おぞましい絶叫と共に、周囲の空気が泡立つ。  圧倒的なプレッシャーに満ちた場で、誰もが武器を構えて走った。  帝竜ティアマットは手負いで瀕死だが、トゥリフィリに油断も同情もありはしない。この一年で彼女は、竜というものについて完全な理解を得ていた。  それは代償を払って、痛みと共に我が身に刻んできた戦訓だ。 「ショウジさん、イズミちゃんが!」 「ハッ、放っとけ放っとけ。それよか、13班! 見せてもらうぜ? 竜災害を乗り越えた戦士の力をよ」 「ぼくは……ぼくたちは、戦士なんかじゃない。まだ、竜災害だって乗り越えてなんか」  真っ先に飛び出したイズミが、弾丸のようにティアマットへと飛び込んでゆく。  闇雲に切り込んだように見えて、彼女は左右にフェイントを散らしながら距離を詰めていった。その動きに反応して、ティアマットの爪と尾とが集中する。  だが、イズミの動きは大胆にして繊細、最小限の動きで全てを回避してゆく。  トゥリフィリでも目で追うのがやっとで、全盛期のキリコと同等かそれ以上のスピードだ。あっという間にイズミは、ティアマットに一太刀を浴びせる。 「チッ、返り血うざ……汚れちゃう。さっさとおっ死ねっての!」  咄嗟にトゥリフィリが、援護の射撃を放とうとしたその時だった。  彼女が銃を向けるより速く、背後で銃声が鳴り響く。  背に背を合わせて影のように、ショウジはイズミを見もせず拳銃を撃っていた。その弾丸は、苦し紛れにティアマットが振り下ろす爪に直撃する。  そして、そこへセクト11の隊員たちが攻撃を集中させた。  高度な連携の取れた、軍人ならではの効率的な殲滅戦。  だが、圧倒的に優位な状況でもトゥリフィリは油断しなかった。 「おキクちゃん、あのイズミって子を見てて。ぼくもちょっと行ってくるから」 「フィー、それは」 「個の力が高くて、連携もバッチリ。でも、そういう人たちの敗北をぼくは何度も見てきた」  そして、その都度託されてきた。  ガトウやナガレ、アオイ……そして、タケハヤ。誰もが皆、強い人だった。強い心で決して逃げず、誰かのために強くあろうとしていた。  竜災害は、そんな人間の生命も尊厳も根こそぎ奪ってゆく。  遺されたトゥリフィリたちの中に、多くの人たちが消えていった。 「いい、おキクちゃん。どんな戦いでも、勝ったと思った瞬間が一番危険なの。ぼく、そういうの沢山見てきたから」 「そうデスか。では、ワタシに命令してクダサイ」 「ん、そういうのはね、ないんだよ?」 「それでは戦えマセン」 「そっか……ま、ナガミツちゃんだって最初はそうだったっけ。じゃあ、命令じゃなくてお願い。ぼくの背中を預けるから、守ってね」 「……りょ、了解デス!」  銃のマガジンを交換しながら、トゥリフィリは鉄火場を走った。  勿論、セクト11の弾丸はトゥリフィリを避けてくれる訳ではない。だから、それも自分で回避しつつティアマットに走る。  大立ち回りで派手に暴れてるが、イズミの攻撃は致命傷を与えられないでいる。  竜の生命力は驚くほどにしぶとく、出血や外傷では判断が難しい。  息の根を止めるまで、決して気を緩めてはいけないのだ。 「イズミちゃんっ、いったん退いて! 火力で押せてるし、数の優位を活かそうよ!」 「なに、こいつ。馴れ馴れしい……黙っててくれる? 13班」 「ううん、黙らないっ! それに、ぼくにもぼくの仕事が、あるんだっ」  その時だった。  イズミの鋭い斬撃がティアマットを叩き割った。  巨竜の額に、深々と剣が突き刺さる。  だが、イズミは異変に顔を歪めて舌打ちした。  その時にはもう、ティアマットは体液を振りまきながら大きく羽撃いている。まだ、翼を広げて飛ぶだけの体力があるのだ。 「ぬっ、抜けない!? くっ、剣が」 「イズミちゃん、手を放して!」 「うっさいわね! お呼びじゃないっての、引っ込んでろ! ……う、嘘、なんでよ」  両脚を踏ん張り、踏みつけるようにしてイズミが剣を抜こうとする。  だが、そんな彼女を鼻先に載せたまま、ティアマットが顎門を天地へと開いた。その奥へと、周囲の空気が渦を巻いて圧縮されてゆく。  ティアマットの絶叫は、それ自体が強力な衝撃波だ。  人類には解明できない物理法則で、音の周波数が純粋な破壊エネルギーとなって周囲を薙ぎ払う。その爆心地にいれば、いかなイズミとて無事ではいられない。  ようやく彼女が剣を諦めたが、もう遅い。  そして、それでも走るトゥリフィリは心に叫ぶ。  まだ遅過ぎはしないと。  そして、同じ想いが不意に意外な人物から叫ばれた。 「フィー! こいつでなんとかしろっ! お前ならできんだろ!」 「任せて、ナガミツちゃんっ! ……ほへ? ナガミツ、ちゃん?」  ブン! と巨大な鉄板が降ってきた。  よく見ればそれは、山手線の車両から引っ剥がしたドアである。回転しながら飛んでくるそれを、迷わずトゥリフィリは連続で射撃する。  同時に、動揺も顕なイズミに駆け寄り、その手前にドアを落とす。  曲芸じみた奇跡的な連続射撃で、ドアは遮蔽物となってトゥリフィリたちの目の前に突き立った。身を伏せた瞬間、耳をつんざく絶叫が悲鳴を連鎖させる。 「ぐああっ! 耳が、耳がっ!」 「馬鹿野郎、ヘルメットを脱ぐからだ!」 「クソッ、ショウジ! 奴ぁまだまだ元気みたいだぜ!」  セクト11の隊員たちにも、被害が出ていた。  既に勝負あったと決め込んで、手を緩めていた何人かが犠牲になったようである。  耳鳴りが収まらない中で、なんとかトゥリフィリも身を起こす。  彼女が差し出す手を、イズミは無言で振り払った。  だが、そんなイズミが空を見上げて呆然と言葉を失っていた。 「……なにあれ、ちょっと誰よ!」  その答をトゥリフィリは知っている。  誰よりもよく知っているのだ。  詰め襟姿の少年が、苦しげに胸を抑えながら立っていた。異界と化したこの東京駅で、捻れて歪みながら踊る線路の上……確かにナガミツが、己の両足で立っていた。  側に控えたカジカの笑みが、その余裕がトゥリフィリには頼もしく見える。  だが、それでもナガミツが万全な状態じゃないことはわかった。 「少年、どうだい? やれそうかーい? オジサン、今ならみんなで逃げるっての、ありだと思うよぉ?」 「クソッ、思うように身体が動かねえ! けど、ここでケツまくるようにはできてねえよ」 「そーだねぃ。んじゃ、ちょっと手伝うからサ……さっさと片付けてシロツメクサちゃんを安心させてやんなさいよ」 「おうっ!」  ティアマットは今、空中で人間たちを睥睨して激昂に猛っている。  その視線がゆっくりと、ナガミツたちの方へ振り向いた。  だが、ナガミツは勿論、カジカも逃げる素振りが全くない。それどころか、カジカはその場で無数の光学キーボードを広げた。そして、身もせずに両手でデタラメに奏でてゆく。デタラメに見えてても、彼が生み出す電子の組曲が響き渡る。 「キャリブレーション補正、フリクションキャンセラー、っと。ホイホイ、ホイッ。んじゃま、やっちゃいなさいよ少年」 「おうっ! 見てろよカネミツ……お前の力、確かに受け取った!」  無数の光が文字列となって、ナガミツの全身を包む。まるで、それ自体が関節部を包む包帯のようだ。そして、一瞬だけふらりとよろけたナガミツが、次の瞬間には天空へと駆け上がる。  以前と遜色ない、全力での跳躍。  それを見上げて、ティアマットもまた高度を取ろうとした。  すかさずトゥリフィリが牽制して、数発の弾丸で敵を空へと縫い止める。 「ナイスだ、フィー! んでぇ、こいつでトドメだっ」  迷わずナガミツは、飛び蹴りで急降下してティアマットをブチ抜く。一点集中で、フルパワーを尖らせた蹴り足が脳天を貫通した。それは、先程イズミが残した剣を正確に蹴り抜いていた。  空気を揺るがす断末魔と共に、ティアマットが空中でのけぞり、動かなくなる。  ズザザと大地を抉って着地したナガミツは、遅れて戻ってきたイズミの剣を見もせずキャッチし、ニヤリと笑う。  へとへとで全身から煙を吹き出していたが、トゥリフィリもまた涙をこらえて微笑みを返すのだった。