戦場の雰囲気が変わった。  清冽なまでに澄んだ風が、止んだ雪を白く煙らせる。  トゥリフィリは今、アダヒメと名乗った少女の隣で彼女を見上げる。少し自分より背が高くて、多分年上。でも、不思議と瑞々しい美貌が老成してるようにも見える。  それでいてなかなかにエキセントリックで、驚くほどに豪胆で肝が座ってる人だ。  アダヒメは、静かに息を吸って吐いて、次に吸い込んだ呼気を胸に留めた。  そして、再び空気が波紋を広げてゆく。 「ええい、また歌かっ! 歌ごときで!」  マキシマ大佐の激昂は沸点を通り越していた。  それでもアダヒメは、静かに歌声と共に歩み出す。それはまるで祝詞のようで、彼女の一挙手一投足は神楽のように洗練されている。  そして、徐々にアダヒメの声音が奥行きと深さを増していった。  トゥリフィリにもはっきりと、ここには存在しない楽団の旋律が聴こえてくる。歌う楽器と化したアダヒメの声色が、この場の全員から記憶の中の音を引き出しているのだ。  そしてアダヒメの歌は、徐々にテンポアップして転調する。  厳かな響きは弾んで加速し、あっという間に歌の背景は時間を進めた。  アダヒメは、リコリスに抱えられたまま二人でへたり込むアヤメの前に立った。 「さあ、あなたも」 「えっ? わ、わたし!?」 「ええ。当世の歌にも、気持ちと想いは宿るものでしょう? さあ!」  おずおずと伸べられたアヤメの手を、アダヒメは握って引っ張り立たせる。  瞬間、見えないスポットライトが聴こえないスモークを爆発させる。突然のオン・ステージ……アダヒメの声がアヤメの中から、ありふれた流行歌を引っ張り出す。  それはあっという間に、二人の輪唱でこの場の空気を踊らせた。  そして……アヤメはそのまま、リコリスの手を取り隣へと招き寄せる。 「わ、私は歌は……私の歌は」 「歌って、リコリスさんもっ!」 「そうです、あなたの歌を。それはわたしの歌であり、わたしたちの歌」  呆気に取られるリコリスを挟んで、アダヒメとアヤメの声が伸び伸びと膨らんでゆく。複雑に絡んで結ばれ、音楽が螺旋を描きながらどこまでも広がっていった。  その声に込められた全てが、この場の戦意に引き金を忘れさせた。  ただ一人、大戦の亡霊として生きてきた男を除いで。 「ええい、やめんか! 歌でなにが変えられる! この国を守れなどしないぃぃぃぃ!」  震える手で、マキシマ大佐が拳銃を撃った。  だが、その弾丸は金属音と共に消えた。  白煙を巻き上げるリコリスの手が、銃弾を受け止め握り潰していた。  当のリコリス本人が、自分の驚くべき俊敏さと反応速度に驚いている。 「こ、これは……」 「そう、それがあなたの歌……ならば共に歌い上げるのです! この国を、日ノ本を守るのはもはや過去の亡霊ではありません! 過去ではなく、未来へ進む者……狩る者の力を示すのです!」  ――狩る者。  アダヒメの言葉に、トゥリフィリは不思議なデジャヴを感じた。  その時にはもう、リコリスが地を蹴り跳躍している。  空中で身を翻した彼女は、真っ直ぐマキシマ大佐へ飛び蹴りで急降下。  刺し貫いて、穿つ。  鈍い金属音と共に、戦車の残骸に大きな穴が空いた。  紙一重で避けた……否、意図的にリコリスが外したので、マキシマ大佐はそのまま震えてへたりこみ、無様に地面に転げ落ちた。 「ひっ、ひあっ! き、貴様等! 私を守れ! 予備戦力を、後方の戦車も全部出せっ!」  だが、兵士たちは顔を見合わせたまま戸惑いも顕だ。  そしてトゥリフィリには、それが酷く納得できる。  響き渡る歌が、愛や夢、希望を詩に広がってゆく。  その優しいぬくもりに鼓膜を撫でられ、誰もがささくれだった気持ちを落ち着かせているのだ。見えぬ手で心に触れられれば、人はもう憎悪も敵意も忘れてしまう。  それはもともと、この場の多くの若者にはなかったのだ。  あるのは、少しこじらせた救国の意思……そして、手段を間違えた罪悪感。  アダヒメとアヤメの歌は、あっという間に戦いそのものを無力化してしまった。  それでも、キャタピラの音がすぐに近付いてくる。  仲間たちは絶体絶命を忘れて今、すぐにトゥリフィリと共に走り出した。 「くっ、動画を取らねば! ……手がかじかんでスマホが上手く扱えません!」 「ククッ、ノリトよ! まずは奴らを片付ける! 俺様を援護、任せた!」 「ええ、キジトラ先輩! 今こそ響かせましょう……一発逆転のコンチェルト!」  ノリトが気取ってその場で一回転、風を巻いてターンする。すぐに彼の周囲に、無数の光学キーボードが現れた。ピアノの鍵盤をタッチするように奏でれば、瞬時にトゥリフィリの身体も熱くなる。  ハッカーが操る電子の術が、全身の神経を走る電気信号を加速させた。  軽やかに、そして正確に……トゥリフィリの早撃ちが目標を叩き落とした。 「キジトラ先輩っ、これ!」 「委細承知! 阿吽の呼吸というやつだな、班長っ! トゥ!」  トゥリフィリが撃ち抜いたのは、左右の建物からぶら下がる氷柱だ。周囲に被害を出さない角度で、丁寧に大きめの氷柱ばかりを叩き落とす。  それは空中でキラキラと、顔を出した太陽の光を反射して回転した。  すかさずキジトラが瞬発力を撃発させる。  彼はオーバーヘッドで飛翔しつつ、舞い散る氷柱の全てを蹴り飛ばした。  次の瞬間、無数の爆発音が連鎖する。 「必殺忍法、氷柱を突っ込まれた砲身が暴発してドカンの術ッッッッッッ!」 「そ、そのまんまのネーミング……あ、それより! ナガミツちゃんっ!」  どの戦車も、主砲に氷柱を突き刺されていた。ようするに、大砲に栓をされたまま発砲してしまったのである。  それでも、鋼鉄の騎士たちは重々しい音を響かせ突っ込んでくる。  だが、歌は軍靴の足音にも似た履帯の金属音すらも包んでいった。  そして、三つの影が疾駆する。 「これは……身体が軽い! これが湯津瀬様の歌の力!」 「トシ、やるぜ……俺もまだ戦える! また、戦えるんだ!」 「コテツ、カネサダ! 歌に合わせて力を揃えろ! 俺たちなら……俺たち斬竜刀なら、できるっ!」  同じ顔を持つ三人が、異口同音に気迫を叫んだ。  その背が、居並ぶ戦車の津波に突撃してゆく。  刹那、斬撃と刺突、そして蹴りが空気を嵐に変えた。三人の斬竜刀が、それぞれに力を技に乗せて放ったのだ。それは風を切り裂く真空の刃となって、あっという間に戦車を三枚におろしてしまう。  しかも、唖然とする搭乗者は皆、無傷だ。  まるで熱したナイフで切り分けられたバターのように、全ての中戦車チハが鉄屑に変わっていたのだった。 「おっしゃ、フィー! みんなも! ずらかろうぜ!」  ナガミツは蹴り足をそのまま振り抜き一回転すると、そのまま積雪を散らして走り出す。その足跡に誰もが続いた。  シイナがキリコを抱き上げ走る。  アダヒメもまた、先程廃車同然になったベンツの運転手と共に続いた。  こうしてトゥリフィリは、京都での目的を達成した。  だが、この地で仲間が味わった恥辱と陵辱は筆舌し難く、癒す術を見出だせぬ程に傷は深い。それでも、奇妙な出会いでようやく交わった縁が、新たにアダヒメという仲間に巡り合わせてくれた。  それが、時空も次元も貫く閉じた円環、滅竜の輪廻の特異点とも知らずに。