丸の内、東京駅。  赤レンガの駅舎は今も、都民の大動脈を支える交通の要衝だった。  そして、ただの駅ではない。  それ自体が巨大な街であり、歴史遺構であり、テーマパークだった。  その面影をもう、トゥリフィリはどこにも拾うことができない。  ここはまさしく、異界。  帝竜の力で変貌した駅舎は、まさしく魔窟としか形容できぬ迷宮になっていた。 「こっちデス。……そこの床は気をつけてくだサイ」  前を大股で歩くのは、ガーベラだ。  彼女は先程から、まるで見えないレールをなぞるように迷いなく進んでゆく。  トゥリフィリには、彼女のさりげない気遣いが少しうれしい。  これでも、人間が歩きやすい場所をわざわざ選んでくれているのだ。  それはキジトラも気付いているようだが、口には出さない。最後尾で敵を警戒しつつ、小さく口元に笑みを浮かべるだけだった。 「ところでさ、おキクちゃん」 「私語は慎むべきデス。ここは戦場、敵地デスから」 「ん、まあ、そうなんだけどさ」 「トゥリフィリ、アナタには緊張感が欠けてイマス」 「そかな? ふふ、そうかもね。あと、フィーって呼んで」 「了解、フィー。では、無駄口をやめまショウ」  キュイン、と小気味よい音を響かせ、ガーベラが突然身構えた。  瞬間、かろうじて以前の構造物を残していた天井が崩れ落ちる。そして、上からマモノの群れが降ってきた。かなりの数で、あっという間に行く手が遮られてしまう。  そして、背後でキジトラも僅かに声を尖らせた。 「後ろからも来たぞ、班長。さて、どうする?」 「キジトラ先輩、そっちの数は」 「多くはないが、無視もできまい」 「ん、だったらここは……押し通る、かな」 「だな! ククク、奴がいても同じことをいうだろうよ」  首をコキコキと鳴らして、不敵な笑みと共にキジトラがナイフを抜く。  トゥリフィリも雌雄一対の二丁拳銃を手に取った。  その時にはもう、ガーベラが敵陣へと突っ込んでいる。楔を打ち込むように、一番手薄な場所へと踏み込んでの、一撃。早速、ダチョウのような鳥のマモノが吹き飛んだ。  瞬速の踏み込みと、重い拳での打撃。  トゥリフィリがよく知るナガミツとも違うし、シイナやゆずりはとも異なるスタイルである。ガーベラはそのまま敵陣に居座り、殺到する攻撃を受け止め、反撃してゆく。  トゥリフィリも迷わずその背中を援護した。  キジトラが遊撃に走ってくれているので、挟み撃ちは心配しなくていい。 「おキクちゃんっ、まだいける?」 「当然デス」 「細かいのは無視していいよ、ぼくが撃ち落とすから!」 「そ、それは……助かり、マス」 「っと、それとね。ちょっとごめんね?」  不意にトゥリフィリは前に出た。  地を這う影のように、身を低くして疾駆する。  すかさずローパーが襲ってきたが、頭上をガーベラの回し蹴りが薙ぎ払った。  必ずフォローしてくれると思ったから、トゥリフィリに迷いはない。  そして、見逃さなかった。  マモノが蠢くその向こう側に……微かに人の声が聴こえたのだ。  追いすがるマモノへ銃弾を叩き込みつつ、転がるように物陰へと滑り込む。思った通り、そこには身を震わせる要救助者の姿があった。 「おまたせ、ムラクモ機関の者ですっ。助けに来ました!」 「あ、あわわ……よ、よかった! もう駄目かと」 「立てますか? さ、掴まってください」  助け出した男性は、振るえていた。そして、酷く体温が低い。少し遅れていれば、衰弱したまま命を落としていたかもしれなかった。  ムラクモ機動13班の使命は、竜と戦うことではない。  それは手段に過ぎず、選ぶ余地がないから許容して戦う。  でも、真の目的は……竜災害の中で人々を救い、守り抜くことだ。 「さ、こっちに――ッ!」  不意に、暗い影がトゥリフィリを包んだ。  咄嗟に動くには、肩を貸してる人物が重過ぎる。大柄な男性ではないが、弱ってすぐには動けないのだ。そんな二人の前に巨大な熊が吠え荒んでいた。  マモノたちは、もともとこの日本の各地に生息していた原生動物である。  野生の獣から付喪神の類、果ては心霊現象が具現化した存在など様々だ。  絶壁の如き熊を前に、回避はできないし、片手の銃だけでは退けられない。一発で仕留められなければ、反撃を浴びてしまう。  そう思った時には、スッと間にガーベラが割り込んでいた。  振り下ろされた爪が、十字に組んだ腕と腕の間で阻まれる。 「フィー、その人を……理解不能、このレスキューは非効率的デス」 「うん、知ってる。でも、一秒でも遅れてたら……その一瞬が、一命を取り留めることもあるから。あと」 「まだ、なにかありマスカ?」 「ありがとうっ、おキクちゃん! そのままお願いっ!」  トゥリフィリは、震えて竦む男性を連れたまま銃を向ける。  ガーベラと組み合って、人食い熊の怪物は完全に足を止めていた。  これなら、狙撃できる。  周囲にも小さなマモノが無数にいるから、要救助者からは目が離せないし、寄り添わなければいけない。そのうえで、トゥリフィリは現在確保しうる最良の射撃ポイントを瞬時に割り出した。  側頭部を狙って、片手で拳銃を向ける。  だが、指が銃爪を押し込むより先に……突然、マモノの頭部が破裂した。  銃声は、大口径の対物ライフルかなにかだった。  血柱が天井まで拭き上げて、紅い雨でガーベラが汚れてゆく。 「今のは……それより、おキクちゃんっ」 「問題ありまセン。殲滅確認、小物は……逃げていきマスネ」 「そうじゃなくて、ああもうっ! ちょっと待ってね」  すぐにトゥリフィリは、まずは男性を連れて瓦礫の上に座らせる。周囲の敵意が、まるで潮が引くように消えていた。携帯用のミネラルウォーターを差し出し、震える手に握らせてやる。  温かいお茶かスープがあればいいのだが、ちょっとそんな余裕はない。  それでも、男性は上ずる声で「あ、ありがとう」と安堵の溜め息を零した。  次は、ガーベラだ。  いつも持ち歩いてる大きめのタオルで、背伸びして顔を拭ってやる。 「ん、フィー……ヴィジュアル、48%低下。ですが、戦闘に支障はありマセン」 「駄目だよ、女の子がそんなんじゃ。うわ、べとべとだ。って、キジトラ先輩?」 「うむ、これを使うがよいぞ、ウハハハハ!」  キジトラが、大きめのウェットテッシュをパックごと投げてくれた。  それを受け取り、整った顔立ちのガーベラから黒い血を拭ってゆく。  きょとんとしてしまったガーベラは、黙ってトゥリフィリを見下ろしていた。  嘲笑にも似た声が浴びせられたのは、そんな時だった。 「おいおい、ガーベラ。今の、避けられたろ。うわ、びっしょりじゃねえか」  現れたのは、揃いの黒い特殊スーツを着た軍人たちだ。全く気配を感じなかったのに、すぐ側に潜んでいたようである。すぐに、高度な訓練を受けた手練であると知れた。  例のセクト11とかいうアメリカの特殊部隊である。  その一人が、まだ硝煙の煙る対物ライフルを担いでいた。 「……要救助者、一名デス。彼の保護と安全が優先と判断しマシタ」 「ジャップの命が優先? このクソみてぇなデンジャーゾーンでか」 「危険だからこそ、デス」 「ハッ! お前、正面出口の確保はどうした? 持ち場を離れてなにしてんだよ。ああ?」  すぐにトゥリフィリは、事情を説明しようとした。  だが、次の瞬間……驚きの言葉がガーベラに浴びせられるのだった。