首都高速道路は既に異界、魑魅魍魎が蠢く異境と化していた。  縦横と高さ、三次元空間が捻じ曲がっている。  ありえない角度のヘアピンカーブや、異常に長いストレート。アスファルトは時にたわんで右に左にとバンクして身をしならせる。  その中を、マモノに追われながら走り抜ける蒼があった。 「……これ、もうかれこれ100km近く走ってるよね。確か首都高って」 「帝竜の迷宮化が影響してんのかねえ、トゥリフィリちゃん。もう日本橋の上を五回は通り抜けてんだがね」  まるでWRCの舗装路ラリーだ。  ただし、観衆の代わりにそこかしこでマモノが吼え荒ぶ。  いちいち相手にしている時間もないので、インプレッサは極力減速せずにさっきから疾走中である。  そして、リアシートではまたくだらない話が盛り上がっていた。  男の子ってやつは……なんて思うと、ちょっぴりトゥリフィリの緊張感も薄れる。 「えっ、なにそれ……そういうゲームなのかよ。全部実名で、なあ」 「うむっ、初代プレステ時代からの名作シリーズだぞ。……確か最新作が避難民の娯楽室にあったな。やるか、グランツーリスモ!」 「カーレースのゲームかあ。やったことねぇが面白そうじゃねえか」 「ククク、ただのカーゲームにあらず……カーライフゲームとでも言おう! 敢えて!」 「なにが敢えてなんだ、なにが」  因みに今、アベレージ時速200kmでインプレッサはかっ飛んでいる。  一瞬のミスでクラッシュ確定という速度領域だが、カグラは鼻歌交じりでくわえ煙草だ。火を付けてないそれをピコピコ上下させながら、右に左にと異世界のワインディングロードが続いてゆく。  そして、危険なドライブは自然とトゥリフィリに懐かしい思い出を運んできた。 「そういえば、めったになかったけど……父さんと母さんと、車でお出かけしたなあ」  幼い頃の記憶で、それは数えるほどしかない。  トゥリフィリの両親はそれぞれに忙しく、家族が全員揃うのは一年で数日もないのが当たり前だった。  ただ、はっきりと覚えている。  なんでもないファミリーカーの、妙に安心するリアシートからの光景。  運転する父と、助手席の母との弾んだ会話が車内に満ちていた。  そんな時代を取り戻すために今も、トゥリフィリは戦っている。  そして時々思うのだ……この世界の何処かでまだ、両親もこの災厄と戦ってるのではないだろうか? と。少なくとも、死んではいないだろうなとはっきりわかる。  感じるのだ。 「ととと、なんか後から凄いの来てねぇか? ちょっち見てくれ、キジトラ」 「了解だ。……カグラ、あのな」 「どうだ? ここまでくると魔境極まれリ、ってな。バックミラーになにも映らねえんだわ」 「ほう? 帝竜の影響力は光の反射でさえ……ああ、それとな」  トゥリフィリもちょっと振り返ってみた。  そして絶句と共にパワーウィンドウのスイッチを押す。 「カグラさんっ! 後から竜が! 足の長いやつ!」 「タワードラグ系か! つーかなんで追いつけんだよ、こっちはもうレッドゾーン一歩手前だぜ」  窓から身を乗り出し、トゥリフィリが背後に銃を向ける。  灰色の靄を纏って、フロワロの赤を蹴り散らしながらドラゴンが急接近していた。ガサゴソと動く脚は白くて細くて、そして踏み込みが強い。物凄い速度で追尾してくるタワードラグに蹴散らされ、無数のマモノが悲鳴とともに消えた。  ここはもう、迷宮……いうなれば『首都高深淵』とでも呼ぶべき魔宮だ。  トゥリフィリが射撃を試みるが、敵は全く怯む様子を見せなかった。 「フィー、俺が出るっ! ……って、しまった! クーペだから降りれねえ!」 「カグラ、少し速度を落としてくれ。俺様たちが一度降りる!」 「いいや駄目だっ! お前さんたちをなるべく奥まで、帝竜の近くまで連れてくのが俺の仕事でね。まあ、見てな……ヘッ、学生時代以来の荒業だぜ!」  眼の前に迫るコーナーを睨んで、カグラの左手が高速でシフトノブをコツコツ鳴かせる。高速シフトダウンで生まれたダウンフォースに身を預けて、インプレッサは真横に滑りながら孤を描いた。  その軌跡を踏み抜き破壊しながら、ドラゴンは尚も追いすがる。  繊細なカウンターを当てつつ、カグラは左足ブレーキも駆使しながら最速で見えないレールを滑った。  トゥリフィリはバケットシートに四点シートベルトなので助かったが、後は大惨事だ。 「ひでぇ運転だ。大丈夫かキジトラ。俺につかまるか?」 「なにゆえに男に抱きつかねばなら、んぎぎぎぎぎぎ!!!!」  トゥリフィリにも、カグラが限界ギリギリを攻めてるのがわかる。  その証拠に、彼はもう煙草もくわえていないし、さっきからずっと黙っている。  だが、今のままでは追いつかれるのも時間の問題かに思えた。  が、そこでトゥリフィリは思い出す。  最後の帝竜を倒すために今、戦っている13班は自分たちだけじゃなかった。 「おっ? なんか下に凄いのが……って、あの車はフィーたちかにゃー?」 「そのようだ。ふむ、よし」 「いっちょやりますかあ、おねえさまぁん」 「誰がお姉様だ、誰が」  声が降ってきた。  丁度真上に、ねじれて逆さまに螺旋を描く首都高が走っている。  そこから、二人の蹴りが同時にブッ飛んできた。  向こうから見ると丁度、頭上に向かって飛び降りる形になる。もはや重力ですら、この空間では法則性を失っているようだった。  だが、質量とスピードがもたらす威力だけは変わらない。  それを二人同時に行うことで、物理法則は足し算を掛け算にしてくれるのだ。 「あ、あれは! リコリスさん! シイナもっ!」  二人の仲間が、落ちてくる。  否、飛んでくる。  絶妙なタイミングの飛び蹴りが、同時の呼吸でタワードラグに突き刺さった。  まったくの不意打ちで、絶叫と共に長い手足がバキバキと割れ始める。  そして、失速したドラゴンはそのまま後方の霧へと溶け消えた。  同時に、ボンネットの上にガコン! と腕組みリコリスが着地する。 「目標、排除完了。フィー、この先にもうすぐ門が見えてくるはずだ。そこからは徒士で進むしかない」 「あ、ありがとっ、リコリスさん。……あれ? シイナは?」 「無事だ。辛うじてな」  振り向けば、リアスポに必死の形相でしがみついているシイナが見えた。いかなS級能力者とて、この速度で落下すれば無事では済まない。  だが、リコリスは前を向いたまま堂々の仁王立ちだ。 「ん、門ってあれか? ぼんやり見えてきたぜ……リコリス姐さんの尻の向こうになあ」  カグラがゆっくりと少しずつ、インプレッサを減速させる。  やがて、うっすらと前方に巨大な建造物が見えてくる。  よくみればそれは、門に見えなくもない。無数の自動車やトラックで組み上げられた、いうなれば車両のスクラップ墓場だ。その中央に、歩いて進む道のようなものが見える。 その手前で蒼いインプレッサは静かに停車した。 「うし、じゃあ俺らは留守番ってことで」 「了解した、カグラ。後続を迎え撃つ……シイナ、お前もはやくこっちにこい」 「うう、おねえさま酷いっ! ……へーい、あーもうメイクはげるし最悪ぅ〜」  こうしてトゥリフィリたちは、ようやく本当の入り口へと到達した。かつて首都東京の繁栄を象徴していた首都高速道路は今、渦巻く毒蛇のごとく13班を我が身の奥へと誘うのだった。