停止したエレベーターから出ると、トゥリフィリたちを瘴気の渦が待ち受けていた。  濃密な魔素が肉眼でもはっきりと見える。  そこかしこでフロワロが、鮮血のような暗い赤に燃えている。  そのさなかへと、トゥリフィリは仲間たちと飛び出した。 「みんな、気をつけて! 流石のぼくたちでも、消耗は避けられないっ!」  叫んで、息を吸って、吐く。  耐性のあるS級能力者であっても、まるで肺が焼かれるような痛みが走った。  ここまで竜に侵食されたダンジョンは始めてだ。  そしてこの場所は、少し前までは人類の希望、最後の砦だったのである。  だから、取り返す……奪還する。  最後の望みを繋ぐための、最初の一歩を再び踏み出すのだ。 「カカカッ! ゆくぞノリトォ!」 「了解ですよ、キジトラ先輩!」  真っ先に駆け出したキジトラが、躍動。  あっという間にナイフ一閃、周囲のフロワロを切り裂き散らす。暗い霧に覆われていた文明の被造物が、懐かしさと共に蘇った。  キジトラは、風だ。  駆け抜ける先で華が散り、蔦も払われてゆく。  その背を追ったノリトが、空中に3D表示された光学キーボードを叩く。叩いたそばから、キーボードを置き去りに走った。  そして、国会議事堂の一部のスピーカーが生き返る。  場違いなメロディが弾んで、突然の放送が響き渡った。 『グッモーニン、ハローエブリナイト! 今日もDJチェロンと』 『アシスタントのアヤメが!』 『ゴキゲンなナンバー、メニメニお届けするネー!』  声は、光。  歌は、希望。  まるで、その声色に輝きがあるような響きだった。  徐々にフロワロが駆逐されてゆく景色の中、本当に議事堂内が明るくなったように感じる。その先で今、吼え荒ぶ無数のマモノたちに動揺が走った。  明らかに敵意が萎縮し、未知への恐れが怯えを伝搬させている。  無理もない……獣や怪異には、歌を感じる心が少ないのだ。 「カジカさん、カグラさんと西側をお願いします! 多分、壁になってるドラゴンがいる筈」 「いいよー? シロツメクサちゃんも気をつけてネ」 「はいっ!」  戦いが始まった。  戸惑いながらも、マモノたちが襲ってくる。  しかし、意気軒昂の希薄に満ちた13班の敵ではない。 「待っててね、ナガミツちゃん……その背中にすぐ、追いつくからっ!」  一発必中、怪しげなグレネードランチャーが火を吹く。  グレネリンコたんなる違法改造銃を、トゥリフィリは正確無比な精密射撃で解き放った。国会議事堂の施設は、被害を最小限に留めて守る。  そして、巣食ったマモノたちだけを狙って銃爪を引き絞った。  火線が炎を呼んで煙を巻き上げる。  その奥へと、次々と仲間たちが飛び込んでいった。  放送ではアヤメが、避難民たちからのメールを読み上げる。 『はい、まずは最初のリクエストは……ちゃっかり生きてたチサキちゃんさんからです』 『まずはこいつだー! アゲていっちゃうー! 初音ミクで――"HeavenZ-ArmZ"ッ!』  取り戻してゆく風景の中に、歌が彩られる。  電子の音を紡いで束ねた、まるで妖精のような歌声が広がった。  その調べに、いやがおうにもトゥリフィリたちの戦いは加速してゆく。血潮が燃えるとは、まさにこのことかもしれない……身体の底から、心の奥から力が込み上げてきた。  普段はクールなエグランティエさえも、その太刀筋がリズムとテンポに乗って踊る。  人類最後の抵抗は今、種の存続を賭けた巨大なライブステージと化していた。 「うんうん、これがアヤメの戦い方かい……いいじゃないか。いくよっ、フィー!」 「エジー、背中は任されたよっ」 「いや? フィーが先に行きな……あんたが守る背中は、この先で待ってる」  無数の斬撃が空気を切り裂き、マモノたちを切り刻んでゆく。  その血が滴るそばから、次々と敵意は襲ってきた。  だが、エグランティエは淡々と抜刀術を繰り出してゆく。そして、開けた道へと進むように無言で振り返った。  頷きを交わして、再びトゥリフィリは走り出す。  最初期からの仲間だけあって、以心伝心の信頼感が確かに存在した。  直後、声が走った。 「フィー、危ない……避けてっ!」  突然、天井が崩落した。  そして、瓦礫の山に巨大な竜が現れた。恐らく、上層を徘徊していた移動タイプだろう。これぞドラゴンという体躯には、雄々しい翼が羽撃いている。議事堂の広い廊下で、窮屈そうに翻る首……その牙と爪が襲ってきた。  刹那、華奢な矮躯がトゥリフィリの前に躍り出る。 「ッ! ゆずりはちゃん!」 「わたしも、戦える……戦うんだ」  身構えたゆずりはが、庇うようにトゥリフィリの前に立つ。  それは、鋭い牙の一撃が降り注ぐのと同時だった。  そっとかざした両手を、ゆったりとゆずりはが動かす。円運動はまるで、しなやかな柳のように轟撃をさばいていなした。合気の極意は、まるで魔法のような体術である。  同時に、ゆずりはは小さく呼気を刻んでカウンターの肘を叩き込む。  巨大なドラゴンの顔面が僅かに陥没して、金切り声の悲鳴が周囲を震わせた。 「フィー、ここはわたしに任せて……先に行って」 「でも、ゆずりはちゃん」 「大丈夫。もう、大丈夫なの。一人じゃ、ないから」  微笑むゆずりはの手に『そうだぜ、いいからうちの馬鹿兄貴を頼む!』とスマートフォンが揺れる。そして、小さな画面に映るカネミツの表情が緊張感に引き締まった。  ドラゴンはいよいよ激昂に絶叫して、大きく身を反らした。  真っ赤な口の奥で、プラズマが瞬き始める。 『やべぇ、お嬢! ここは俺に……俺たちに任せな!』  そう言うなり、スマートフォンからカネミツが消えた。  それは、ゆらりと歩み出たカネサダが隣に並ぶのと同時。見上げるトゥリフィリも、彼の意外な行動に驚いた。  カネミツの分まで、カネサダがゆずりはを守る。  そのカネサダが今、雌雄一対の太刀を二刀流で抜き放つ。 「システム的には問題ない筈……来いっ、カネミツ!」 『お邪魔するぜ? さあ、この場は俺たちが』 「僕たちが、引き受けた」  信じられないことに、カネミツは今……カネサダの中にいた。一つのボディを、二人で並列演算して動かしていた。そういうのは以前、ラボでトゥリフィリもナガミツから聞いたことがある。  そして、二心合一の斬竜刀は無敵だ。  怒り狂ってブレスを放とうとしたドラゴンの、その首元を光が突き抜ける。 「……カネミツ、僕に合わせてくれないか? 左半身が0.03秒ほど遅い」 『やってるだろ、今! 全力で! つーか、ラグの処理してる俺を労れっての』 「さあ、フィー。行ってくれ……恐らくナガミツたちは、外だ」  そこまでカネサダが喋って、ようやくドラゴンの首が音を立てて落ちた。あまりにも鋭利な切れ味は、流血すら許さない。  そして、頼もしいカネサダの背中にトゥリフィリは見た。  振り返ってへらりと笑う、カネミツが振り返るかのような幻影を。