トゥリフィリたちは奇跡的に生還した。  国会議事堂の避難民たちは、犠牲を出しつつ大半が地下へと逃れたのだった。  しかし、それは絶望を意味する。  ここはダース単位の核兵器にも耐えうる地下シェルターだ。その驚異的なサバイバリティは、地上から襲い来る竜とマモノを完全にシャットアウトしていた。  だが、誰もが知っている……ここは行き止まりで、先がない。  そして、永遠のゆりかごと呼べる楽園ではないのだと。 「はぁ、疲れた……もうダメ、死ぬ……死んだ、はい死んだー」  さすがのトゥリフィリも疲労困憊だった。  大きな傷こそないが、生傷が耐えない。  とにかく、最後の砦からの撤退戦というのは、精神的にも彼女を苛み尽くしていたのだ。それで今、トゥリフィリは与えられた個室のベッドに突っ伏していた。  このまま沈んで、めくるめく羽毛とウールの世界に飛び込みたい。  流石に今日という現実からは、誰もが逃避したくなったのだ。  ただ、逃げ場のない袋小路で援軍のあてがない籠城を始めた……それが現状であり、目を逸らしてはいけない真実なのだった。 「……ここには先がない、かあ」  ごろりと仰向けに寝返りを打って、大の字に天井を仰ぎ見る。  無機質なコンクリートの灰色が、無言の圧迫感でプレスしてきた。心なしか息苦しい気がして、鼓動も落ち着かない。  薄い胸に手を当て、トゥリフィリが大きな溜息を零した、その時だった。  突然、部屋のドアがノックされた。 「フィー、いるか? ……もう、寝てるか」  すぐに飛び起き、何故か無意識に着衣と髪を軽く整えた。  ちらりとベッドの枕元を見れば、備え付けのデジタル時計は深夜の10時を指している。確かに寝落ちしそうになっていたが、一気に目が覚めた気分だ。  スリッパを足に引っ掛け、パタパタドアに駆け寄る。 「起きてるよ。今、開けるね」  ナガミツの返事も待たずにドアを開ける。  そう、声の主はナガミツだったのだ。それで改めて、トゥリフィリは自分を意識してしまう。これが他の13班メンバーだったら、睡魔に抗えたかどうか。  それでいて、呼吸も動悸も先程とは別種の不安定さにテンポアップ。  顔をのぞかせたナガミツは、いつもと変わらぬ無表情だった。 「おう、すまん。その……ちょっと、いいか? フィー」  本当に普段通りだった。  上手くそう取り繕ってるなとすぐに知れた。  トゥリフィリじゃなかったら見抜けないだろうし、ナガミツは人型戦闘機というマシーンの側面を持っている。普段も鉄面皮で感情を現すことは少ない。  だが、感情がないわけではないのだ。  そして、その些細な機微がトゥリフィリにはどれも眩しく思える。  まるでそれは、誰もが見えない、見ようともしない星の輝きのような。 「ん、入って入って。って、どしたのそれ」 「子供たちに菓子を配ってきた。そしたら、じいさんやばあさんが俺たちにって」  ナガミツは両手に一杯のお菓子を抱えていた。  カロリーと糖分は人間にとっては大切な栄養である。のみならず、味覚を甘やかに刺激されると、自然とストレスも疲労も忘れられるものだ。  だが、トゥリフィリは素直には喜べなくて、曖昧な笑みを浮かべてしまう。  そして、今のナガミツはそんな彼女の憂鬱をすぐに察してくれた。 「すぐにはパクつけないよな。いくらフィーでもよ」 「まあね……って、それはどゆ意味?」 「フィーは強くて優しい。仲間や周囲に敏感でいてくれるって話だ」  部屋に招いたが、テーブルも椅子もない部屋だ。というか、調度品らしいものはなにもない。六畳程の広さにベッドだけが置かれていて、自然と二人で並んで座る。  ナガミツが「ん」と菓子を一つ差し出すので、流れでそのまま受け取った。  なんだか、いつも以上に照れる。  顔が熱くて、気恥ずかしさに思わず俯いてしまった。 「……あのさ、ナガミツちゃん。そゆこと、口に出しちゃうかな、もう」 「なにか間違ってたか?」 「べーつにー! ……もぉ、バカ」  手渡されたチョコバーを開封し、サクリと一口。  軽くてしっとりした食感に、チョコの硬さが心地いい。歯ざわりのギャップが、二種類の甘みを引き立て合っていた。  そして、この菓子を食べるといつも一人の少女を思い出す。 「ナガミツちゃん、マリナ……どうしてるかな」 「今は避難民と一緒にいる。ちょっと、泣きそうになってた。見てられねえよなあ」 「うん……彼女は悪くないのにね。責任、感じてるんだ。前からそう」  殺竜兵器と呼ばれて追い回されていた、あのナツメの置き土産……それがマリナだ。今は亡き後輩の面影を残す彼女は、人類の一発逆転のゲームチェンジャーだったのだ。  その、筈だった。  だが、今はもう竜検体を集めるどころではない。  もう、人類は生きてはいけない。  死んでないだけのエピローグが始まったのだ。 「キジトラはよ、子供たちにフィギュアとかプラモ配ってる。呆れるよな、あのクソ忙しい乱戦の中で、いくばくかの私物を回収してるなんてな」 「ふふ、キジトラ先輩らしいや」 「エリヤがずっと泣きっぱなしでよ……ガーベラもおろおろしてやがる。ま、あっちはシイナがついてるから大丈夫だろ」 「おキクちゃんの腕、早く直さなきゃね。他のみんなは?」 「大人連中はみんな、キリノと会議室に籠もりっきりだ。リンは自衛隊の残存戦力を再編成してるし、チェロンはアヤメと放送室を改造中だ。ノリトは、なんか煤けた背中でアコギ鳴らしてたぜ? それと」  トゥリフィリは大きく生きを吐き出すと、隣のナガミツに寄りかかった。ちょっと人間より固くて、冷たくて、音と振動が伝わってくる。  ナガミツは大量の菓子を脇に置いて、そっと肩を抱いてくれた。 「……正直さ、もぉやだなって思っちゃったの。ぼく、ナガミツちゃんが言うほど立派じゃないよ。流石にもう、駄目かなあ」 「そっか」 「ナガミツちゃんは?」 「こういうのが絶望なんだと学習した。始めての体験だから、正直きついぜ」 「うん」 「……だから、フィーに会いたくなって、気付けばこの部屋に来てた」  天下御免の斬竜刀にも、心が折れそうになる時があるのだろう。それは、ナガミツに折れたり痛んだりする心があることを意味する。  だが、今のトゥリフィリにはどうでもいいことだった。  意味とか意義とか、これから忘れ去られる価値観なのだから。 「ナガミツちゃん……来てくれて、ありがと」 「なに言ってんだ、フィー。礼を言うのは俺の方だ」 「……ちょっと、あっち向いて? その、恥ずかしいから」 「うん? おっ、おお!? そそ、それって、キジトラとノリトが前に見てた……あ、ああ! いいぜ! ほらっ!」  珍しくナガミツが口調を乱した。そんなところだけは、本当に年頃の男の子なのだ。そして、そわそわと背を向けた彼にトゥリフィリはしがみつく。  しっかりと、はっきりと、驚きに震えるナガミツが感じられた。  やっぱり、出会って一年とちょっとでナガミツは情緒豊かになたのだ。  そんな彼の背に顔を埋めて、トゥリフィリは今だけはと声をあげて泣き出すのだった。