あの戦いから、既に一ヶ月が過ぎようとしていた。  竜災害を乗り越えた人類は今、冬の到来を前に身を寄せ合って生きる。既にもう、文明の光も温もりもほんの僅かだ。なにもかもが足りない状況が、自然と人々に連帯を思い出させるのだった。  そして、トゥリフィリたちムラクモ機動13班もまた、忙しい日々を送っていた。 「ナガミツちゃん、左っ! でっかいのがいる!」  ここは地下道……かつて文明華やかなりし頃、無数の人が行き来していた地下鉄である。今はもう、マモノが蠢く危険な迷宮と化していた。  トゥリフィリは仲間たちと、毎日この場所でのマモノ退治に余念がない。  少しずつでも、僅かでも、人間の生活圏を取り戻す戦いは続いているのだ。  だが、相棒のナガミツは今日もどこか様子がおかしい。 「左だぁ? チィ、来やがったか! おいキリッ、なにやっ――ッッッ!」  ナガミツは僅かに、顔を歪めて舌打ちを零した。  以前より僅かに、そして確かに感情を顔に出すようになったと思う。それがトゥリフィリたち親しい者にしかわからぬ機微だったとしても、少しずつ情緒が育っているように思える。  そして、最近のナガミツは心ここにあらずといった感じもある。  芽生えて育った心が、時々留守になってしまうみたいだった。 「クソッ、でけえのがいやがったか。叩き潰してやる!」  ナガミツは、今しがた相手をしていた敵へとトドメの一撃。重いボディブローで脚を殺して、間髪入れずに回し蹴りを放つ。  ゴキン! と骨の砕ける音がして、大型の鹿が壁に叩きつけられた。  同時に、ナガミツは軽くステップをフンで構えをスイッチ。即座に横からの絶叫に向き直る。そこには、後ろ足で立ち上がった巨大な熊が吠え荒んでいた。 「フィー、悪ぃ! 援護、頼む!」 「う、うんっ」  獣の剛腕が振りかぶられ、光る爪が空気を切り裂いた。  大きくダッキングでその一撃をかいくぐり、ナガミツはそのまま流れるように身を低く肉薄する。そのまま円の動きで足払いを放てば、旋の如く衝撃が地面をえぐった。  片足を刈られてよろけた人喰い熊へと、トゥリフィリも射線を集中させる。  だが、頭部に二発撃ち込んでも敵は止まらない。 「うわ、まだ生きてる。……そりゃ、君たちも生きてかなきゃだろうけどさ」  もともとこの国には、太古の昔からマモノが跳梁跋扈してきたのだ。それは社会が近代化する中で闇に消えたが、去った訳ではない。ずっと歴史の影で、人間たちと戦いながらこの地に根付いてきたのである。  フロワロの影響もあると言われているが、竜の襲来と共にマモノは凶暴化した。  まるで、襲来したドラゴンたちの置き土産である。 「助かるぜ、フィー。こいつでっ、終わりだ」  足払いの回転力をそのまま維持して、立ち上がりながらナガミツが蹴りを放つ。勢いの乗った重い一撃が、頭部が大半消し飛んだ熊を直撃した。  そびえる巨躯が一瞬だけ浮いて、そのまま力なく後ろへと倒れる。  トゥリフィリは油断なく周囲に気を配ったが、既に敵意は完全に消え去っていた。 「状況クリア、かな? すくなくとも、この区画のマモノはもういいみたい」 「結構、手こずったな」 「んー、まあね。……ナガミツちゃん、あのね、えっと」 「すまん、油断してた。なんだか、あいつがまだ一緒な気がしちまった」  復興へと舵を切ったムラクモ機関は、慢性的な人手不足に悩まされている。  13班の面々も、なかなかまとまって行動することは難しい。どうしても対処の必要な案件が山積みで、最低限の人数で動かざるをえない。  それでも、トゥリフィリになるべくナガミツを同行させてくれるのは、これはキリノたちスタッフの配慮だ。ナガミツにとってもそれがいいと、カジカがスケジュール管理に敏腕を発揮してくれている。  だが、二人でいる時間は、二人きりの楽しみもあるし……二人だけの寂しさもある。 「ナガミツちゃんとの息、ぴったりだったもんね……キリちゃんさ」 「そうか? 俺ぁ別に……まあ、キリの奴はよく動くからな。俺もやりやすかったが……でも、もういねえ。俺たちの側には、いなくなっちまった」  共に真竜ニアラと戦った少女、キリコはもういない。  あの戦いのすぐあとに、謎の男たちに連れられ姿を消したのだ。キリノやカジカといった大人たちでさえ、その居場所は知らされていないという。  だが、なんのために連れ去られたかだけは、衝撃と共に教えられていた。  それを思い出せば、自然とトゥリフィリもため息が零れた。 「キリちゃん、大丈夫かな……ほ、ほら、気持ちは、中身はまだ時々男の子だから」 「……子供に子供を産めってのは、なんなんだよ。クソッ、思い出したら腹が立ってきた」  そう、キリコは選ばれたのだ。  凶祓の一族、羽々斬の巫女としての使命を果たす時……彼女は次代の巫女を産むために、大人たちに連れて行かれたのだ。  キリコ自身、覚悟と諦観を感じさせる笑みを浮かべていた。  その別れの言葉を、今もはっきりとトゥリフィリは覚えている。 「天ノ羽々宮だかなんだか知らねえけどよ……昔からの斬竜刀の一族だったとしてもよ。あいつは、キリは斬竜刀である前に、俺の……俺たちの仲間だ」 「そう、だね。そうだよ、うん」 「……なにか俺たちに、できることはないのか? なにか」 「ん、あるよ? ちゃんとあるから、それを地道にがんばろ?」  意外そうな顔をして、ナガミツは目を丸くした。硝子のような瞳が僅かに収縮すれば、彼が機械仕掛けの肉体を持つ人型戦闘機だとよくわかる。  ナガミツは一瞬固まったが、思い出したように「ああ」と頷いた。 「あいつが帰ってくる前に、この街を少しは綺麗にしとかないとな」 「うん、そゆこと。だから今は、目の前のことに集中しよう。ってか、集中して。ぼく、心配だよ……時々戦いの中で、ぼくもナガミツちゃんも、キリちゃんを感じてるから」  まだ一緒にいるような気がして、咄嗟の時にいつもの連携が脳裏にちらつく。  阿吽の呼吸で互いを繋いだ、三人は一つのチームだったのだ。  トゥリフィリには、人類の希望として二振りの斬竜刀が託されたのだ。 「……それと、あの野郎。あの借りは必ず返す」 「あの野郎、というと……ああ! えっと、ナガミツちゃんの兄弟なんじゃないの?」 「ありえねえよ。同型機は予備パーツを元に造られたカネミツだけだ。先生は俺たち二人しか造らなかった……筈だ」  キリコを止めようとしたナガミツを襲った、悪夢。  サムライと思しき黒服の青年は、ナガミツと全く同じ顔をしていた。  瓜二つだったと、皆が驚いたものである。  だが、トゥリフィリは思い出す都度、思う……あれは同じ骨格、同じ容姿に造られていても、全く違う。トゥリフィリには、別人に見えたのだ。  出会って間もない頃のナガミツになら、似てる気がする。  でも、今のナガミツはもっと表情が柔らかいし、不器用だが感情を表に出すようになった。あんな氷のような無表情ではない。  それがトゥリフィリにはわかるのだ。  誰が見ても仏頂面の鉄面皮かもしれないが、ナガミツの表情にちゃんと彼の気持ちを感じるのだ。 「……よしっ! ナガミツちゃん、気を取り直して次の区画にいこ」 「ああ、だな。俺も少し気が抜けてたけど、そろそろ考えるのは終わりだ。まずは身体を動かして、やることやっていかねえとな。じゃないと、あいつに笑われちまう」 「うん」 「それに……呆けてばかりじゃ、フィーを守れない。それは……嫌だ」 「えっ? まっ、また、ほら! そういうの……ずるいよ」  ナガミツはバリボリと頭をかきながら、奥の暗がりへと歩み出す。  その背を追えば、自然と頬が火照って熱い。  こうして二人は、今日の任務に専心することで今日を生き抜く。いつかまた会える、そう信じているから…その明日へと続く教を積み重ねて、できることをおろそかにしない、今はそれだけしかできない二人なのだった。