眼の前に今、ブラックホールにも似た闇の深淵が渦巻いていた。  そして、ふらりと立ち上がったアダヒメが血に濡れた手で指さす。 「フィー、あの先に……真竜フォーマルハウトの本体がいます」 「アダヒメちゃん! それより、手当を」 「大丈夫です、平気……わたしの歌が、必ず道を拓きますから」  まるで幼子を安心させるように、アダヒメが微笑んだ。  喉が裂けるまで歌って血を吐き、それでも絞り出すように彼女は歌い続ける。我が身を千切るように歌が再び広がりだした。  だが、それを嘲笑する冷たい声が響き渡る。 『クク、クハッ! クハハハハッ! さあ来い、狩る者よ……我が漆黒の花園へ!』  濃密な瘴気が、空に浮かぶ洞から吹き荒れる。  常人ならば、吸い込むだけで昏倒してしまうだろう。  だが、魔素の濁流に染み入る清流のように、アダヒメの歌がそれを押し返した。  キジトラやリコリスも、再び身構えるや周囲のドラゴンに対峙する。 「行ってください、フィー。ここは私たちが。例えこの身が砕けようとも!」 「行けぇ、ナガミツッ! 今こそ貴様が、貴様たちこそが斬竜刀になる時っ!」  トゥリフィリは、視界が滲んで歪む間隔に抗った。  まだ泣いては、駄目だ。  泣き崩れそうな今を超えて、先に進まなければ。  だが、ナガミツにそっと背を押され、走り出す。  再び駆け出せば、もう止まれない。  仲間たちのためにも、止まる訳にはいかない。 「行こうぜ、フィー。キジトラたちの分まで、きっちり奴に叩きつける……斬竜刀として、俺が蹴り裂く」 「うん……うんっ! 行こう、ナガミツちゃん! キリちゃんも!」  振り向けば、キリコはそっと背伸びして、一度だけアダヒメを抱きしめた。  互いに小さくささやきあって、そして離れる。  三人は一つになって跳躍、一丸となって闇の中へと飛び込む。  あっという間に視界が黒く染まった。  底しれぬ暗黒の中に、黒いフロワロが無数に広がっている。  しかし、それもアダヒメの歌が響けばあっという間に赤くしおれていった。  そして、不思議な空間に水晶の床が広がっている。まるでそう、異世界を通り越して異次元……宇宙のような空間の中に、立体的な迷宮が広がっていた。 「ここが奴の根城か。……いいのか? キリ」  慎重に身構え、ナガミツは隣の少女を見下ろす。  だが、キリコもまた太刀を手にナガミツを見上げる。 「勿論。トゥリねえと、ナガミツと……竜を斬って、アダを迎えに行く」 「おう。じゃ、始めるかよ……俺たちの仕事を」 「ああ!」  拳と拳をコツンとぶつけて、そして二人が走り出す。  そのあとを追うトゥリフィリは、未知の不安に包まれながらも不思議と落ち着いていた。大小二振りの斬竜刀に導かれ、自分の手には竜殺剣がある。  今、全てを終わりにする刻。  たとえ真竜が神を気取る摂理の体現者でも、必ず倒す。  それは、この宇宙の全ての生命に誓えるトゥリフィリの覚悟と決意だ。 「ナガミツちゃん、前に出て! キリちゃんはフリーで遊撃! 討ち漏らしはぼくが!」  見たこともないマモノが遅い来る。  即座に攻撃を受け止めたナガミツが、違和感に顔を歪めながら蹴り返した。  それで怯んだ相手に銃弾を撃ち込み、トゥリフィリにも同じ感触が伝わる。  居合に構えて足を使うキリコも、どうやら気づいたようだ。 「つ、強い……外のマモノとは段違いだ。ナガミツッ!」 「ああ! 硬ぇなおい、このっ!」  形なき異形とでもいうべき、無惨なまでにおぞましいマモノたちが迫りくる。ムラクモ機関のデータベースにも名のない、いうなればそれ自体が無数にして無限のフォーマルハウトだ。この空間自体がフォーマルハウトそのもので、その中の免疫細胞と戦ってるようなものである。 「なるほど、ぼくたちは侵入したバイキンってわけか」  それでもまだ、アダヒメの歌は聴こえている。  戦いながら駆け抜けるトゥリフィリたちの先を照らすように、割れ響いてたゆたい広がる。フロワロは赤に戻って、トゥリフィリたちの疾走に朱色の風と散った。  そして、眼の前に巨大な壁が現れる。  もはやお馴染みの、障壁となって立ちふさがる茨の幕と、それを守る竜だ。  見たこともないタイプで、このドラゴンを撃破せねばフロワロの壁は壊せない。  だが、迷わず走る三人を左右から追い越す影が叫ぶ。 「ここはお任せなのデース! ワタシ、本国で見たことありマス……これがいわゆる、デカルチャー! アタシノウタヲキケー! なのデス!」 「おキクちゃん、それわたしも知ってるよぉ! オレガガンダムダー! ってやつだよね!」  漆黒の緊張感を木っ端微塵に粉砕する、それは長身の少女二人組だ。  ガーベラは今、例の巨大なパイルバンカーを装備している。  それも、左右両手にだ。  その姿はまさしく、激走する重戦車にも似て。  彼女の吶喊に群がる敵は、光の糸を引く斬撃に切り裂かれる。  小物のマモノは全て、エリヤの刃が一閃のもとに斬り伏せていた。 「おキクちゃん、エリヤもっ! 無茶だよ!」 「でもっ! 無理じゃないデス! フィー、それに……ナガミツ。ここは任せるデスッ!」 「キリちゃんも、見ててね……わたしとおキクちゃんがいれば、無敵なんだからっ!」  ――インパクト。  吠え荒ぶドラゴンの巨躯に、鋼鉄の一撃が突き刺さる。  同時に、宙へと無数の空薬莢が舞った。  右のパイルバンカーを全弾撃ち尽くすと同時に、それを捨てたガーベラがさらに左の連撃を叩き込む。  足を止めた彼女を襲うマモノが、無数に残像をばらまくエリヤに両断された。 「……ア、アレ? ちょっと火力が足りないデスッ! もう少し、あと一発だけ」 「おキクちゃん、だいじょーぶっ! 下がって……ナガミツにいが」 「俺がっ! ダメ押しっ、これでトドメだ」  パイルバンカーを巨竜に突き立てたまま、それを残してガーベラが離脱する。  それは、入れ替わりにナガミツが躍動するのと同時。  その飛び蹴りが真っ直ぐ、パイルバンカーを破壊した。そして、その中心の合金杭を深々とドラゴンへと埋めてゆく。  渾身の蹴りが障壁ごと竜を貫いた。  そのまま勢いを殺して着地すれば、ズザザとフロワロの赤が撒き散らされる。  煙をあげて着地したナガミツに、すぐにマモノが殺到した。  だが、絶叫を張り上げる敵意は全て、無音の沈黙へと落ちてゆく。  ただ一度、チン! と鍔鳴りの音がして……既にナガミツの影には、キリコが背を合わせていた。 「よし、進もう……立てる? ナガミツ」 「誰に言ってんだ、誰に」  はるか先に小さく、次へのゲートらしき光が見えた。再び走り出した三人は、決して振り返らない。鋼鉄の乙女と錬金術の幼女が、今日ほど頼もしく思えることはなかった。  トゥリフィリはガーベラとエリヤへこの場を任せて、さらなる暗黒の深淵へと飛び込んでゆくのだった。