その言葉を聞いて、思わずトゥリフィリは踏み出してしまった。  躊躇なく、目の前の麗人に向かって歩み寄ってしまったのだ。  シイナやノリトといったS級能力者を、苦もなく一蹴するだけの力……明らかに桁外れの戦闘能力を持つ、タチへと無防備に駆け寄る。  タチは先程と同じ言葉を、薄い笑みを浮かべながら繰り返した。 「あの子なら京都にいるわ。……そう言ったのだけど、フフ。わかりやすいのね、貴女」  気付けばトゥリフィリは、タチへと詰め寄っていた。  その長身へと、食って掛かる勢いで背伸びする。 「キリちゃんが京都へ!? 京都……修学旅行以来だな、新幹線って動いてるんだろうか」 「あら、もう行く気になっちゃったのかしら?」 「あ、はい。関西の方は、竜災害でどうなってるんだろう」 「そうねえ、あっちにもそれなりの戦力はあるのだけど。それより――」  瞬間、トゥリフィリの背筋を冷たいなにかが突き抜けた。  旋律と共に身構えるも、もう遅いと悟る。  タチがゆっくりと、白い手を伸べてくる。  また、デコピンだ。  それで十分だと思われているのだ。  静かに、まるでコマ送りのように迫る一撃。それがトゥリフィリにははっきりと知覚できた。だが、避けられない。身体が動かないのだ。  まるで金縛りにあったようで、周囲をちらりと見れば全てが静止している。  否……唯一、タチの動きと同じスローモーションで相棒が飛び込んできた。  そして、衝撃音が響き渡る。 「ッッッッ! このババァ、なんてパワーだっ!」 「ナガミツちゃん!?」  すんでのところで、ナガミツがトゥリフィリを手繰り寄せた。そのまま彼女を小脇に抱えつつ、タチのデコピンを右の拳で相殺する。  フルスイングのパンチでも、ただ一本の指を弾き返すのが精一杯だ。  大きくのけぞり後ずさったナガミツに、タチはニヤリと笑ってみせる。 「あらあら……ババァつったか? おうこら、斬竜刀。今……ババァつったか!」 「ああ、言った! 言ってやったぜ……なにか不満か、クソババァ!」 「……おやまあ、これは……教育が必要だねえ!」 「俺だって手前ぇに言いたいことがある! あんたみたいな強ぇ奴が、今までなにしてた! どうしてキリに、あんなもん背負わせやがったんだ!」  トゥリフィリには見えても、決して割って入れない速度域。  その中で、ナガミツはまるで荷物を扱うように今度はトゥリフィリを肩に担ぐ。米俵かなにかのように扱われてしまうが、最新の注意を払って優しくしてくれてるのが伝わった。  同時に、ナガミツは真っ直ぐ右のストレートを繰り出す。  唸りをあげる剛拳が、空気の渦を纏ってタチに突きつけられた。  ――そう、突きつけられた。 「……あら、寸止め?」 「俺ぁ、女は殴らねえ。キジトラが言うには、ダセェんだよ、そういうのはな」 「フフ、男の子のそういうとこ、嫌いじゃないわ」 「けどなあ! 俺は手前ぇがっ、気に入らねえ。ああ、気に入らねえよ……なあ!」  拳を引っ込めると同時に、ナガミツが蹴りを放つ。  その肩の上で、トゥリフィリは未だに奇妙な感覚に振り回されていた。  二人の攻防がはっきりと見える。  アニメーションの真ん中を手抜きしたみたいに、タチの手が刀の柄を握った。例の神速の居合が、音さえも置き去りに閃いた。  まるで台風の中に放り込まれたように、吹き荒れる斬撃の嵐が二人を擦過する。  だが、ナガミツはその全てをギリギリで避けていた。 「こなくそっ、人間の疾さじゃねえぞ、クソババァ!」 「失礼ね、人間かどうかはさておき……ババァって年じゃないっての! ――ッ!?」  ナガミツの蹴りが、何度も居合の一撃と相殺し合う。  だが、そんな中でナガミツは、軸足をスイッチするや前蹴りを放った。無造作に突き出されたかに見えたその脚が、鞘へと戻ったタチの剣を、その柄をグイと押しやる。  居合に蓋をしたとトゥリフィリが思った、その時には既に決着はついていた。  一瞬だけ、タチは驚いてみせた。  その表情から察するに、彼女が思うよりもナガミツは強かったのだろう。  それでも、強過ぎはしないと証明されてしまう。 「グッ、くそ……くそおおおっ!」 「はい、おしまい。……で? 貴女はどうするのかしら? そのオモチャを抜いて勝負してみる?」  電光石火の早業だった。  あっという間にナガミツは、脚を捕まれる。合気の呼吸でタチは、全く力を込めずにナガミツをひっくり返してしまった。そして今、床に組み伏せ逆関節を極めている。  人型戦闘機の躯体といえども、人間と同等の骨格構造を持つため、身動きができない。  そして、瞬時にナガミツが自分を逃してくれたと、トゥリフィリは気付いていた。  気付いたその時には、腰の拳銃に手を伸ばしていたが、それ以上は動けない。 「……ナガミツちゃんを放してください。ぼくも、もっと聞きたいことがあります」 「ふふ、いいわよ?」 「それと、ぼくだって平気じゃいられない。キリちゃんは本当に、苦しんでた……今更出てきて、京都にいるって。どうしてそう、他人事でいられるんですか」  タチはナガミツを手放し立ち上がると、小さく溜息を零した。  ようやくキリノが割って入り、都庁エントランスでの攻防が幕を閉じる。  彼の言葉で初めて、トゥリフィリもナガミツも真実を知った。 「タチさん、あの……皇居の方は」 「ああ、それならもう大丈夫よ。流石に一人じゃ、守るので手一杯だったけど」 「……すみません。本来なら引退した巫女に動いてもらうのは」 「まだ隠居するような年じゃないし、構わないわ。私のようなSS級能力者……複数のS級能力を持つ人間は、遊ばせてられないってのもあるでしょうし」  漠然とだが、トゥリフィリは理解した。  恐らく、タチはサムライとしてだけでなく、デストロイヤーとしての力も持っている。信じられないが、S級能力者二人分の力を同時に宿しているのだ。  まさしくその力は超人、鬼神の如きだ。  フロワロに覆われ竜とマモノが跳梁跋扈する中、一人で皇居を防衛したという話も頷ける。だが、それを知ってさえ納得はできない。 「さて、用も済んだし帰るわ」 「用、ですか?」 「ええ。キリノ、いい部下を持ったわね。例の人が造りし斬竜刀……いい出来栄えだわ」 「彼は今も成長中で、完成形なんてありませんよ。それにタチさん……彼女たちは部下じゃなくて、僕の仲間です」 「……そう、ね。そういうとこ、ナツメにも見習ってほしかったのだけど。駄目ね、私じゃ」  得心を得たかのように、タチは颯爽と去ってゆく。  誰もが畏怖と畏敬の念で道を譲った。  人垣が左右に割れる中で、彼女は一度だけ振り返る。 「ええと、確か……トゥリフィリちゃん? だったかしら」 「は、はい」 「あの子は京都にいる……けど、連れ戻そうなんて思わないことね。京都の連中は竜災害の混乱の中、戦力を結集させつつある。復興後の新体制構築のために動こうとしてるわ」 「それは、えっと……竜やマモノと戦うだけの人たちじゃないってことですか?」 「ええ。いまだに首都を『東京に貸してる』って思ってる人たちだもの。その中でも、とびきりヤバい連中が動き出したわ。旧大戦の亡霊、最後の大隊がね」  それだけ言って、タチは去っていった。最後まで、自分の娘であるキリコについて……娘に作り変えられた息子については、一言もなかった。  その資格すらないと、無言で自分に言い聞かせてるような気がする。  トゥリフィリは、最強故に孤高の防人を見送り、漠然とだがそう思うのだった。