それは、国会議事堂の食堂でのことだった。  混み合う時間を避けて、少し遅めのランチをトゥリフィリは悩んでいたのである。軽くパスタでも食べておくか、それとも定食でガッツリいくか……そんなことを考えていた、まさにその瞬間だったのである。  突然、声を掛けられた。 「フィー! ここにいたのですね、ハァ、ハァ……これ、あげます!」  息せき切って駆けてきたのは、マリナだった。  その彼女が、なにかをグイグイ押し付けてくる。  驚くトゥリフィリは、勢いに負けて受け取った。そして、改めてそれを見て仰天に目を丸くする。 「え、これ……剣?」 「はいっ! さっき生まれました」 「まさか」 「竜殺剣です!」  思わずトゥリフィリは固まってしまった。  そんな、放課後に後輩が焼いたクッキーをもらうような、あまりにもカジュアルに手渡された最終兵器。それは人類の希望で、宇宙の摂理を断ち切る刃。  見た目は長くも短くもなく、直刀だが刃がない。  太古の世界で使われていた祭事用の呪具にも見える。 「えっと、これは、んと」 「これでわたしも肩の荷が降りましたっ!」 「あ、そだね! うん、お疲れ様。……本当にありがとう、マリナ」 「いいえ、フィーたちが頑張ってくれたからです。わたしは、そのお手伝いをしただけ」  ニコニコのマリナの、その顔に後輩の面影が重なる。  心の奥で、もう会えないその少女にも感謝を祈った。 「さて、じゃあ……剣だからやっぱりキリちゃんかな? それとも、キジトラ先輩?」 「あっ、フィー! それは、それはですねっ!」  ハスハスと前のめりなマリナに気圧されていた、そんな時だった。  突然、すぐそばのテーブルから静かに声が響いた。  空気の震えは微かなものだが、しっとり艶めいた声色が酷く通りがいい。 「貴女がもっていなさいな、班長さん? それは貴女の剣よ」  振り返れば、和服……それも、喪服のような黒い留め袖の女性が座っていた。食事中のようで、優雅なランチタイムの気品があるのに、テーブルにはカツ丼大盛りやらビフテキやら、大量の料理と空き皿が並んでいた。  妙齢というにはやや年かさな、この女性が実はトゥリフィリは少し苦手だった。 「あ……ど、ども、こんにちは、おタチさん」  そう、羽々宮タチ……先々代のキリコで、今のキリコの母親である。  そして恐らく、この日本で最強のS級能力者……ダブルSの力を持つ数少ない女性である。そのタチだが、お上品にカツ丼に箸をつけながら言葉を続ける。 「班長さん、貴女には大小の太刀、斬竜刀があるわ」 「っ、ナガミツちゃんもキリちゃんも、物じゃないです! ……強さだけが、彼らの全てじゃないです」 「……そうね、でも二人の斬竜刀がいてくれるし、必ず二人が貴女を守る。だから」  そっと立ち上がったタチは、ゆっくりとトゥリフィリに歩み寄った。  そして、袖から出した紙で口元をぬぐって、すぐ目の前に立つ。  見上げるトゥリフィリは、いつもみたいに縮こまってしまって萎縮した。この人の前では誰でも、あのナツメでさえ蛇に睨まれた蛙みたいになってしまうから困る。  だが、今日だけは少し違った。 「だから、班長さん。狩る者たちを率いる乙女、トゥリフィリ……その剣は貴女がもっていなさい」 「で、でも……!」  不意に、そっと抱き締められた。  どこかおっかなびっくりというか、ぎこちなく戸惑うような抱擁だった。  それで自然とトゥリフィリは察した……この人は、他者に優しくすることが不器用で、酷く不慣れなのだ。人智を超えた力を持ちながら、母親も妻もやらず、女であることも赦されずに生きてきたのである。  そんなタチの胸の中で、トゥリフィリは戸惑う。  しかし、タチの言葉尻を拾ってマリナもグイグイと意気込んでいた。 「そうです、フィー! わたしにはわかります……その子は、フィーに寄り添うことを望んでるんです。無数の竜検体とオリハルコンで紡いだ、それは人の意志の具現体」  そっと頭を撫でてくるタチの手が、微かに震えている。  そうして、自分でも似つかわしくないことをしている自覚があるのか、すぐにタチはトゥリフィリから離れた。いつもの怜悧な微笑も、今日は少し恥ずかしげに紅潮していた。 「突然ごめんなさいね、トゥリフィリ。……我が子にも、こんなことしてあげたことないのに」 「い、いえ」 「貴女が背負うものはあまりにも大きく、重く、過酷な運命でしょう。でも、貴女はやり遂げる。必ず13班は、かの真竜フォーマルハウトを打ち倒すでしょう」 「タチさん……」 「将の顔を見れば、兵の全てがわかるわ。大丈夫、皆を信じて進みなさい。ふふ、こんなこと言えた義理じゃないのだけど。……お願いね、トゥリフィリ」  参ったな、と思った。  どうにも苦手なのに、嫌いになれない。  この女性の欠落と無責任が、どこか哀愁を帯びてしまうからだ。 「あの、キリちゃんに会っていってください。それと、みんなにも」 「ええ、勿論。……その、今更なのだけど……あの子の顔が見たくて今日は――」  だが、微かに母親の顔を見せたタチを現実が襲う。  突然、黒いスーツにサングラスの男が数人駆け寄ってきた。 「御前様、申し訳ありません! 皇居の大手門がマモノと竜に」 「至急お戻りを!」  現実は残酷で、しかし瞬時にタチの表情が引き締まる。その時、凛冽たる闘志が静かに点火し燃え上がった。そこには間違いなく、巫女の使命を終えて尚、日ノ本を守る最強のサムライの姿があった。  同時に、小さな溜息をトゥリフィリは拾う。 「すぐに戻ります、車を表に回して頂戴。やあねえ、忙しくて……あ、そうだわ」  タチは食べ残した料理を少し残念そうに眺めて、椅子の上の布袋を拾い上げた。その中からシュルシュルと、一振りの太刀が現れる。 「この太刀をあの子に渡してくれるかしら」 「これは」 「三の丸向蔵館の未整理品に埋もれてたから、勝手に借りてきちゃったわ。孫六のどれかだけど、なかなかいいと思って」  竜殺剣を抱えつつ、太刀も受け取りトゥリフィリはタチを見送った。  ムラクモ機関が文字通り剣、竜災害に立ち向かう刃ならば……彼女は盾だ。たった一人で皇居を守護し、前年の竜災害も退けている。  最強にして孤高、そんなタチの素顔をトゥリフィリは初めて見た気がした。  だからつい、一度だけ呼び止めてしまう。 「あっ、あの! おタチさん」 「ん? なにかしら」 「……あと少しだけ、もう少しだけ、お願いしますっ! その間に、ぼくたちが必ず」 「ええ、期待してるわ。湯津瀬の姫君にもよろしく伝えて頂戴ね。それじゃ」  それだけ言って、いつもの余裕の笑みでタチは去っていった。  そして、それが全てを終わらせる戦いの始まりの瞬間だった。