国会議事堂の会議室には、既に緊張感が満ちていた。  ざわめきの中を職員が行き交い、誰もが悲観と嘆きを噛み締めている。  トゥリフィリたち13班が駆け付けた時には、ムラクモ旗艦総長のエメルは自衛隊に取り囲まれていた。リンは部下たちを一歩下がらせつつ、身を乗り出して声を荒げる。 「これは明らかに帝竜の攻撃だ! まごまごしてたら国会議事堂は全滅だぞ!」 「フン、それくらいはわかっている。だが」 「だが、じゃない! すぐに打って出ないと」 「おや、Self-Defense Forcesが攻勢を主張するのかな? 落ち着け、堂島凛」 「ッ、ク! ……クソッ! どうすればいいんだ? 天候とはどうやって戦えば」  悔しそうにリンは、自分の掌を拳で叩いた。  自衛隊の隊員たちも、俯き押し黙るしかない。  彼らの悔しさが、噛み締める奥歯の軋みとなって聴こえてきそうなほどだ。  だから、トゥリフィリは心の中で「……ヨシ!」と気合を入れる。 「リンさん、エメルさんも。今はとにかく、情報収集と現状確認だよっ。自衛隊は引き続き、国会議事堂の守りを固めて。自衛隊はディフェンス、そしてぼくたちがオフェンスだからさ」  少ない人員で、自衛隊はよくやっている。  一時は短絡的で短慮な傾向があったリンも、今では立派な指揮官だ。  なにより、トゥリフィリたち13班との間に信頼関係がある。  だから、いつでもトゥリフィリは背中を預けて飛び出せるのだ。 「フィー、13班のみんなも……」 「リンさん、今は焦ったら負けだよ? この雨を降らせてるやつは、必ずどこかにいる。それをぼくたちが叩くよ。だから」 「ああ、そうだな。私たちは守りを固めて、最後まで避難民を守り通す。……熱くなって忘れるところだった。私たちは守りの要、自衛官なんだ」  大きく頷き、トゥリフィリはリンとの絆を再確認する。  一方で、現状で能動的に動くことができないのも事実だ。  今、天空から降り注ぐ腐った雨によって、じりじりと国会議事堂は侵食されている。それは、太陽と外気を奪われた避難民の精神をも蝕んでいた。  これ以上ストレスによる負荷が増えると、集団的な避難生活にひびが入る。  圧縮されて貯まったガスが、ちょっとしたことで引火し爆発するのだ。  さりとて、焦りは禁物……さてどうしたものかと思案し始めた、その時だった。 「無駄ですよ……もう、打つ手がない。真竜フォーマルハウトは、本気で僕たち人類を剿滅する気なんだ」  振り返ると、そこに人影が浮かんでいた。  まるで幽鬼のように、ゆらゆらと頼りない青年の姿がある。  それは、今までずっとトゥリフィリたちを支えてくれた男、キリノの変わり果てた姿だった。白衣はよれよれで無精髭、そして失われた右手を包帯で覆っている。  おおよそ生気というものを感じさせず、彼はうつろな目で一同を見渡す。 「僕の計算では、この雨に国会議事堂が耐えられる期間は長くない……持って数ヶ月。防御不能の永続的なダメージで、あらゆるものが腐り灼けて朽ちるんだ」  酷く暗い声だ。  まるで別人である。  しかし、エメルは眉一つ動かさなかった。  そして、その声が優しい言葉を象っても、体温を伝えることはない。 「キリノ、休んでいろ。お前は疲れているんだ。まだ怪我も治っていない」  事務的な声音だった。  そしてそれは、形ばかりは優しいからこそ、キリノの感情を逆なでにする。 「……足手まといは引っ込んでろ、ってことですか?」 「ああ、そうだ」 「ッ! あ、貴女は」 「私はそう思うがな、キリノ……同じ言葉をお前は、ずっと一緒に戦ってきた13班にも投げかけることができるか? お前が言ってることは、子供の駄々と同じだ」 「正論ですね。でも……正しさでなにが救えるんです? もう、終わりですよ」  ふらふらとキリノは会議室を出ていこうとする。  その背中が哀愁を帯びてて、トゥリフィリは胸が締め付けられた。  なにか声をかけたい。  言葉をかけてやりたい。  だが、それが自分の中に見つからなかった。  そして、同じ思いで唇を噛むナガミツが隣にいる。  いつもの仏頂面だが、彼は確かに悔しさを感じているようだった。  するとその時、ふと立ち止まったキリノが肩越しに振り返る。 「ああ、そうそう……気象班のデータを見せてもらいました。都内全土を覆う雨雲、対流、前線の動き……逆算すると、そうだなあ。六本木あたりに不自然な大気の流れがある」  トゥリフィリは思わず、はっ! となった。  キリノの目は完全に死んでいるし、以前の彼ではない。  だが、深い絶望に彩られた彼の言葉は、やはり天才のものだった。  全てを極めた初代総長のナツメとは違う。極めて突き抜けたS級能力者とも違う才能だ。キリノはいつだって、皆を支えてベストを尽くしてきた。コツコツと努力を積み上げ、その都度結果へ手を伸ばしてきた人物なのだ。  キリノは自分でも今の発言がおかしかったのか、卑屈な笑みを浮かべて去っていった。  そして、僅かな希望が光りだす。  それはすぐに、灯火となって輝き出した。 「……よし、六本木だ。まずは六本木に威力偵察を行う!」  エメルが早速、バン! と卓を叩いた。  その音が、閉塞感に沈む会議室の空気を震わせる。  あっという間に、一般職員から自衛官まで、瞳に覇気が戻ってきた。  そして、リンが決意と覚悟で口を開く。 「六本木までは、地下道を駆使すれば雨を避けて移動可能だ。けど、そこから先は」 「フン、なに……S級能力者ならば多少のダメージはどうということはない」 「多少の犠牲もか? エメル」 「……貴重な戦力は一人たりとも失わせん。グヌヌ、ではどうする……うーむ」  流石のエメルも、腕組み唸ってしまう。  六本木と言われても、その範囲は広い。  ただ、改めて気象班とのデータの洗い出しをすれば、かなり絞り込める筈。  そして、屈強な自衛官たちが互いに顔を見合わせ笑みを浮かべた。 「決まりですな」 「ああ……堂島凛一佐! 意見具申!」 「ん、ああ! 許可する! すぐに準備を始めろ、人員は希望者のみとする!」 「まだ意見を述べてませんが」 「私は立場上、議事堂を動けん。しかし……日本の国民を守るのが自衛官の使命だ。すぐに13班を援護する隊を編成、同行してフィーたちをあの雨から守り抜け!」  今しがた話して確認し合ったばかりだ。  オフェンスは13班、ディフェンスは自衛隊だと。  だが、トゥリフィリが口を開こうとする前にリンが先回りする。 「自衛隊として矛盾はない。お前たちがオフェンス、私たちが竜との生存競争を勝ち抜くための唯一の矛だ。ならば盾は……全ての民を守る。そこには矛たるお前たちも入ってるんだ」 「で、でも」 「今ある装備で創意工夫、これもまた自衛隊の昔ながらの手練手管ってやつさ。お前たちは調査に専念してもらう。例の雨からは、きっちり私たち自衛隊が守る!」  かくして、新たな戦いが始まった。  そして、トゥリフィリたちは知ることになる……六本木に待つ悪意の、恐ろしくも狡猾な人類殲滅作戦を。  それでも、空と自由を奪われて尚、トゥリフィリたちの意思がくじけることはなかった。