朝の京都駅を、トゥリフィリは走る。  冬の冷たい空気は、まるで身を切るような寒さだ。  だが、既に身体は温まっている。  こんなところで訳もわからず、ゲームオーバーになるのはゴメンだ。まだ、ゲームは始まってすらいない。そして、遊びじゃないくらいにみんな本気だ。   「それにしても、本土決戦旅団? そんな……だって、戦争はもう75年も前に」  かつて、大きな戦があった。  この惑星が始めて経験する、近代兵器を用いた世界大戦。その中で多くの人が命を散らし、人類社会は有限の狭さを思い知った。全ての国家は大なり小なり、一繋ぎの世界の一部だと思い知らされたのである。  その後も戦争はあったが、世界の全てを巻き込むことはなかった。  人類は愚行の果てに、その愚かさを教訓としたのである。  そのことを思い出していると、隣にシイナが並んで走る。 「コスプレ集団って感じじゃなかったよねー? 不慣れな感じはしたけど、目が本気だったしさあ」 「うん。そもそも、旧帝国陸軍って」 「終戦と同時に解体されてるよねー? わたしもなんか、学校で習ったかも」  そう、まさしく旧大戦の亡霊だ。  そしてそれは、実際の肉体を持つ現実の人間なのである。  この令和の時代に、そんなことがあるだろうか?  だが、疑念は尽きぬども、現実なことは確かだ。  トゥリフィリはもう、竜災害での戦いを通して知っている。どれだけ疑わしい光景に接しても、それが現実ならば否定してはならない。正しく状況を把握することで、常に彼女たちは生き残り、勝利してきたのだ。 「っ! 前にも連中が!」 「フィー、後からも来てるよっ! ああもーっ、アヤメ、ちょいゴメン!」 「ひあっ、シ、シイナッ!?」  シイナが、必死で走るアヤメを抱え上げた。  同時にトゥリフィリも、ギアを上げて加速する。  それでも、京都駅の静まり返った構内を、軍靴の音が塗り潰していった。  流石に数が多い。  詳しくはないが、旅団規模の軍隊というのは、かなりの大部隊の筈だ。 「フィー、シイナとアヤメも。ここは私が食い止めよう。外へ!」 「えっ? リコリス、でも」 「任務の遂行こそが肝要なのだ。なに、私とてここで潰れるつもりはない」 「……わかった、無理はしないで。ぼくたちが離脱したら、君も逃げること。あとで合流しよ? メールするから」  頷くリコリスが、振り返った。  踵を返す彼女のヒールが、激しい火花を散らして床を削る。  腰を落として拳を構える彼女が、どんどん背後に遠ざかる。  さっき知り合って、仲間になったばかりだ。  これっきりになったら、そんなの寂しすぎる。  それに、トゥリフィリたち13班の敵は、人間などではない。竜、すなわちドラゴンだ。例え人間が、竜よりも恐ろしく狡猾で残忍な一面を持っているとしても……人間を守って竜と戦うのが本来の使命だ。 「リコリス、大丈夫かな……なんだか、ちょっと気になるな」 「大丈夫ですよ、フィー。あの人、ああ見えて戦闘のプロですから。それに……本当は優しい人なんです。だから、それを知ってもらうまでは、いなくなられちゃ困ります」  シイナに小脇に抱えられながら、アヤメが気遣ってくれた。  いつもいつでも、トゥリフィリは戦いの中で仲間に助けられてきた。  そしてもう、そうしてくれた何人かとは永遠に会うことができない。  それでもいつか再会する、その日までは必死に生きていくと誓ったのだ。  だが、そんなトゥリフィリの決意を敵意が押し潰そうとしてくる。 「あちゃー、前にも御用提灯が十重二十重、って感じ?」 「シイナ、なんでそんなに平常運行なんですかぁ!」 「いやいや、アヤメちゃん……結構こういうの、日常茶飯事だしぃ?」  同感だ。  だが、ライフルを持った一団が改札口を固め始めている。  非常にまずい。  背後からの敵は今、リコリスが抑えてくれている。  でも、トゥリフィリたちが脱出できなければその戦いを無駄にしてしまう。  しばし躊躇い、トゥリフィリは銃を抜いた。  覚悟が迫られる局面だと思ったからだ。  しかし、そんな彼女を予想外のアクシデントが襲った。  突然、天井が崩落して周囲の電気が消える。 「なっ、なに!? 上から?」  咄嗟に立ち止まり、身構える。  シイナも脚を止めた、その先に巨大な影が立ち上がろうとしてきた。  天井をブチ破って、二階から降りてきたそれは……本土決戦旅団を名乗る連中よりも時代錯誤な巨躯だった。  ゆっくりと立ち上がる、それはいうなれば鬼武者。 「敵、かな? ちょっと、ここまで来るともう、なにがなんだか」  トゥリフィリたちの前に今、いかつい体躯の鎧武者が立っていた。手には長い長い朱槍を持ち、全身を大鎧で固めている。兜と頬当てで表情は見て取れないが、全身から凄まじい闘気を発散している。  間違いなく、旧帝国軍人をやってる男たちよりも、恐ろしいプレッシャーを感じる。  完全武装の鎧武者は、トゥリフィリをじっと見詰めて、そして頷いた。 「え……敵じゃ、ないのかな。えっと」  トゥリフィリの返事を待たず、戦国武将のようないでたちの大男は振り返る。  その先で、改札口を固める歩兵たちが身震いに叫んだ。 「なっ、なな、何者だっ! 貴様も帝都のムラクモ機関、13班なのかっ!」 「止まれ! 武器を捨てろ! うっ、うう、撃つぞ!」 「止まれって……こ、こっちに来るな!」  ガシャリと具足を鳴らして、巨体が歩み出る。  その恐るべき威容に、痺れを切らしたのは本土決戦旅団の連中だった。  無数の発砲音が響いたが、謎の武者には全く当たらない。  片手で軽々とかざした槍を、風車のように回して銃弾を弾いている。  ちょっと、常人技とは思えない。  そのまま歩み寄って、武者は気迫を叫んだ。若い声だ。そして、槍の一薙ぎで歩兵たちが吹き飛ばされる。自動改札の機械までも、真っ二つに両断されてしまった。 「なんだかわからないけど、助かったよ! ありがとう、鬼武者さん!」 「ひええ、こっち見てる……見てますよぉ、ガン見してます!」 「大丈夫だって、アヤメちゃん。殺気、感じないっしょ? 多分、いい人っぽい」  包囲が崩れた、その僅かな間隙をトゥリフィリたちは駆け抜けた。  立ち尽くす武者は、なにも攻撃してはこない。むしろ、見送るように頷いてから、振り返る。その先にもう、リコリスを突破してきた兵隊たちが大挙して押し寄せていた。  だが、もうすでにトゥリフィリたちの前には駅の出口が見えている。  朝焼けの京都に飛び出せば、意外な声が耳朶を打った。 「おうおう、やるねえ! やるじゃねえか! 13班、だよな? 話はあとだ、乗りな!」  タクシー乗り場に、大きなワンボックスが停車している。白と黄色のツートンカラーは、古い古いフォルクスワーゲンである。そして、左ハンドルのその運転席から身を乗り出している少年に、トゥリフィリは見覚えがあった。  ドアをバンバン叩きながら急かすのは、誰であろうナガミツその人だった。