今や魔境と化した首都高速道路。  上下も左右もない空間を今、トゥリフィリたち三人の13班が進む。  そして、徐々にこの迷宮の恐るべき怪異が全員を苛んできた。 「うっ、これは……ここの、空気は」  深い霧に包まれた通路は、その奥へと無数の人影を揺らしている。  だが、それは全て生者ではない。  中には見知った者の顔もあったが、トゥリフィリは前だけを見て走り続ける。  背後のナガミツとキジトラにも、その異様な雰囲気は伝わっていた。 「クソッ、なんだよこれ……キジトラ、フィーも!」 「笑えん、笑えんぞ俺様は! 今は黙って疾走れ、ナガミツ!」  キジトラの言う通りだった。  立ち止まれば言葉が溢れてくる。伝えきれなかった想いの化石が、琥珀のように浮かび上がってしまうだろう。  いよいよ霧が深くなって、視界が狭く暗くなってゆく。  するとどうだろう、いよいよ異変は残忍さを増してゆく。 「えっ? ど、どうして……リンさん!?」  国会議事堂で建設部門を統括する才女、リンの姿があった。だが、その眼鏡の奥の瞳に光はない。そればかりではない……ミヤやSKYの面々の姿もあった。  皆、生きて共に戦っている仲間である。  まだ死んではいない、死なせてはならない者まで漂い始めたのだ。 「……おかしい。今までの迷宮にはないタイプかも。ここは……ナガミツちゃん? ま、待ってナガミツちゃん!」  気付けば、ナガミツが側にいなかった。  慌てて視線を彷徨わせれば、トゥリフィリは言葉も呼吸も奪われる。  それは恐らく、帝竜が持つこの迷宮特有のトラップなのだろう。  だとしたら、なんという残酷な能力……人には皆、誰にでも会いたい人、一緒にいたかった人がいる。そしてそれは、最新鋭の人型戦闘機でも同じなのだ。  ナガミツの前には今、巨漢の体躯がゆっくりと手をのべてる。  差し出された拳に、ナガミツもまたコツンと拳をぶつけて笑った。 「……生きてたの、かよ……ガトウの、おっさん……俺、は……俺は、強くなったぜ?」 「…………、……、――」 「ああ、見てくれよな……俺はあんたとまだ、一緒に戦ってるんだ」  急いでトゥリフィリは駆け寄ろうとした。  だが、薄暗い靄が幾重にも包んで、ナガミツをガトウごと連れ去った。  そして、トゥリフィリを引き止めた手も震えていた。  あの不遜で強気なキジトラが、握る手から震えを伝えてくるのだ。 「フィー、なにが見えた? 俺様には、今」 「……同じものを、みたと思う」 「あのバカが……いや、バカだからじゃないな。あいつがあいつだから、ナガミツだからだ」 「うん……こんなのって」 「俺様はさっき、昔の友を見た。皆、竜災害に巻き込まれて死んだ連中だ。気さくで、気が置けなくて、とびきりのバカで、馬鹿正直で……そういう連中だったんだ」  トゥリフィリも一瞬だが、昔の友達を見た。  日常がまだ平和で平穏だった頃の、なんでもない高校生活の風景だ。  それを思い出へと凍らせた竜災害が、今度は生き残った人間をも巻き込もうとしている。抗うトゥリフィリたち13班にも、卑劣で苛烈な揺さぶりをかけてきているのだった。 「フィー、一度退くぞ。これでは勝負にならん」 「でも、ナガミツちゃんが」 「急がば回れと思うしなない。この忌まわしい幻惑、人間の尊厳を弄ぶ行為……決してゆるしてはおけん。誰が許したとて、俺様が許さん。だが、今は――」  その時だった。  突然呼ばれて、トゥリフィリは振り返った。  次の瞬間にはもう、動けない。  抱き返しそうになった手と手が震えて、抗いがたいぬくもりが襲い来る。  突然の包容に、トゥリフィリは意識が甘くゆらいでゆくのを感じた。 「センパイ……トゥリフィリ、センパイ……!」 「う、嘘。嘘だ。だって、そんな……」 「チョコバー、食べます? ねっ、センパイ!」 「アオイちゃんは、あの時……」  思考が停止する。  感情が崩壊して、溢れる想いが濁流となって自我を埋め尽くしていった。  キジトラの声がなにかを叫んでいるが、言葉の輪郭が全く聴こえない。  どこまでも落ちるような感覚で、懐かしい温もりが浸透してくる。  そう、全く本物と同じ声、そして面影だった。  非業の死を遂げた筈のアオイが今、ゆっくりとトゥリフィリを覆ってゆく。そのまま沈むように、全身の感覚が薄れて消えた。  理屈ではわかっていた。  理性を総動員した。  けど、叶わなかった……叶わぬ再会という甘い罠に、いともたやすく人間は貶められてゆく。そこからのことはなにも分からず、なにも感じない。  だが、唯一響く声があった。 『――フィー。そっちは……その世界線はいけません。フィー、さあ……こっへ』  どこかで聴いたことがあるような、女性の声だ。  その声がする方へと耳を澄ませ、まぶたを開く。  小さく光が見えたと思った瞬間、世界が反転するように色彩を取り戻した。  気付けばトゥリフィリは、国会議事堂の廊下に立っていた。 『あ、あれ? ぼく、どうして……確かぼくは』  最後の帝竜を倒すべく、最後の迷宮に挑んでいた筈だ。  怪異渦巻く邪悪な回廊……『首都高湾岸天楼』を攻略していたのではなかったか?  なにより、周囲の空気に息を飲む。  行き来する者たちには生気がなく、避難民たちは見るからに絶望していた。  そんな中をおろおろと彷徨えば、眼の前から見知った仲間が歩いてくる。 『あっ、キジトラ先輩……よかった、無事なんだね。ここは――』  言葉を発しても、声にならない。  空気はただただ震えることなく、沈黙で冷たく広がる。その張り詰めた雰囲気の中を、こちらへ向かってキジトラは歩いていた。  そして、すれ違う。  否、すり抜けて去ってゆく。 『えっ? 今、身体が……嘘、これって……ぼく、幽霊なの?』  追いかけ手を伸べても、キジトラの肩を掴むことができなかった。  そして、気付く……やはり今、この状態が異常であることに。  誰もが自分を認識していないし、自分の声を誰も聴いてくれない。  なにより、キジトラは時と場所を選んで笑う男だが……あんなにも悲壮な緊張感を常にまとう男ではなかった。どこまでも痛快で豪快で、そして静かに燃える炭火のような強さを持つ男だった。 『キジトラ先輩、どうして……あ! も、もしかしてぼく……死んだの? ナガミツちゃんみたいに、死者に引っ張られて……それで残されたキジトラ先輩は』 『いいえ、フィー。そうではありません。聴こえますか、わたしの声が』  突然、トゥリフィリの言葉に返事が響く。  振り返るとそこには、以外な人物が立っているのだった。