スズランの長い長い一日が終わった。  その夜は宿屋で、夢も見ない深い眠りについた。その心の内は、目覚めた今も興奮と感動に満ちている。正式なハントマンとして、また新しい朝が始まったのだった。  部屋の窓を開けて、朝日を浴びる。  数少ない荷物の中から、ブラシを出して髪に当てた。  小鳥がさえずり、空には雲一つない晴天だった。 「あら? あの方は」  ふと、宿の中庭に小さな影を見た。  朝から一生懸命、刀で素振りをしている背中がある。  呼びかければ、彼女は額の汗をぬぐいながら振り返った。 「あっ、スズラン! おはようございますなのです!」 「おはようございます、ユイさん」 「ユイで結構なのです、むいっ!」 「は、はい……ユイは朝から修行なのですか?」 「これが日課なのです。わたしはこれから、羽々斬の巫女になる身なれば!」  ――羽々斬の巫女。  田舎育ちのスズランでも、その名だけは知っている。かつて竜という名の災厄が現れた時、必ずそれを打倒して民を救う巫女……だが、それは御伽噺も同然だった。  今では竜など伝承の書物にしか現れず、マモノもハントマンが糧としている。  羽々斬の巫女などというのは伝説上の登場人物で、その末裔は今は各国で祭事を執り行うだけの存在だった。文字通り、神々に祈る巫女でしかない。 「……羽々斬の巫女。ユイは、その、巫女になるんですか?」 「むいっ! 母様みたいな立派な巫女になって、竜から世界を守るのですっ!」 「竜……すなわち、ドラゴン。その存在は」 「こなければ、こないでいいのです。平和が一番なのです。でもっ!」  ユイは素振りを再開させ、より熱心に剣を振るう。  その姿を見て、ふとスズランは昨日のことを思い出した。血みどろのノリトを助けてる最中に、ナガミツとニーナの話を聴いてしまったのだ。  なにか二人は縁の深い仲らしく、ちょっと気になる。  でも、どっちかというと姪……じゃなくて甥、そして伯父や兄貴分のような関係に見えた。そうだったらいいなという希望的な憶測も含むが、二人は深刻な顔で言葉を交わしていた。 「弱い、遅い……ユイさんが? でも、凄い剣技だった」  街中で暴れ出したマモノを、一瞬で切り刻んだ神速の居合斬り。鍔鳴りの音すら置き去りにする、それはまるでハイテンポな激しいビート。音楽に例えるなら、弦楽器のソロパートのように眩しく輝かしい。  その一撃……にしか見えない六連撃を、ナガミツは遅いと言ったのだ。 「むいっ! むいっ! 一意専心! むいむいむいむいっ!」  今もユイは、渾身の力を込めて太刀を振るう。どこにでもいるサムライのように見えて、それ以上に研ぎ澄まされた、それでいて清々しい凛冽たる覇気を感じる。  スズランから見れば、彼女は本当に物語のお姫様、そして巫女様だった。  そんな彼女に、すこし寝ぼけた声をかける者が現れる。 「ふあーあ、ふぅ。おはよ、ユイ。あ、スズランも。おはおはー」  ニーナだ。  なんだかひらひらのネグリジェ姿で、髪もほどいて跳ね放題に寝癖がついている。彼は眠そうに瞼をこすりつつ、中庭にふらふらとやってきた。  こうして遠目に見ると、本当に女の子にしか見えない。  そして、なんだか大人びて蠱惑的な薄布が妙に似合っていた。 「おはようございますっ、ニーナ」 「むいっ! おはようなのです!」 「ういー、んで? 朝から特訓? 頑張ってるねえ、うんうん」  腕組み頷くニーナは、熱心に剣を振るうユイをじっとり見詰める。まだ半分寝てるかのような瞳には、その奥に鋭い光が灯っていた。スズランは、なにかを見定めるかのような彼の視線に思わずゴクリと息を飲む。  なにか、朝の清々しい空気が緊張感に凍ってゆく気配がした。 「ねね、ユイ。……ちょっと、やろうか?」 「むーい? やろう、とは?」 「起き抜けの目覚まし代わりに、模擬戦。ちょっとさ、アタシを斬ってみてよ」 「そ、それは危ないのです。ちょっと部屋から木刀を」 「いーよいーよ、真剣で。……多分、当たらないから」  無遠慮な一言に、ユイの気配が鋭く研ぎ澄まされてゆく。彼女は無言でクルクルと太刀を回して、鞘へ納めて身を沈めた。  瞬時にユイが本気モードになる。  対して、ニーナは呑気に二度目のあくびをしていた。勿論、ナイトの防具も盾もない。服すら着てない、寝起きそのままの姿だった。 「ではっ、いきまするっ!」 「あいよー」  スズランは目を疑った。  瞬きすら許されぬ、それは縮地の極。  ドン! とユイが踏み込んだ、その地面がひび割れ陥没する。舞い上がる土煙の中に消えたその姿は、気が付けば残像を刻んでシイナを取り囲んでいた。  目にもとまらぬ抜刀術の連撃。  だが、確かにスズランにもその速さが見えた。  特別鍛えた人間ではない、駆け出しプリンセスのスズランにも太刀筋が見えたのだ。  勿論、煌めく星々が象る星座のような斬撃を、全てニーナは避ける。しかも、最小限の動きで決してその場から動かず、立ったままの位置から上体だけで全てを回避した。 「むい!? あ、当たらないのです!」 「んー、見えるからねえ。それ、よっと!」  ニーナは無造作に手を突き出し、指でユイの額を弾いた。いわゆるデコピンというやつで、吹っ飛んだユイは額を抑えながら立ち上がる。  桁違いの実力差があって、勝負にすらなっていない。  思わず窓から身を乗り出し、スズランは気付けば歌っていた。 「ユイ、構えて。吟遊詩人たちが歌う斬竜刀の叙事詩……わたしも少しだけなら」  鳥たちがさえずるのをやめ、静寂が広がってゆく。  その中に、不慣れでうろ覚えながらもスズランの歌が広がった。  同時に、ユイが晴眼に剣を構える。  僅かにニーナも、身を正して相対した。  遥か太古の彼方、今は忘れることすら覚えていない物語……しかし、今も巫女の血筋は生きている。祭事を執り行い、国中をアチコチ回るだけの、それは平和の象徴。  しかし、その本質は邪を断ち魔を払う凶祓の一族なのだ。 「あ、ちょっとやば。これを借りとこ」  流石のニーナも、中庭の物干し台から竿を拝借する。  その時にはもう、ユイは再び地を蹴り上げる。一瞬遅れて舞い上がる風圧が、スズランの元へも届いて髪をさらう。  だが、乾坤一擲の打ち込みをニーナは、物干しざおで軽々と受け止めた。  木の棒でしかない物干し竿で、ユイが握る太刀の柄を抑える。  だが、そこからが本当の勝負だった。 「母様みたいな……立派な、巫女に、なるのです!」 「およ? ちょ、ちょっとたんま、ステイ。ステイ、ユイ、ちょっと」 「むいいいいいいいっ!」  それは、言うなれば馬鹿力。細身の華奢な身体を裏切る謎の怪力だった。驚いたことに、ユイはそのまま剣を押し込む。あわてて物干し竿を両手に構えなおしたニーナが、ズザザと地面をえぐって僅かに押されるのだった。  だが、スズランの歌が終ると、あっという間にユイは自分の力を合気の術で返され、その場に大の字に倒れるのだった。