列車の規則的な振動は、人を夢の世界へと誘う。  世界最高峰の静音性能を誇る新幹線、ドクターイエローでもそれは同じだ。まして時刻は丑三つ時……日頃の疲れもあって、トゥリフィリは気付けば眠りへと落ちていた。  こんな時、隣にあの少年はいない。  鉄砲玉のように、一人で飛び出してしまったのだ。 『無鉄砲にも程があるよ、ナガミツちゃん……』  そう、ナガミツは無茶をするし、無理を押し通してしまうこともある。そしてトゥリフィリは、そのフォローに忙しい日々だ。  でも、知っている。  無鉄砲で当たり前、彼は刀だから。  魔を裂き邪を断ち、竜を斬る……斬竜刀だから。  そんな彼の背中を守る銃になる、気付けばそう思っていた。 『まあ、ナガミツちゃんならしょうがないよね、ふふ。……あれ?』  夢を見ている。  そう、肉体が眠っているのに、トゥリフィリの意識は見知らぬ場所にいた。  そこは海辺の砂浜で、静かに凪いだ波が寄せては返す。  遠く沖の方の光は、あれは払暁の光か、それとも落日の残滓か。  波の音しかしない場所に、トゥリフィリは立っていた。  もう一人、不思議な女性と共に。 『……あなたは、確か』  そう、トゥリフィリはこの女性に会ったことがある。  直接会ったことはないけど、何度も彼女と擦れ違った。  知らないけれど、覚えている。  記憶にないけど、忘れられない。  その女性は、静かにトゥリフィリを見詰めて微笑んだ。その長い髪は翡翠色で、獣のような耳が飛び出ている。猫か狐か、そんな感じだ。  そして、艶めく赤い唇が小さな言葉を象った。  その瞬間、トゥリフィリは耳を疑ってしまう。 『へっ? い、いや、ちょっと待って! なにが……ええーっ!?』  獣人の姫君は再度、はっきりと口にした。 『――泥棒猫。そう、この次元と時空に紡がれた世界線では、キリ様は』 『キリ様? えっ、キリちゃん、かな……? でも、ぼくが? ――ッ』  キリコは、今まさにこれからトゥリフィリたちが救おうとしている少女だ。少女の形に押し込まれて、神話を着せられた少年である。  そんな彼女のことを、目の前の麗人は知っているのか?  だが、その問いに対する答を彼女は語らない。  そして、トゥリフィリの意識は覚醒を促される。肉体の目覚めと共に、現実世界で目を開けば……既に列車は停止していた。 「あ……ついた? 京都に……って、あれれ!?」  ぼんやりとあたりを見渡せば、徐々に脳裏が鮮明さを取り戻してゆく。  そして、瞬時に察した、それは肌のひりつく緊張感。  周囲には仲間の他に、銃を手にした兵士が大勢居た。  車両まるごと、謎の軍隊に制圧されていたのである。 「えっと、これは」 「あ、フィーも目が覚めましたね。おはようございますっ」 「おはよ、アヤメちゃん。これ……なに?」 「それがわたしにもさっぱりでして。映画のロケ、じゃないですよねえ」  ちらりとトゥリフィリは外を見やる。  ドクターイエローが停まっているホームには、京都駅の表示が見て取れた。  どうやら目的地に到着したようだが、状況がわからない。  しかも、周囲の兵士たちは妙だ。  やけに時代がかった格好をしている。自衛官でもないし、カーキ色の軍服にマント姿は……まるで旧大戦中の帝国陸軍である。装備も古めかしく、腰には軍刀をさげていた。  隣の席のアヤメが、ざっくりと現状を教えてくれる。 「えっと、京都駅についたはいいんですが……この兵隊さんたちが待ち構えてたんです。なんか、本土決戦旅団? そういう部隊だそうですっ」 「本土決戦て……あっ! そ、そういえば」  先日、都庁を訪れたキリコの母、タチの言葉を思い出す。  ――旧大戦の亡霊。  暗にタチは、京都にトゥリフィリたちの行く手を遮る敵がいると言っていたのだ。そして、それが周囲の時代錯誤な兵士たちなのだろう。  そう考えていると、隊長格らしき青年がやってきた。 「ムラクモ機関、機動13班で間違いないかな? ……まだ子供じゃないか。こんな子たちが竜を? なにかの間違いだと思いたいが」  落ち着いた雰囲気で、すぐに荒事になるような空気はない。  けど、やはり強烈な違和感がトゥリフィリを襲った。  もう、七十年以上も前に一度滅びた、大日本帝国の軍装……青年将校らしき男は、そんな自分になにも疑問を抱いていない。  彼は伝令の兵士らしき男の声に振り返り、耳打ちされて目を見開いた。 「処理せよ、と? マキシマ大佐はなにをお考えなんだ、子供だぞ」 「しかし、大本営からは正式な命令が出ておりまして」 「……信じられんな。しかし、竜をも屠る13班だ。確かに、放置しておけば大事に障る」  勝手なことを言ってくれる、そう思ったらトゥリフィリは立ち上がっていた。 「あのっ、兵隊さん! ぼくたちに戦う意思はありません。ただ、キリちゃんに……羽々斬の巫女に会わせてほしいんです」 「……それは、できない」 「ですよね。だからこうしてる訳で。じゃあ――」  ――じゃあ、押し通っちゃいます。  さらりと言ってのけた、その時にトゥリフィリは自覚した。  初めて気付いたが、自分は随分とナガミツに感化されている。共に戦い相棒と認め合う中で、トゥリフィリもまたナガミツによって変わったのだ。  今は13班の班長として、慎重な熟考より大胆な決断。  そう思った時には、仲間の一人が立ち上がっていた。 「お、おいっ、女! 座ってい、グッ!」  突然、少し離れた席で兵士が倒れた。  その影からリコリスが髪をかきあげ振り返る。 「よく言った、班長。では、奏でよう……私の歌を! 兵士諸君、君たちは楽器だ。ならばかき鳴らそう……響き満ちるは闘争の調べ!」  それは、ボーカロイドという概念を木っ端微塵に粉砕する拳だった。  あっという間に、大柄な兵士たちが二人、三人とその場に崩れ落ちる。  車内の兵士たちは、突然の反撃にどよめきうろたえた。  その不思議な初々しさに、トゥリフィリは察してしまう……この人たちは恐らく、戦いを知らない。訓練されていても、実戦を知らない気がした。 「シイナ、起きてる? アヤメちゃんもリコリスも、行くよっ!」  目の前の体調が、腰の拳銃に手をかけた。  それを見てから反応したトゥリフィリが、瞬速の早撃ちを披露しかける。ピタリと向けた銃口を前に、青年は腰の拳銃を握ったまま固まった。 「道、開けてくださいね。ぼくは撃ちたくないし、誰かを撃ちにきたんじゃないんだ」  すぐにアヤメが、シイナを起こす。  この騒ぎの中で寝続けてるとは、これはこれで大物だ。  こうしてトゥリフィリは、銃でこじ開けた道を歩んで京都に降り立つ。  今、古都での決死の救出作戦が始まろうとしていた。