朝の都庁は賑やかで、一日の始まりを迎える活況に満ちている。  その中をゆっくり、各フロアを回りながら階段で降りるのがトゥリフィリは好きだ。高層建築である都庁は、少し駆け足で階段を降りればちょっとした準備運動だ。それで自分の体調も疲れも把握できるし、避難民の表情からも色々とわかることがある。  今日もこうして、トゥリフィリはナガミツとエントランスまで降りてきた。 「あっ、今日の炊き出しはお雑煮っぽいね。いい匂い……お味噌のやつだ」 「食ってくか? フィー」 「ううん、ぼくたちは別個に色々食べ物支給されてるから」 「だな。……餅は、俺は消化できっかな。いけそうな気ぃすっけどよ」 「詰まらせて大変なことにならないでよー?」 「なんだそりゃ、俺はジジイかよ」  と、いつもの調子で笑みを交わす。  肌を重ねて体温を交えたあとでも、やっぱり言葉と笑顔が一番安らぐ。そして、やっぱりナガミツが普通の男の子に見えるのだ。人類を守護する斬竜刀は、トゥリフィリにとっては同級生の相棒程度の認識だ。 「いやでも、餅を消化できないとメンテ班のみんなに迷惑かけっからな」 「……ナガミツちゃん、ひょっとして食べたいの?」 「いや、なんつーか……不思議な話だけどよ、エネルギーの補給って意味では食事は必須じゃねーんだわ。ただ」 「ただ?」 「最近、『美味い』が色々わかりかけててよ。結構、面白ぇ」 「ふーん」  炊き出しに集まっている人たちは、表情も様々だ。  笑顔の人もいれば、うつむいている人もいる。  それが、今の東京で生きる避難民たちの正直な素顔なのだ。竜災害は去ったが、今でもあちこちにマモノが跳梁跋扈している。キリノの話では、竜という天変地異クラスの邪悪によって、潜在的に日本各地に潜んでいた物の怪の類が活性化しているそうだ。  まだ、日本は平和にはなっていない。  復興は始まったばかりで、その道程は険しい。  それでも、温かな食事を求めて並ぶ人たちには、生きていこうという意思が見て取れた。まだ、死にたくはない……ただそれだけの気持ちでも、明日を迎えて未来に向かってる。 「いや待てよ? 細かく餅を切って食べれば」 「まだ言ってるのー? もぉ……ふふ。だから、おじいちゃんみたいだってば」 「いや、俺はそれなりに真剣だぜ? っと、ジジイといえば、ありゃなにやってんだ?」  ふと、ナガミツが指差す方向へと視線を滑らせる。  そこには、偉大な錬金術師の姿があった。名は、アゼル。ロンドンから来たサイキックで、十歳前後の男児に見えるが高齢の大ベテランである。そのアゼルは、何故か腕組み仁王立ちで言葉を並べていた。  その視線の先に……一人の少年が正座で身を正している。 「アゼルおじいちゃんの髪、真っ白になっちゃったね」 「漫画みてーだよな。でも、力を使い過ぎると……そういうの、人間にはあんだろうよ」 「で、カネサダ君はあれ、なにやってんだろ」 「知るかよ。ったく……またなにかやらかしたんだろ」  そう、正座しているのはカネサダだ。  アゼルに声をかけると、彼は肩を竦めて苦笑いを浮かべる。 「やあ、おはようフィー。ナガミツも」 「おう、じーさん。どした?」 「それが聞いてくれ、またなんだ」 「……またかよ、ったく。おいカネサダ!」  ポカッ、とナガミツはゲンコツでカネサダの頭を殴った。  力を込めた風ではないが、カネサダはムッとした顔で頭を押さえる。 「ナガミツ、なにをする」 「それはこっちの台詞だ。お前、なにやらかした? ええ?」 「僕はこの国の防人として、マモノを倒して民を救ったつもりだ」 「へーへー、そうですかよ。どうせ大方、保護対象の要救助者をほっぽって戦ってたんだろ」 「凄いな、ナガミツ。見てたのか? だが、合理的な判断だった、間違いではない」 「アホか、そろそろ学習しろや」  またポカリと、ナガミツはカネサダを殴った。  そんな彼の姿を見てると、意外な一面が見れてトゥリフィリは少し面白い。カネサダはコテツと別れて、アダヒメを警護するために上京してきた。その時、ナガミツは別れ際にコテツに泣きつかれたのだ。  よろしく頼むと拝み倒されて、しょうがなく面倒を見る羽目になったのである。  だが、ぶっきらぼうでぞんざいに見えても、ナガミツのカネサダへの接し方は誠実だ。 「いいか、カネサダ。俺たちは斬竜刀だが、竜を斬る前にやることがある。それは、人を守ることだ。ったく、言わせんなよ、そろそろわかれや」 「しかし、攻撃は最大の防御とも言う。要救助者の安全のためにも、障害を最速で排除すべきだ」 「……かわいくねーな、ほんとによ。敵は何匹倒せばいい? 見えてる数で全部か? 違うだろう。要救助者は、確認できてる全てを守ればいい。また見つかったら、そいつも守る」 「確かに……敵の伏兵も考えられる、か」  カネサダも真面目なのだが、どうにも考え方が固くて極端だ。ナガミツと出自は違えど、人型戦闘機と呼ばれるロボットには変わりないのに、酷く対照的である。  そうこうしていると、もう一人の斬竜刀が笑いながら話しかけてきた。 「よう、一式! なにやってんだぁ? またそいつ、やらかしたのかよ」 「おう、カネミツか。だから、その名で呼ぶなっての」 「いーじゃねえかよ。……照れくさいからよ、はは」  ナガミツと同じ顔がやってきた。  一式ナガミツの予備機、二式カネミツだ。いわば兄弟のような関係で、ナガミツと違ってカネミツは太刀による剣戟戦闘を得意としている。パーカーのフードを目深く被っているが、その表情は軽薄とさえ言える笑顔だった。  そして、彼の影から小さな女の子が顔を出した。 「カネサダ、ちょっといい?」 「君は……確か」 「わたし、資材回収版のゆずりは。……なんか、デジャヴなんだけど」 「こうして君と会うのは三度目だ。何故、僕が怒られてる時ばかり君は現れるんだ」 「逆だと思う、よ? カネサダ、怒られ過ぎ。そっちの頻度が高いだけだと思う」 「返す言葉もない」  資材回収班は、機動13班とは別のチームである。その目的は、都内に散らばる利用可能な資材を集めてくること。その活動は多岐に渡り、ゆずりはたちの活動が避難民たちに衣食住、そして風呂や医療といった福利厚生から、果てはゲーム機や図書、嗜好品といった文化までもたらしてくれるのだ。  ゆずりはは表情が乏しく、美貌の澄まし顔が感情を映し出すことはない。  だが、それでも彼女はカネサダの前でアゼルに振り返った。 「アゼルさん、カネサダ……しばらくうちで研修、どうですか?」 「ん? ああ、なるほど。そうか、わかった。任せ給え、キリノやカジカには僕から言っておこう。カネサダ、君はもっと沢山のことを学ぶ必要がある。いいね?」  カネサダはきょとんとしていたが、すぐに頷いた。  どうやら、資源回収班のゆずりはとカネミツが面倒を見てくれるらしい。なるほど、なかなかいい方法だとトゥリフィリも感心した。資源回収班なら、緊急性の高い任務が少ないため、落ち着いて現状を知ることができるだろう。今の東京を理解すれば、カネサダだって人命尊重の意味を体験してくれる筈だ。 「わかった、では僕は資源回収班に配備されよう。やるからには最善を尽くす所存だ」 「ああ、そうしてくれ給えよ。なにかあったら、ゆずりはも君も僕に言うといい」 「承知」 「やれやれ、先が思いやられ――」  その時、不意にアゼルがよろけて倒れそうになった。咄嗟にトゥリフィリが支えたが、嫌に軽くて驚いてしまう。  彼は、少し疲れているのさと乾いた笑いを浮かべた。  そして、ちゃっかりトゥリフィリの尻を触って、ナガミツにチョップされるのだった。