とりあえず、驚異は去った。  だが、トゥリフィリの胸中に満ちる黒い霧は、周囲の薄闇を吸い込むように広がってゆく。  言い知れぬ不安、言葉にできない怯えの気持ち。  それでも、彼女は周囲を警戒しつつ目の前の女性に駆け寄った。  ようやくナガミツも、緊張を解くなりその場にへたり込んだ。 「っ、ふう! なんて殺気だよ、ったく。かわいい顔してかわいげねえぜ」 「ふーん。ああいう娘、かわいいんだ?」 「生まれ持った造形が優れてるって思っただけだ。……フィー、なんだ? それ、ひょっとして」 「っと、そ、そそそ、それより! えっと、大丈夫ですか? 助けに来ました!」  嫉妬、ではない。  やきもちとか、そういう乙女チックなものでもない。  そうだ、そうなんだと自分に言い聞かせるように、トゥリフィリは先程のやりとりを頭の中から追い出した。  長身の女性が、獣貌の少女を膝に抱き寄せている。  そして、被ったフードのシルエットから、この女性も同じ種族と見ていいだろう。  アダヒメがそうだから知ってはいたが、改めて見ると驚きを禁じえない。 「えっと、ルシェ……だっけ? うん、ルシェさん。もう安心だよ」  ――ルシェ。  古くから地球の片隅で生きてきた、今の人類とは違う種族である。古代種ともいい、今でもごくごく少数が細々と血を紡いで生きながらえていた。  アダヒメが生まれた湯津瀬の家が、まさにそうらしい。  怯えるような視線が、フードの奥で揺れていた。  だが、彼女は意を決したかのように、か細い声を震わせた。 「た、助けてくれて、ありがとう。カルナのことも、助けてあげて」 「この子がカルナちゃん? 任せて」  すぐにガーベラが来てくれて、小さな少女の体をヒョイと抱き上げる。  彼女はちらりとナガミツも見たが、無言で「あー、いいからいいから」みたいな顔をされて頷いていた。  そのナガミツだが、膝に手を当てゆっくりと立ち上がる。  やはり、少し辛そうだ。 「えっと、とりあえず……あなた、名前は――」  その瞬間、女性はフードを脱いで立ち上がった。  思わず、トゥリフィリは絶句する。  隣のナガミツも、表情こそ変えなかったが僅かに息を呑んだ。  そこには……もういない筈の顔が弱々しく微笑んでいた。 「っ、アオイちゃん!?」 「わ、わたしは、マリナ……だよ?」 「マリナ、さん。え、あ、でも」  あからさまに動揺してしまった。  それで、マリナと名乗った女性も戸惑いの表情を浮かべる。  よく見れば、そこまで似ていないような気もした。なのに、その全身を包む空気や雰囲気、仕草の隅々にかつての仲間の面影が感じられた。  自分を先輩と呼んでくれた、元気で頑張り屋な女の子。  最後まで竜災害に抵抗し、人々を守るために戦った娘だ。  竜の魔性に飲み込まれたナツメを前にしても、決して怯まなかった勇敢な少女である。 「あ……ご、ごめんなさい。えっと、マリナ、さん」 「は、はい」 「とりあえず、ぼくたちムラクモ機関がマリナさんとカルナちゃんを保護します。安心して。それで……えっと、ちょっと聞きにくい話なんだけど」  今は、亡き後輩の面影を脳裏から振り払う。  こうしている今も、世界中で竜災害によって多くの命が危険にさらされているのだ。  そんな状況をひっくり返す、ゲーム・チェンジャーが近くにある。  目の前の女性が、それを知っている可能性は十分にあった。  でなければ、セクト11に襲われたりはしない。  それに、先程カルナの必死の形相、そして決意と覚悟の眼差しは尋常ではなかった。  そして、それを思い出して気付く……カルナもまた、トゥリフィリのよく知る人間と酷似していた。それがなにを意味するのか、あえて考えないようにする。 「マリナさん、殺竜兵器って知ってないかな? ぼくたち、それを探してるんだ。さっきのセクト11……アメリカの特殊部隊も追ってるみたいで」 「殺竜、兵器?」 「竜を倒せる秘密兵器、みたいなものだと思う」 「ん……兵器、は、えっと……うーん」  マリナは難しい顔で腕組み考え込んでしまった。  一生懸命に思い出そうとしてくれる、その健気さが無言で物語っていた。  やはり似ているし、真摯に記憶の糸を手繰ってくれてる。  そういうところもアオイに似てたし、そうまでしてもすぐに言葉が出てこないということは、知らないのだろう。  だが、マリナの声は曖昧にくぐもり、困ったように小さくなってゆく。 「ごめんなさい、えっと……上手く、言えないの。兵器、っていうのは、見たことがなくて、こう……わたし、でも、なんだか大切なものを思い出せてるのに」 「し、知ってるの?」 「表現、難しい。さつりゅう、へいき……ヘイキ、兵器……それは、希望? それとも」  その時、背後でおずおずと声が響いた。  振り返ると、呼吸を整え壁にもたれかかるフミノの隣で、ユキノジョウがぬぼーっと手をあげていた。 「あの、ちょっといいですか。……あんましいい手じゃないんだけど」 「ん、ユキちゃん。なにか名案、ありそう?」 「ありそう、っていうか……最終手段っていうか。ま、やってみますよ」  ユキノジョウは、右手の手袋を脱ぎながら歩み寄ってくる。  彼は「直接触れる方が、ヴィジョンが安定することもあるんで」と、不思議なことを口走った。そして、そっと手をマリナの前に差し出す。  シェイクハンド、握手を求める形で、それはすぐマリナにも伝わった。 「俺は、ユキノジョウ。もし、俺を……俺たち13班を信用してくれるなら、俺の手を握ってくれ。俺は多分、あんたの言いたいことをみんなに伝えられると思う」 「信用……信頼? うん、あなたたちは信じられる。とても、いい人」 「初対面でそういうの、ほんとはオススメしないけどな。けど、サンキュ」  マリナは迷わず、ユキノジョウの手を握った。  瞬間、僅かにビクリ! とユキノジョウは身を震わす。  それは永遠にも思える一瞬で、結ばれた手と手はすぐに離された。  不思議そうに小首を傾げるマリナの前で、ゆっくりとユキノジョウは振り返る。 「えっと、トゥリフィリ班長」 「あ、フィーでいいよ。フミちゃんもね」 「じゃ、じゃあ、フィー。多分、恐らく……殺竜兵器、見付けました」 「あ、ほんと? すぐ確保に向かうよ、場所はどこかな」 「……ここ、です」  思わずトゥリフィリは「ほへ?」と間抜けな声を発してしまった。  カルナを小脇に抱えたまま、瞬時にガーベラが身構え周囲を見渡す。彼女のセンサーはやっぱり、殺竜兵器と思しき存在を探知することはできなかったみたいだ。  だが、ナガミツだけが得心を得たかのように、じっとマリナを見詰めている。  彼の言葉に、思わずトゥリフィリも仰天の声をあげた。 「ユキ、ムラクモ機関の秘匿ファイルにあった、マインドリーダーって……お前だったのかよ。んで、だ。フィー、目の前に殺竜兵器がある……いる。そうだな? ユキ?」  無言でユキノジョウが頷いた。  にわかには信じられない話で、キョトンとしているマリナも目を瞬かせている。  だが、その彼女が……彼女自身が殺竜兵器だと、ユキノジョウは言っているのだ。  正確には、マリナの中に殺竜兵器があるという話なのだった。