トゥリフィリが目を覚ますと、そこは見知らぬ部屋だった。  梱包された荷物がそこかしこに積まれており、ちょっと倉庫みたいである。でも、清潔なシーツのしかれたベッドの上で、トゥリフィリは左右に首を巡らしてみる。  外はなんだか騒がしく、時折怒鳴るような声が聴こえてきた。  そして、枕元に人影が立っているのに気付いた。 「あ、あれ……? ぼくは……ね、ねえ、ナガミツちゃん。ここは――ッ!?」  側にいたのは、ナガミツではなかった。  そこには、ナガミツと同じ顔がへらりと笑っている。  ナガミツの弟、カネミツだった。 「よぉ、フィー! 目が覚めたみてえだな」 「う、うん。えっと、おはよう?」 「おう、おはようさん」 「……どれくらい、寝てたのかな? ぼくは」 「一週間ってとこじゃねえかな」 「そっか。そう、かあ……ええーっ!」  慌てて身を起こして、自分が寝間着姿だと気付く。すぐ側の棚に、いつもの着衣と持ち物が並んでいた。すぐにスマートフォンを手にとって確認する。  確かに、東京スカイタワーの惨劇から一週間が経過していた。  そして、すぐに一人の少年を思い出す。  瞬間、トゥリフィリは心臓を鷲掴みされたように声を張り上げてしまった。 「ナガミツちゃんは! 無事、だよね? あの黒いフロワロ……あれは!」 「まあまあ、落ち着けって。一式は大丈夫さ。……俺が、大丈夫にすっからさ」 「え? そ、それって」 「っと、そろそろ時間だ。ヘヘ、一式に……兄貴に伝えとくよ。フィーは無事だってな」  それだけ言うと、へらりと笑ってカネミツは出ていってしまった。  彼は昔から、ナガミツと同じ人型戦闘機とは思えぬくらいに人懐っこい。ナガミツが極端に不器用、無愛想だということを差し引いても妙に世間慣れしていた。  酷く対照的で、顔と体格以外は全く間逆な兄弟なのである。  そう、兄弟……珍しくカネミツは先程、ナガミツを兄貴と呼んだ。  なにか暗い不安が胸中をよぎり、トゥリフィリは立ち去る背を見送るしかできない。それでも、自分の肉体に怪我や不調がないことを確認して、服を着替え出す。  部屋の外に出ると、どこかでみたような内装の廊下が続いている。  そこかしこで怪我人が手当を受けていて、重苦しい空気が沈殿していた。 「こ、ここは……?」  なにか、既視感のある建物だ。  というか、知っている。見たことがある。かなり有名な場所だった気がするが、よく思い出せない。まだ少し、頭の回転が鈍いようだ。かなり長い時間眠っていたから、まだ全身が完璧に覚醒していない、そんな重さと気だるさがある。  それでも、周囲をキョロキョロとしていた、その時だった。 「やっと起きたか、トゥリフィリ。フン、悪運の強い女だ」  突然背後で、鼻を鳴らす声がした。  それで振り向いたが、誰もいない……そして、目線を少し下げると小さな女の子が見上げていた。十歳前後の少女が、真っ赤な瞳で自分を見詰めていた。  いや、眇めていた。  睨みつけてきたのだ。  見覚えのある顔だったので、すぐにトゥリフィリは身を正す。 「あっ、エメルさん……お、お疲れ様です」 「ああ、お疲れ様だな! まったく、呑気に随分と寝入ってくれたな? ええ?」 「すみません、えっと……ここ、どこでしたっけ?」 「……国会議事堂だ」  思わずトゥリフィリは「ほへっ?」と間抜けな声を漏らしてしまった。  国会議事堂、それは日本国の立法府だ。政治の中枢で、偉い先生たちが集まって議論したりする場所である。言われてみてようやく、トゥリフィリは既視感の正体に気付いた。  小さい頃、学校の社会見学で訪れたことがある場所だった。 「そっか、国会議事堂……あれ? 都庁は」 「貴様が寝ている間に、再び帝都は竜の手に落ちた。都庁は拠点として手狭になったからな……ここにムラクモ機関の全てを移したという訳だ」 「なるほど」 「この建造物は、権力者が集まって自分だけ助かろうとするための能力を完璧に備えている。流石だよ、人間……呆れる程に堅牢堅固な城ということだ」  エメルの辛辣な皮肉も、今は妙に頼もしさを感じた。  だが、次の瞬間……背後が騒がしくなって動揺が伝わる。廊下にまで溢れた避難民たちが、不安も顕にざわめきを広げていた。  なにごとかと、すぐに身体が動く。 「なんだろ、ごめんエメルさん! ちょっとぼく、行ってくる!」  身体を動かし、頭脳を凍らせた。その奥へと気持ちを閉じ込めた。  今、トゥリフィリの中に嫌な予感があって、それを確信に変える要素が満ち満ちてくる。あのカネミツの笑顔と、言葉と……全てが一つの答に帰結しそうだ。  だから、考えるのをやめるために走り出す。  13班の班長をやることで、自分の中の少女を沈めて鎮める。  センチメンタルな自分に負けたら、泣き崩れてしまいそうだから。  そう、恐らくナガミツは……だから、カネミツは―― 「なにごとですかー? ちょっと、ごめーん。通してね……って、アヤメちゃん!」  資材やコンテナでごった返す、国会議事堂のエントランス。  そこに、大切な仲間の姿があった。  だが、様子が変だ。  呆然と立ち尽くすアヤメには、生気が全く感じられない。心ここにあらずというか、魂が抜け落ちたようだ。虚ろな目に光はなく、快活ないつもの彼女とは別人に見えた。  それでも、あのスカイタワーから生きて帰ってくれた。  安堵の気持ちがようやく、見慣れぬ二人組がアヤメを挟んでいるのに気付かせてくれた。 「あ、あの……あなたたちがアヤメちゃんを? ありがとうございますっ、助けてくれて!」  深々と頭を下げたが、トゥリフィリの後頭部に嘲笑じみた笑い声が投げかけられた。  面を上げると、二人組の片方……自分と同じ年頃の少女が笑っていた。そして、失笑したように隣の男も肩を竦めている。  すぐにトゥリフィリは察した。  二人共、S級能力者……それも、かなりの手練だ。  そして、なにより恐ろしいのは、それがごく自然にこの場に調和していることだ。真に強き者は、ごく一般的な普通の人間には強さを気取らせない。周囲の避難民たちは、ここに竜よりも恐ろしい人間がいることに気付きもしないのだ。 「ハッ! 日本人てこれだから! 危機感ないのね、これが噂の13班? くっだらないわ」 「よせ、イズミ。戦士へのリスペクトを忘れるな。……まあ、もしもこれで戦士ってんなら、だが」 「ショー兄ぃ! だってこの子、ガーベラが助けなきゃ死んでたし! 戦士? ないない、笑わせないでよねって感じ」  まるで備品を見るような目で、イズミと呼ばれた少女が親指をクイと突き出す。その先に、長身の少女が身を正していた。その顔に表情はなく、まるで機械のよう。  そう、初めて会った時のナガミツに似ていた。  それが、トゥリフィリを戦う理由にしたいと言った少年を思い出させる。  恐らく、彼女もまた人型戦闘機……やはり、カネサダたち以外にも事情の違う人型戦闘機が建造されていたらしい。それも、今回は女性型だ。  トゥリフィリが驚いていると、ショー兄と呼ばれた青年が歩み寄ってくる。 「失礼した、ムラクモ機関の13班だな? で、あんたが頭か。……なに、見りゃわかる」 「あ、いえ、えっとぉ」 「俺の名はショウジ、ショウジ・サクラバ。アメリカ合衆国特殊部隊、セクト11のリーダーだ。あっちは妹のイズミ。とりあえず、忘れ物のお荷物は届けたぜ?」  ビクッ! とアヤメが身を震わせた。そのまま彼女は、頭を抱えてその場に屈み込んでしまう。慌ててトゥリフィリは駆け寄り。その肩を抱いてやった。  そして、咄嗟に言葉が口をついて出る。 「救助には感謝します。でも……でもっ、彼女は荷物なんかじゃなくて、ぼくの仲間です!」  その場の空気が、静かに澄み渡った。  ガーベラと呼ばれていた少女が、キュインと小首を傾げる。イズミは肩を震わせ笑いを堪えていたが、ショウジはやれやれと頭をボリボリとかきむしる。 「……そう、だな。まあ、お前がそう思いたいならそうしてくれ。残念だよ、噂の13班は真の戦士だとエメルに聞いていたが……とんだ甘ちゃんだったな」  それだけ言い残して、ショウジは出ていった。イズミも、姿勢良く休めの構えで立つガーベラを軽く叩いて、ついてこいとばかりに走り出した。  その背を見送る間、ずっとトゥリフィリはアヤメを強く抱き締めていた。  体温を伝えて、その奥に隠した不安と動揺を気取られぬように力を込めるのだった。