トゥリフィリはナガミツを連れて走る。  その先から、雪崩のように避難民たちが飛び出してきた。皆、外で陽の光を浴びていた老人や子供たちである。その流れに逆らいつつ、国会議事堂の正面玄関を出た。  最初に目に入ったのは、戦慄の光景だった。 「あ、あれは……っ!」  国会議事堂の敷地内に、大量のマモノが入り込んでいた。その数は既に、アスファルトを覆って包み込むほどだ。見渡す限りの敵意と殺意、そして絶叫と咆哮。  阿鼻叫喚の地獄絵図とは、このことだった。  そして、ふと隣にか細い声を聴く。 「う、ううっ……あ、あっ……駄目。戦わ、なきゃ……守らなきゃ……でも」  膝を抱えて屈み込んでる、それはゆずりはだった。  ガクガク震えて、声音も涙にかすれている。  そんな少女にも、容赦なくマモノは襲いかかってきた。  慌ててトゥリフィリは飛び出し、身を盾にしてゆずりはを抱き締める。それは、さらに前に出てナガミツがマモノを蹴り飛ばすのと同時だった。  瞬速のミドルキックを叩き込まれて、巨大熊が数メートル吹っ飛ぶ。  だが、空いた隙間を埋めるようにマモノは押し寄せてきた。 「ゆずりはちゃん、大丈夫? とにかく、中へ!」 「だ、駄目……私、戦わ、ないと」  庇ったゆずりはの体温は、びっくりするほど冷たかった。  だから、改めてトゥリフィリは強く抱き寄せ、そっと立たせる。  その間もずっと、ナガミツが七面六臂の大立ち回りで守ってくれている。周囲を見渡せば、そこかしこでキジトラやシイナたちが戦っていた。  皆、その表情に驚きを隠している。  これほどまでのマモノの大攻勢は、初めて見るからだ。  だが、肩越しに振り返るナガミツは笑っていた。  なんとも不敵な「ああ、男の子ってやつは」という笑顔だった。 「よぉ、ゆずりは。安心しな、お前の分まで俺が戦う。戦えない奴のためにこそ、戦う……それが俺たち、ムラクモ13班だからな」  そして、ナガミツの言葉尻を拾うように、二つの声が滑り込んできた。  駆けつけたカネサダの手の中で、スマートフォンからカネミツが叫ぶ。 「悪ぃ、お嬢! 遅れた! まずはいったん引き上げるぜ。一式、あとは頼む! おうカネサダ、お条を頼むぜ!」 「任せろ、カネミツ。フィー、彼女は僕たちに任せてくれ」  瞬間、銃声が響いて弾丸が空気を貫いた。  背後から、対物ライフルでツマグロが援護射撃してくれたのだ。それで、ナガミツの前に押し寄せるマモノの一部が瓦解する。もとより統制というものを知らない野生の暴力は、戦列を乱しながらも迫りくる。  ツマグロの狙撃に守られつつ、ゆずりはを抱えてカネサダが下がった。  同時に、トゥリフィリも銃を抜いて周囲を警戒する。 「ナガミツちゃん、気付いてる?」 「ああ! この気配……まるで帝竜だ。近くにいるぞ」  それは、竜の気配。  宇宙の全てを喰らって飲み込む、絶対強者が迫りつつあった。  百戦錬磨のトゥリフィリでも、肌がびりびりと粟立つ。  こんなプレッシャーを放つ竜は久々だ。  その姿はまだ見えないが、近くにいる。  迫ってくる。 「みんな、ごめんっ! 正面玄関を死守! 絶対に奥には行かせないっ」  決死の防衛戦が始まった。  ここは、国会議事堂は人類最後の砦なのだ。  この日本に今、世界中の対竜戦力が集結しつつある。だから、ここを集中的に潰すという竜の戦略は正しい。  だからといって、はいそうですかと滅んではやれない。  トゥリフィリと仲間たちにだって、決意と覚悟があるのだ。 「ハーッハッハッハ! 俺様に任せろ、班長ォ!」 「って、キジトラ先輩! やばいですってば! この数、絶対無理ゲーですって!」 「どうしたどうしたぁ、ノリト! いいからバンバン、ハッキングしてけぇ!」 「ひいいい、もう駄目だ絶対終わりだまじゲロやばい……くっそおおお! できらあ!」  セクト11とSKYのメンバーたちも動き始める。  とにかく、逃げ遅れた人たちの避難が最優先。そして、悲しいけど犠牲者となった遺体を改修している余裕はなかった。  人としての尊厳すら、踏みにじられてゆく。  ただ、死者を弔うことさえも許されない。  そんな中で、ともすれば泣き出しそうな恐怖と誰もが戦っていた。  背後で凛とした声が叫ばれたのは、そんな時だった。 「貴様ら、一旦退くぞ! 現時点をもって、国会議事堂を捨てるっ!」  誰もが振り返る先に、小さな女の子が立っていた。  エメルだ。  珍しくその顔には、焦りと苦渋の表情が歪んでいる。  総長の判断に、トゥリフィリも従うしかなかった。なにより、この決断をエメル自身が納得していないのが伝わってくる。その上で、ギリギリの判断を自分で下したのもわかった。  奥歯をギリリと噛み締め、誰もが頷くしかなかった。 「幸い、国会議事堂には有事のための地下シェルターがある! そこまで退くぞ!」  権力者とは常に、自己の保身に努力を惜しまないものである。  それ以上に、国家の中枢組織を守ることは、国家機能維持のためにどうしても必要だったのだろう。そして、その打算と用心の産物が最後の希望となる。  しかし、トゥリフィリは瞬時にわかってしまった。  最後の希望の、その先にあるのは……絶望。  今この状態で下がれば、地下シェルターから現状を打開することは難しい。 「くっ、それでも! みんな、下がろう! 怪我人を優先してっ!」  誰もが悔しげに俯き、それでもマモノをさばきながら下がる。  その足元が突然、ぐらりと揺れた。  またしても、激震が走ってトゥリフィリはよろける。すかさずナガミツが支えてくれたが、その横顔は驚愕に固まっていた。  もう、ナガミツにも余裕がないのが感じ取れた。  そして、魔物たちを蹴散らすように地面にひび割れが走る。 「あ、あれは……っ!」  トゥリフィリは見た。  それは、例えて言うなら黙示録の怪物。真っ黒な巨大竜が、まるで火山の噴火のように地中から現れたのだ。ベヒモス……バハムートとかリヴァイアサンとか言われる、終焉の獣。そんな単語が脳裏を過る中で、漆黒の破壊神は絶叫を張り上げるのだった。