月の砂漠を、はるばると。  熱砂も今は夜風に冷えて、月光で銀色に光っている。  今、国分寺に広がる広大な砂地をトゥリフィリたちは歩いていた。この先に再び帝竜の反応が発生したのが、今日の午後。間髪入れずにムラクモ機関は、迅速に13班の派遣を決定したのだった。  夜を選んだのは、この一帯の異常な熱波を避けるためである。 「ふいー、それでも少し蒸し暑いかな……やれやれ」  トゥリフィリは地平を見渡し、胸元の着衣でパタパタと己をあおぐ。  日中ほどではないが、まるで密閉された室内のように熱気が籠もっている。その中を歩き始めて、既に一時間が経過していた。  マモノとの散発的な戦闘があるものの、旅路はいたって順調だ。  そして、同行してくれている仲間たちも相変わらず頼もしい。 「班長、このまま例の工場跡地を目指すが……ノリトが妙な音を拾っててな」  振り向くと、キジトラが神妙な面持ちで近付いてくる。  その背後では、ノートパソコンを片手にノリトがウロウロと落ち着かない様子だ。一流ハッカーである彼は、趣味の音楽で鍛えた鋭敏な聴覚を持っている。それをハッキングの技術と組み合わせて、ソナーのように危険を音で察知しようとしていた。  だが、ノリトは鼻歌交じりになんだか楽しそうである。  それを見やるキジトラも、やれやれと苦笑に肩を竦めるのだった。 「それと、班長。妙な足跡を見つけた」 「足跡? キジトラ先輩、それって」 「こっちだ、来てくれ」  トリックスターであるキジトラは、自己流の忍術とサバイバルの術を会得している。もとより洞察力に優れた勘のいい男で、トゥリフィリは勿論ナガミツたちも全幅の信頼をおいている。  特に、今日は隣にいないナガミツとはまるで旧知の仲である。  そして、ついつい先日の渋谷での幻覚を思い出してしまう。 「ね、ねえ、キジトラ先輩。あの、さ……」 「うん? どうした班長」 「ナガミツちゃんがさ、もし……女の子だったら、どう思う?」 「はぁ? どう思う、とは? 仮定の話には返答しづらいのだが」 「ご、ごめん! 今のナシ! わはは、はは……ふう」  妙な夢を見た。見せられて、見せつけられた。  あまりにもリアルな、それはスリーピー・ホロウのもたらす幻覚。どこまでも現実味に満ちていたのは、それ自体が帝竜の特殊能力なのかもしれない。  だが、その話を先日トゥリフィリはアダヒメに話してみたのだ。  彼女はなにも言わずに、寂しげな目を細めるだけ。  なんだか意味深な気がして、トゥリフィリの心に棘と刺さっているのだった。 「俺様は、そうさな……ナガミツは友、そして仲間だ。それはフィーやノリト、皆も一緒だが? そこに男女の別などないつもりだ」 「そ、そうだよね」 「ただまあ、ナガミツが女だったら? フハハハ! さぞかし無愛想で目付きの悪い女だろうよ! 需要はあるが、中身がナガミツではなあ!」  豪快に笑って、ふとキジトラが屈み込む。  肩越しに振り返る視線に促されて、トゥリフィリもその横に片膝をついた。 「この足跡を見てくれ、班長」 「……み、見えないけど。ってか、足跡ある? どこに?」 「ここだ。ちょっと見やすいようにしてやろう」  そっとキジトラは、抜き放ったナイフの刃で砂をなぞる。  輪郭を与えられて初めて、大小二つの足跡が浮かび上がった。 「こっちの小さいのは、女だ。踵にかかる荷重が軽いからな。こっちのデカいのは男で、どっちも訓練された人間の歩幅だな」 「ほへー、そういうのまでわかるんだ。……この二人って、まさか」 「そのまさかだろうよ。我々に先んじて帝竜の巣に飛び込んでいく軍人、ないしはそれに準ずる訓練された人間」  ――セクト11。  アメリカ合衆国が派遣してきた、対竜特殊部隊だ。  そのリーダーであるショウジとイズミ、サクラバ兄妹が先行している可能性が高い。以前も何度かやりあったが、二人共S級能力者である。個々の力でトゥリフィリたちを圧倒する戦闘力があり、兄妹でのコンビネーションは強力無比だ。  トゥリフィリは、争いは避けたいと思っている。  今は、人類同士でいがみ合っている時ではない。  しかし、相手がその気ならば……今はもう、心を決めている。共闘の意思と共に竜検体を分かち合ったし、それでもまだ立ちふさがるなら、その時は決着をつけるしかない。  そんなことを考えていると、ノリトがヘッドホンを外しながら歩いてきた。 「妙ですね、フィー。キジトラ先輩も。例の工場、稼働しています。セキュリティが歌ってます。これはまるでそう、眠れぬ夜の夜想曲」 「おいノリト、腹痛が痛いみたいなことになってるぞ」 「フッ……わかりやすさ重視です。ノクターン、それは月と踊るクレッシェンド」 「わかったわかった、それで? マモノの反応はどうだ?」 「それはもう、有象無象がうじゃうじゃと。それと、いくつか竜の反応がありますね」  どうやら、息を吹き返したのはスリーピー・ホロウだけではないようだ。  この先に広がる工業地帯にも、かつて恐るべき帝竜が猛威を振るっていた。業火と熱風の化身、トリニトロ……その驚異を打ち砕いてから、既に一年近くが経過していた。  恐らく、これも真竜フォーマルハウトの影響だろう。  そして、トゥリフィリたち13班には各個撃破という対処療法しか手段はないのだ。 「よし、じゃあ進もう。油断せずにね。以前、一度攻略したことがあるダンジョンだってことは……忘れる」  立ち上がってトゥリフィリは、ピシャリと自分の両頬を叩く。  過信しては駄目だ。  そして、自信を持たなければいけない。  一度は攻略し、帝竜トリニトロを打倒したことは事実だ。だが、ただその記憶をなぞるだけでは、勝利の再現は訪れない。  ただ、一度は勝った相手だというエビデンスがあれば、あとはなにもいらない。  何度でも立ち向かい、常に初心の備えを万全にして挑むだけである。  うんうんと大きく頷き、キジトラも身を起こした。 「今日のメンツなら、どんな相手でも属性を問わず挑める。二度目の再生怪獣といえど、なにをしてくるかわからんからな」 「ですね。私のハッキングで能力を鈍らせ、キジトラ先輩とフィーの波状攻撃で翻弄する……ベストな選択かと」 「加えて、前回のスリーピー・ホロウのデータもある」 「再生した二代目は能力において前回を上回るものの、攻撃パターンに大きな変化はありませんでしたね」 「そう、そして俺様たちも強くなっている! あとはベストを尽くすのみよ!」  トゥリフィリも首肯を返して、そして三人で歩き出す。  向かう先、砂丘の彼方に黒煙が立ち上った。無数の煙突から煙を吐き出す、国分寺の工業地帯である。そこは今、帝竜の力で再び魔宮と化しているだろう。  一年前に奪還したあとは、復興のために創業を再開した工場がほとんどだった。  再び灯火を掲げた人々の営みは、またしても竜に奪われたのだ。 「今日はナガミツちゃんがいないんだ、ぼくもしっかりやらないとね」  気付けば最近は、一緒が普通で当たり前になりつつある。阿吽の呼吸で互いをフォローする、その安心感が戦いの中でトゥリフィリを成長させてくれていた。  だから、今日はその力で仲間たちを守って戦うだけだ。  そして同時に、頼って助け合うことを心に結ぶトゥリフィリだった。