トゥリフィリは道中、絶句に次ぐ絶句で言葉を失っていた。  変貌してしまった東京駅の、見るも無残な姿にも心が痛んだ。  それ以上に、セクト11の恐るべき戦闘力をまざまざと見せつけられる。そこかしこに横たわるドラゴンの死骸は、全て高度な連携攻撃によって撃破されたものだ。  比較的小型のドラゴンとはいえ、トゥリフィリは背筋が薄ら寒くなる。  だが、先をゆくガーベラは頼もしい歩調で迷いなく歩いた。 「ちょっといいか、フィー」 「ん? どしたの、キジトラ先輩」 「ちょっと後詰めの連中に連絡して、あそこに転がってるDzを回収してもらいたい」 「あ、そっか。でも、いいのかな。ぼくたちが倒したドラゴンじゃないけど」 「セクト11はいわば、日本への遠征部隊だ。独自の兵站、補給ルートを持っていると俺様はみた」 「つまり……現地で調達する必要がないから、資材の類は全部無視してる、ってこと?」  キジトラが横に並んで、大きく頷いた。  少し気が引けなくもないが、無駄に放置しておくよりはよっぽどいい。Dzは人類が生成不可能な超希少資材である。トゥリフィリたちが使っている武器や防具、薬品類の充実は勿論、避難民たちの生活レベルが大幅に向上するメリットもあった。  トゥリフィリがゴーサインを出すと、早速キジトラがスマートフォンを取り出す。  そうこうしていると、ホームへ昇る階段の中ほどでガーベラが振り返った。 「少し遅れてイマス。隊長たち本体は、この奥で戦闘中。熱源と振動を感知しまシタ」 「あっ、ごめん。ちょっと待ってね、すぐ行くっ」 「……じーっ」 「ん? あれ、どしたの? ぼくの顔になにかついてる?」  っていうか、今じーって言った。  真顔でガーベラが、トゥリフィリを真っ直ぐ見詰めてくる。  この、迷いも遠慮もない視線をトゥリフィリはよく知っていた。なんだか少し懐かしい気がするし、そういうところは兄妹と言っても差し支えなかった。  だが、ガーベラは不意に眼差しを翻した。  そして、再び階段を昇り始める。 「フィー、貴女は不思議な人デス。とても、奇妙」 「そうかなあ。まあでもさ、普通の人なんて案外いないもんだよ?」 「……フフ、そうかもしれまセン」 「あっ、今」  小さくガーベラが笑った。  それは、初めて彼女が見せる感情の機微だった。  ぎこちなく、僅かに口元を緩めた笑み。  そのかすかな光が、ホームの眩い明かりの中へと消えてゆく。トゥリフィリが銃を抜きつつ駆け上がれば、キジトラも愛用のナイフを構えて続いた。  視界が開けて、明るさに目が慣れてゆく。  そして、驚愕の光景が視界に飛び込んできた。  歪んだ物理法則が織りなす、異界と化した迷宮。  その最奥、竜の玉座に苦悶の表情が沈んでいた。 「えっ……帝竜が、もう? 凄い……」  思わずトゥリフィリも、素直に賞賛の言葉を口にした。  そこかしこで、身構えたセクト11の構成員がライフルを構えている。そのレーザーサイトの光が、無数に一匹の竜を縫い上げていた。  そして、苦しげに呻く帝竜の前に、若い男女の背中がある。  先に振り向いたのは、隊長のショウジだ。 「ん? ああ、13班か。それと、どうした? ガーベラ、お前に与えた任務は脱出路の確保の筈だが」  軽薄な笑みを浮かべてはいるが、ショウジは目元が笑っていなかった。  そして、隣の妹イズミも肩越しに眇めてくる。 「なによ、ポンコツ。仕事しろっての。ショー兄、なんなのさ……コイツさあ」 「まあ待て、イズミ。ガーベラ、報告しろ。なにがあった?」  既にもう、彼らの狩りは終わっているようだ。  だが、トゥリフィリは油断なく気配を尖らせる。全神経を集中して、臨戦態勢を維持し続けた。キジトラもまた、それに倣う。  竜災害の中での戦闘で、一番危険な時間。  それは、勝利を確信できた際の気の緩みだ。  セクト11はプロフェッショナル、そのへんはわきまえている筈である。少なくとも、ショウジとイズミにはその心構えを感じることができた。  しかし、周囲では既に軽口を交わす者や、煙草を吸ってる者がいる。  そして……血に塗れた巨大な帝竜は、その目はまだ死んではいなかった。 「ショウジ隊長、ムラクモ13班のフィーが……トゥリフィリが、面会を求めていマス」 「それでご丁寧に案内してきたってのか」 「……ハイ」 「ったく。だが、お前はうちの装備品、隊員としての権限はないし、指揮系統の外側だ。言われたことを実行する、間違ってねえよ。んで?」  ショウジはガーベラを下がらせ、改めてトゥリフィリに向き直る。  凄まじいプレッシャーが全身に浴びせられて、思わずトゥリフィリはブルリと震えた。だが、目を逸らさずショウジへと歩み寄る。 「おキクちゃんを責めないでください。ぼくがお願いしたんです」 「オーケーだ。どの道、マシーンには懲罰も説教も不要だからな。それで? なにしに来た、13班。遊びじゃないんだぜ?」 「もう一度、話がしたくて。竜災害からみんなを守る、それはぼくもセクト11も一致してる筈だから」 「俺たちは『ステイツのみんなを』だ……まさか、今更日米同盟を持ち出すつもりじゃないだろうな?」 「そういう話じゃないんだ。けど、目的が違っても共有できる利害はあると思う。最初はお互いの損得とか、情報の交換だけでも――」  その時だった。  不意に、凛とした声が空気を引き裂いた。 「ショー兄! こいつっ、まだ動く! みんなっ、気ぃ抜くんじゃないっての!」  イズミが抜刀と同時に、一足飛びに距離を稼ぐ。  彼女がバックステップした瞬間、巨大な土柱と共にアスファルトが砕け散った。  傷付き行動不能になったかに思われていたが、帝竜の力は顕在だったのだ。  そして、小山にも似た巨躯がゆっくりと持ち上がる。  今しがたイズミを襲った太い尾が、ゆるりと空に翻った。  それを見て、ショウジがニヤリと口元を歪める。 「やるじゃねえか。伊達に始原竜……ティアマットを名乗っちゃいねえか」 「ティアマット?」 「お前らのボスが……あのエメルが付けたコードだろ? シュメール神話に登場する、始まりの地母神にして竜。それがティアマットだ」  エメルは今や、ムラクモ機関の総長として全指揮権を掌握している。  ならば、帝竜の識別コードも彼女が付与することになるだろう。  慌てずトゥリフィリは、瞬時に気持ちのスイッチをONにした。  緊張感が全身にいきわたり、しなやかな筋肉に熱がこもる。  それはキジトラも同じだったが、トゥリフィリとは逆に彼の雰囲気は弛緩して和らいでいる。それがキジトラのスタイルで、常にマイペースを崩さぬのも持ち味なのだ。 「ショウジさんっ、とりあえず今は共闘を。あの竜、手負いで殺気立ってる。半端に追い詰めると、あとが怖いんだ」 「なるほど、そいつぁいい勉強になった。……やれんのか? 13班」 「やれるかどうかは、正直わからない。けどっ、やるんだ!」 「ハッ! いい気迫だ。それでこそ戦士……よしっ! やるぜお前ら!」  ショウジの声に、すぐにセクト11の隊員たちが動き出す。  トゥリフィリもまた、キジトラと共に走り出した。  空気を震わすティアマットの絶叫が、ビリビリと肌をヤスリがけしてゆく。ともすれば脚が竦んでしまいそうな恐怖……その中をトゥリフィリは、真っ直ぐ前だけを見て走った。