み出せない。  ――ナガミツ以外の誰もが。 「おい待て、キリッ! お前、行くんじゃねえよ! なにしてんだよ、なあ!」  駆け寄ろうとするナガミツは、すぐに警護の男たちに押し止められる。男たちの鍛え方もあるが、今のナガミツはまだまだ修復直後でフルパワーは出せないようだ。  それでも彼は、身を捩って声を張り上げた。 「大事な使命ってなんだよ! なすべきことって……それがお前のやりたいことか! 俺たちと一緒にいるより大事なことなのかよ! 俺とお前、二人で斬竜刀だって――」  その瞬間だった。  不意に、細身のすらりとした影がトゥリフィリの視界を横切る。  彼は――そう、若い少年だった――手にした太刀を鞘ごとナガミツへと振り上げた。  鈍い音が響いて、当身でナガミツが床へと突っ伏す。  やはり、ナガミツは今は本調子ではない。そう思っていると、謎の少年はサングラスを外す。そこには、驚きの顔があった。  同じ驚きを感じたのか、ゆずりはの隣でカネミツが「て、手前ぇ!」と声をあげた。 「手間をかけさせるな、オリジナル。巫女様には高貴なる義務がある。造られただけの僕たちとは違うんだ」  それだけ言って、少年は行ってしまった。  なにか言いたげなキリコも、連れ去られてしまう。  だが、トゥリフィリは唐突な敗北感の中で言葉を失っていた。  何故なら……謎の少年は、相棒のナガミツと全く同じ顔をしていたから。  こうして西暦2020年の竜災害は、人類の勝利で幕を閉じる。  さらなる戦いが待つとも知らず、巡る季節が冬を連れてくるのだった。