気付けばトゥリフィリは、走り出していた。  仲間たちの血で濡れて、幾千の草花が咲き誇る床を蹴って。  そう、もうフロワロはない。漆黒のフロワロは愚か、通常のものさえなかった。  アダヒメの歌が滅竜の歌ならば、アヤメの歌はただの歌。そしてそれは時に、奇跡を起こして人を動かす。今、アヤメの歌に背を押されてトゥリフィリは走っていた。  その見据える先に、神体フォーマルハウトの無惨な姿がある。 「ヤメヨ……ヤメヨ! 家畜風情ガ! 何故、我ニ逆ラウ……愚カナ貴様ラニ、家畜以外の存在理由ガアルトデモイウノカ!」 「まずその、家畜ってのやめて……ぼくたちは家畜じゃない! 他の命を奪わねば生きれないのは、お前たちと一緒かもしれない。でも、ぼくたちにその役目が回ってきたとしても!」  銃を捨てた。  その手は翻って、腰の後に携行していた剣を握る。  ――竜殺剣。  殺竜兵器と呼ばれた、絶対の一撃必殺を秘めた刃だ。  そして、歌が呼ぶ奇跡は連鎖してゆく。  呪いの輪廻が巡るその外へと、無限に広がり拡散してゆく。 『へー、この銃まだ使ってたんだ?』 「えっ? その声……もしかして、嘘……チサキ?」 『ほらほら、前だけ向いて走りなよ! 援護はお任せちゃぶだい! ってね』  懐かしい声を聴いた気がした。  同時に、捨てた筈の中が火を吹く。  手負いのフォーマルハウトは、驚愕に目を見開く。 「馬鹿ナ! 貴様ハ……貴様タチハ! アリエヌ……可能性ノ廃棄物風情ガ、集イテ固マリ人ノ姿ヲ」 『るせー、ばっきゃろお! あたしちゃんはいつだってここにいる。どこにもいなくても、フィーの近くにいるよ』 「無限ニ広ガル世界線ノ、ソノ隔絶サレシZEROノ可能性……ソレガヨモヤ!」 『うるさいっての。ボツキャラにはボツキャラのやりかたがあんだから』  意味がわからない。  しかし、理解の及ばぬ中をトゥリフィリは走った。  頭でわからなくても、心で感じていたから。  そして、竜殺剣を構える。  ナイフの扱いは両親に仕込まれてるし、キジトラにも少し稽古をつけさせてもらっている。だが、確かに心もとない気持ちはあった。  それが突然、耳元の声で払拭される。 『フィー、緊張しないでください。身を剣にゆだねて……この子は必ず、フィーの想いに応えてくれます』 「キリちゃ――サキさん?」 『一万年と二千年前より蘇りし、アトランティスの遺産……これもまた斬竜刀。そして、そのルーツを超えた神代の世紀にある創まりの刃』 「創まりの、刃?」 『さ、フィー……今こそ、私の力と技をあなたに。私という存在の残滓が、この現世にこびりついていた理由が今、わかりました。弟のこと、ありがとうございます。さあ……!』  突然、身体が軽くなった。  フォーマルハウトに向かって馳せるその身に、経験したこともない修練の結果だけが集まってくる。  身体が熱い。  血潮が燃えるようだ。  フォーマルハウトが悪あがきの攻撃を繰り出してくるが、避ける。  見える、察して動ける。  避ける余地のないものを竜殺刃で切り払えば、まるで自分が突然サムライの、それも一流の熟練剣士になったような錯覚があった。  それが、彼女が本当に消えゆく中で残してくれたものだとわかった。 「うわああああああっ! フォーマルハウトッ! これで終わりだ、終わりにっ! す、るっ!」  身を浴びせるように、一閃。  そのまま返す刀で、フォーマルハウトの脳天に竜殺剣を突き立てる。  根本まで突き刺し埋まった、その剣をトゥリフィリは必死で押し込んだ。  だが、身を揺すってフォーマルハウトも最後の抵抗を見せる。 「アリエヌ! アリエザル現象! 許セヌ……赦セヌ! 何故、我ガ身が」 「いいからもうっ、黙れっ! ……っく、ち、力が……もう、ぼくも」  肉体の限界を超えた、その先の一線を既に踏み外していた。  気を抜けば、一気に意識を持っていかれる。  手足の感覚は既になく、もはや痛みも疲れも感じない。  ただただ、手にした竜殺剣の熱さだけが胸に伝わってくる。トゥリフィリの鼓動を炙って灼いて、際限なく滾らせるのだ。  それでも、心が折れそうになる中で声は響く。 『先輩ッ! もうちょっとです、ファイトですよ! あ、チョコバー食べます?』 『トゥリフィリ……お前こそが狩る者、狩る者の中の狩る者、選ばれし狩人』 『今こそ因果は逆転し、宿業の連理は弾けて広がる……あ、チョコバー食べます?』 『トゥリフィリ、今こそ決選の時! ……忘れるな、私と違ってお前には……私にはアイテルしか。しかしお前は違う。お前には――』  声にならない絶叫をはりあげた。  最後の力で、竜殺剣をねじ込む。  だが、不意にフッとその力が途絶えた。  終わった……トゥリフィリという一人の生命体が持つ力が、その全てが出し切られた瞬間だった。  そしてまだ、フォーマルハウトは生きている。  その頭から落下しながら、受け身さえ取れずにトゥリフィリは呟いた。 「みんな、ごめん……届か、なかった。ぼくじゃ、届け、られ、なかった」 「んなことねぇぜ。あるはずがないぜ、フィー」  不意に、何かがそっと優しく受け止めてくれた。  落下中だったトゥリフィリは、その襟首を乱暴に片手で掴まれた。  それは、力尽きて落下するトゥリフィリへ飛んだ男の隻腕だった。 「ナガミツちゃん……!?」 「よくやったぜ、フィー! あとは任せろ。もう終わってんだよ、フォーマルハウト……終わってんだから! ちゃんと、しっかり、終わり終えろってんだああああああっ!」  普段から寡黙で無口、ぶっきらぼうなナガミツから絶叫がほとばしる。  彼は米俵のように片手でトゥリフィリをかつぐと、そのまま減速せずに宙へと舞う。そして、先程トゥリフィリが立っていたフォーマルハウトの鼻先に着地した。  そこには、中途半端に刺さったまま、明滅する竜殺剣がある。 「クハ、ハ、クハハハハハ! 我ノ勝チダ、家畜ドモ! 貴様ラニ竜殺剣ハ使イコナセヌ」 「使うとかこなすとかじゃねえんだよ! いいから味わえっ! 俺が! 俺たちがっ!」  ――俺たちが、斬竜刀だ!  その言葉と同時に、振り上げた脚を思い切りナガミツは竜殺剣に叩きつけた。  あまりにも強烈な踵落としに、ナガミツ自身の右足が砕けて折れる。  それで彼は、トゥリフィリを庇うように抱き直して落下した。  ナガミツの胸の中で、トゥリフィリは見た。  ナガミツが押し込んだ竜殺剣は……彼の脚に付着して燃える、太古の凶祓の血に濡れて輝く。突然瞬き、七支に枝分かれした刃が、内側からフォーマルハウトを切り刻んだ。  太古の竜殺剣、そして大小二振りの斬竜刀がもたらした勝利だった。