ついに、大いなる魔竜は倒された。  断末魔の絶叫を血柱で彩り、ドラグサタナーの巨躯が崩れ落ちる。  同時に、トゥリフィリの前に一人の少年が舞い降りた。  着地してよろけたが、彼は膝を屈しない。  そのまま両の脚で地面を踏み締め、雄叫びを張り上げる。 「次は手前ぇだっ! フォーマルハウト! 来いよ……戦ってやるっ!」  ナガミツの咆哮を吸い込み、空中で真竜の紋章がゆらゆらと揺らぐ。  そして、哄笑と共に嘲りの声が降り注いだ。 『ク、クク……クハハハハッ! ハッ! ハア! 戦ってやる、だと? 口の利き方も知らぬ家畜風情があ!』  すぐにトゥリフィリは駆け出した。  膝が笑って、力が入らない。  いつもの瞬発力が嘘のように、脚を動かしても前に進まない。  それでも、転がるようにしてナガミツの隣に立つ。  そして、さっきしてもらったように彼を支えて叫ぶ。 「ほくたちは、家畜なんかじゃない! それに、いつだって家畜たちに感謝を忘れたことはないよ……それが、命をゆずってもらって生きるってことだから!」 『抜かしおる……家畜にも等しい虫どもが、たかだか一匹の竜を倒した程度で!』 「そう、ぼくたちは一匹ずつ、少しずつ倒してゆく。みんなで歯を食いしばって、大地を踏み締めて生きていくんだ」  そんなトゥリフィリの隣に立つ影があった。  小柄なセーラー服の少女は、伸びに伸びて引きずる黒髪を風になびかせる。  そこにはもう、戦いを終えた穏やかな笑顔はなかった。  そして、神代の奇跡を姉より受け継いだ代用品でもない。  正真正銘、本物の羽々斬の巫女たるキリコの姿があった。 「真竜フォーマルハウト……私が、私たちがお前を斬る。もう、誰も泣かなくていいようにする。みんなでっ!」 『忌々しきは凶祓い……呪われし血。禁断の秘術を用いて、純潔の力を取り戻したか』 「もう、次の巫女が……戦いがいらない時代のために戦う。我が身を刃に変えて!」  キリコだけではない。  並み居る仲間たちが次々と、トゥリフィリたちの周囲を囲む。  皆、満身創痍で疲れ果てていた。  ある者はライフルを杖に、またある者は仲間の肩を借りて。  そして、並び立てば不思議と気力だけは満ち満ちてゆく。  これっぽっちの余力もないのに、感覚の薄れた全身が熱くなる。 「クハハハハッ! 聴いたかノリト! 見たか! こいつ、戦ってやる、だと」 「いい啖呵ですねえ……最高のギグになりそうですよ」 「そうだ、奴を倒さぬ限り未来はない。それが今ならば!」 「いいですとも! 最終楽章、今こそ奏でましょう!」  キジトラが、ノリトが、そして無数の仲間たちが声をあげる。  誰一人として、死んでなどいない。  死んではならぬと己を律して、あの激戦を生き抜いた者たちの魂が燃えていた。その熱は見えない炎となって、揺らめくフォーマルハウトを圧してゆく。  あの真竜が、宇宙の摂理を司る絶対強者が気圧されていた。 『馬鹿な……愚か、愚か、愚かな! 彼我の戦力差もわからぬ愚か者どもが!』 「わかる必要はありません。感じるままに、今……狩る者の使命を果たす時」  アダヒメも一緒だ。  彼女はそっと我が身でエメルを庇いつつ、鋭い視線の矢を射る。  いつになく気迫に満ちて、凍るように冴え冴えと美しいその横顔……暗い炎の燃える眼差しは、憎しみの権化たるエメルをも驚かせる殺意が漲っていた。 「真竜フォーマルハウト、貴方の負けです。尻尾を巻いてお逃げなさいな」 『ルシェの末裔、その残滓が……この我に逃げろなどと! 笑止!』 「わたしたちには二振りの斬竜刀、そして……一万と二千年前の叡智があります」 『なっ……ま、まさか! 殺竜兵器!』 「そう、神をも滅する殺竜剣。その刃は、使い手とともにもうすぐ」  ちらりとアダヒメが、トゥリフィリのことを見た。  僅か一秒にも満たぬ瞬間、二人の視線が一本に収斂されてゆく。  なんだか怖いような、酷く悲しくせつないような。  酷く長い時間にも感じられた一瞬が通り過ぎる。  気付けば、隣のナガミツが手を握っててくれた。  そして、いよいよフォーマルハウトの激昂が怒髪天を衝く。 『許さぬぞ人間! 揃いも揃って家畜風情が! 我らを悦ばす美味でしかない、喰らわれるための生命が!』  しかし、笑い声は響く。  気付けば空は、抜けるように晴れ渡って蒼い。  蒼穹の空に今、高らかに笑い声が広がっていった。  その声はエメルだ。  いつもの不機嫌な仏頂面はそこにはない。  彼女は、心底愉快とばかりに表情を弾ませていた。 「貴様の負けだ、フォーマルハウト……こいつは面白い、愉快痛快だ。声を上げて笑うなどな。それも、二度も」  それは怒りに言葉も忘れた竜の、暴力。  筆舌し難い侮辱を感じて、フォーマルハウトの影が光へと変わった。  刹那、激しい衝撃波が世界から色を奪う。  咄嗟にトゥリフィリをナガミツが守って、二人をキリコたち全員が庇ってくれた。  吹き荒れる波動が逆巻く中……小さな背中が前に出て振り返る。 「っ! エメルさんっ!」  それは、烈火の憎悪に燃える光ではなかった。  赤く、紅く、ただ朱く……赫灼たる確かな光が周囲を包んでゆく。  温かくて、優しい光だった。  それが今、両手を広げたエメルの全身から広がっていた。フォーマルハウトの激怒の衝撃が、静かに弾けて溶け消える。  竜への憎悪と怨念だけで構成されたヒュプノス……エメル。  遥か遠い宇宙の民の、その残滓が絞り出した最後の光。  煮え滾る憎しみでもなく、怒りや嘆きでもない輝きだった。 「あ、ああ……ナガミツちゃんっ! エメルさんが!」 「くそっ、あのチビババア! おいっ! 俺がお前を守るっつったろ! これじゃ……これじゃあ、逆じゃねえかよ」  全てが通り過ぎて、フォーマルハウトの影は舌打ちと共に消えた。  同時に、エメルの小さな身体が倒れる。  すぐに駆け寄ったトゥリフィリは、あまりにも軽過ぎるその矮躯を抱き締めた。だが、既に手足は色が薄れて好き通り、光の粒子となって風に散ってゆく。  誰もが、偉大なる指揮官の最期を感じ取っていた。  声を詰まらせた沈黙を持ち寄る中で、そっとアダヒメが語りかける。 「エメル……もう逝くのですね」 「お前、か。フフ……ヒュプノスは死なん。だが、今の私はなにかが違う。全く異質な何かが私の中に燃えているのだ。これは」 「それが、心です。負の感情に燃えて焦がれた、貴女の本当の心……優しい心」 「馬鹿な。私が……フッ、そうか。これが慈しみやいたわり……アイテル、そうなんだな……私、は――」  トゥリフィリの胸の中で、少女はまるでフロワロのように散ってゆく。しかし、その色は溢れる涙に鮮やかな赤を反射させて消えた。  そしてトゥリフィリたちは託される。 「13班……フィー、そしてナガミツ、キリコ……皆も。狩る者たちよ、星の防人たちよ」  ――全ての竜を、狩り尽くせ。  それが、久遠の刻を超えて戦った少女の、最後の祈りと願いだった。  こうして、多大な犠牲を払って人類は取り戻す。  最初の一歩、種族としての存亡を賭けた戦いの橋頭堡を。