トゥリフィリの中に今、決然とした怒りがあった。  それは激しく燃えて、心も頭も真っ赤に熱してくる。  ともすれば、平常心を忘れそうになる程だ。  だが、暴走寸前の自分を自覚する程度の冷静さもまた、彼女の中に確かに残っていた。そして、現れた兵士たちへと鋭い視線の矢を射る。  気色ばんだ兵士たちから、無数に声があがった。 「ま、待てっ! 巫女様をどこへ連れ去る気だ!」 「この御方は、これからの日ノ本に必要な御方! 神聖なる巫女様なのだぞ!」 「しっ、しし、しかし隊長……これは? この部屋で、なにが」 「それを貴様が知る必要はない! 今は奴らの殲滅あるのみ! かかれっ!」  キリコに群がっていた男たちは皆、蜘蛛の子を散らすように逃げ始めた。  そんな中で、兵士たちにも動揺が広がってゆく。恐らく、キリコがなんのために監禁されているかを、知らされていない若者も多いのだろう。  だが、それは言い訳にはならないし、理由にしてほしくない。  だから、迷わずトゥリフィリは雌雄一対の銃を抜く。 「どいてくれますか? ぼくたち、もう帰ります。だから……もう、撃たせないで」 「な、なにを……貴様ァ! 巫女様を拉致し、帝都へと連れ去るつもりか!」 「拉致も連れ去るもない、よ……キリちゃんは、ずっと一緒の仲間だから」  狼狽えつつも、指揮官らしき将校が銃を抜いた。  刹那、銃声が響く。  迷わずトゥリフィリは、抜き放たれた南部十四年式拳銃を撃った。旧大戦時代の古い銃が、クルクルと回転しながら宙を舞う。それが落ちる前に既に、トゥリフィリは再度撃鉄を引き上げた。  怒りを込めた銃弾が、薬室内へと再装填される。 「そのへんでいいだろう、班長。奴らは……班長が撃つ価値もない。勿論、この俺様とて同じこと」  キジトラの言葉に、シイナと共にトゥリフィリも頷く。  その進路を塞ぐ兵士たちが、一人、また一人と下がって道を作った。  トゥリフィリの小さな身から、凛冽たる怒気が広がっている。それは、実戦を知らぬとはいえ、訓練を重ねた屈強な軍人たちをも怯ませたのだった。  ムラクモ機関はマモノ、そして竜と戦い人々を守る組織だ。  そのためにかつて、先代総長のナツメが非道な実験を重ねてきた歴史がある。  だからこそ、生まれ変わったムラクモ機関の一員として、トゥリフィリには曲げてはならない、曲げたくない筋がある。  だが、それはどうやら相手も同じようだった。 「き、貴様らぁ! なにをしている、相手はたかだか二人だ! S級能力者とて、数で押せば優位は揺るがん! 今こそお国のため、神国日本のために護国の鬼となれ!」 「まだ、そんなことを……ん?」 「女子供にいいようにやらせては、本土決戦旅団の名が泣くわ!」 「あ、っと……そこ、危ないかも。どいたほういいですよ、おじさん」 「誰がおじさんかぁ!」  トゥリフィリの鋭敏な感覚が捉えた、それは遠い振動。  微かに鼓膜を震わせる音が、激震となって落下してきた。  突然、天井が崩落して土煙が舞い上がる。  まるで煙幕のように、瓦礫が舞い散る中で視界が奪われていった。  かわいそうに、落ちてきたなにかに先程の隊長らしき男は踏み潰されてしまったようだ。  そして、影がゆっくりと立ち上がる。  その姿を見て、トゥリフィリは身を固くする。 「……カネサダ君、だっけか」 「そ、そこまでだ、13班……巫女様は、僕が……お守り、する」 「君、知ってた? ここでなにがあったか」 「巫女様が瞑想なさる、神聖な御所にふさわしい――い、いや、なんだ? 違和感が……そ、それより」  現れたのは、手負いのカネサダだ。  彼は折れた剣を身構え、トゥリフィリを睨む。  そして、周囲の奇妙な感覚に驚きを隠せずにいるようだった。  かなりの激戦だったのか、もうカネサダのダメージは限界のように見えた。そして、歩み出そうとした彼がよろけて膝をつく……その影から、ゆっくりとお馴染みの顔が現れた。  そう、同じ造りだとしても見間違えない。  そこには、最近ふてぶてしく思える頼もしさが立っていた。 「よう、フィー! キジトラもシイナも無事なようだな」 「ナガミツ、ちゃん」 「おう! こいつは軽くブッ飛ばしておいたぜ? 床ごと蹴り脱いちまったが、まあいいだろ」 「うん……お疲れ様、ありがと」  ナガミツはしっかりと、自分の両足で立っていた。  その全身に、無数の切り傷が刻まれている。トレードマークの詰め襟は、その奥で傷口から青い火花をスパークさせていた。  だが、トゥリフィリを見てナガミツは確かに笑った。  激闘の日々を共に走り抜けた、相棒の不敵な笑みだった。  そして、すぐにキジトラとのいつものやり取りが始まる。 「フハハハハ! それでこそ斬竜刀よ! 重畳、重畳」 「いや、単純に俺の方がタフだっただけだ。コイツ、力も速さも互角だったからよ」 「うむ、だが貴様は勝った! ならば勝者として凱旋だな……帰るぞ、ナガミツ」 「ああ、だな。……いや、ちょっと待ってくれ、キジトラ」  不意にナガミツは身構えた。  満身創痍の身から、はっきりと闘気が漲るのをトゥリフィリも感じる。  そして、膝をついて屈したかに思えたカネサダが、震えながら畳を拳で叩いた。 「こんな、こんなことがっ! こんなことのために僕は……僕たち、ロクハラは……兄さんは!」 「おう、立つのか立たねえのか……さっさと決めろよ。立てるんだろ? まだ」 「僕は……」 「知らなかったで済む話かよ。俺でも流石に嫌気がさすぜ。けどなあ……こればっかりは俺とお前だけの問題だ。俺は立ってる、まだやれる。お前はどうだ、斬竜刀っ!」 「ナガ、ミツ……僕はっ!」  カネサダは、立った。  その足元はおぼつかなくて、完全にダメージが駆動系に達している。  先程ナガミツが言った通り、もしかしたらカネサダたちの方が構造上の欠陥として、耐久性が低いのかもしれない。そしてそれは、トゥリフィリには当然のように思える。  最初から強い者など、いない。  最初はナガミツもただの機械だった。  そこから歩き出して、共に戦いを駆け抜けた。  その日々が彼を本物の斬竜刀にしたのだ。 「おい、ナガミツ! 奴はもうヘロヘロだぞ……だが、わかってるな?」 「言われるまでもねえぜ、キジトラ。――ッ、ハァ!」  決着は一瞬だった。  既にもう、カネサダに余力はなかった。  そして、彼は尽きたはずの全てを最後に絞り出した。  あまりにも遅く、力のない剣閃が走る。  トゥリフィリならずとも、この場の全員が見えた筈だ。文字通り、折れて欠けた刃となっても……カネサダは最後の一撃を繰り出したのだ。  それを避けつつ、ナガミツの上体が回転しながら沈み込む。  遠慮も手加減も、勿論手抜きもない本物の力と技。  瀕死にも等しいカネサダへと、ナガミツは迷わず全力の蹴り上げを突き刺した。かちあげられたカネサダが天井へと叩きつけられ、そして落ちて動かなくなる。 「うっわ、えげつな……ねえねえ、キジトラ先輩」 「みなまで言うな、シイナ。奴は立った。ならば、全力で決着をつけるまで……ナガミツにはもう、それがわかるのだ」 「あーあ、もぉ……これだから男の子ってやつは」 「いや、お前も男だろ」  こうしてトゥリフィリたちは、狂気に満ちた空間から仲間を取り戻した。羽々斬の巫女だとか、凶祓の血脈とかは関係ない……皆にとってキリコは、ただの仲間なのだ。  そして、ナガミツの意外な行動に驚きつつ、トゥリフィリは急いで来た道を全力疾走するのだった。